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そして夜明け  作者: K+
第3章 緑の精霊級
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 布小屋は幕家(ユルト)と言うらしい。

 簡単に解体できるそうだ。天候や草の生え具合に合わせ、家畜と共に、度々移動する為に。

 丹亜(にあ)が宴の折に嗅ぎ取った生臭さは、家の周りに囲われていた牛、馬、羊の所為だった。雨が降った所為で、湿って籠もった臭いが入り込んだようだ。

 普段は、乾燥気味の草原で、家畜の臭いはそれほど気にならない。

 四日目ともなると、丹亜は慣れてしまった。

 生まれは田舎だと言っていた(なる)の方が、種々の順応に手間取っていた。

 この状況下でも侍女として振る舞おうとしているのか、丹亜の傍に控え、あまり口をきこうとしない。けれど、表情が如実に心情を示していることが多かった。

 今朝も借りた櫛で丹亜の髪を梳くが、銅鏡に映った顔は小さく口を曲げている。

 草原に入って以降、二人とも髪を洗えず、結ってからも同じ飾り紐を使うしかない。それが成には不服らしかった。

 成は当初、ネンジ達と同行するのは反対だと主張した。月区(げっく)に行くなら街道に戻りましょう、と。街道に戻ればきちんとした宿にも泊まれるし、女性二人でもなんとかなると思ったのだろう。だが、丹亜が懐具合を説明すると、肩を落として褐色の瞳を潤ませた。

亭柄(ていえ)様の包みを、わたしが持てば良かったのですね』

 ティエが薬代を包んでくれたのは、例の潜り蛙をくるんでいた布だった。侍女達は触れたがらず、己の浅はかさへの戒めも込め、丹亜が懐へ入れたのだ。それまで肌身離さずだった、装飾品の包みの代わりに。

 大きな代償となってしまった。

 頼りがネンジ達しか居ないと理解した時の顔つきで、成は櫛を銅鏡の脇に置いた。綺麗に編み込んだ髪を結い上げてくれたのに、物憂げに息をつく。

 五人家族に四人もの客が加わって賑やかな家の中、辛うじて丹亜だけが聞き取れる小声で成は愚痴ってきた。

「わたし達、いつまでここに居るんでしょう」

「そろそろ発たねばな。長居は迷惑だろうし」

 一家は嫌な顔一つ見せずに滞在させてくれているけれど。それはたまたま、突風から家を守ったからだろう。

 他に、人の好い一家では、追い出すに追い出せなかったと思われる件があった。

 ヒコが、二日間も目覚めなかったのだ。

 ネンジは恐縮しつつも、居心地イイとこうなっちまうみたいでね、と一家にへらへらと言い訳していた。

 本当のところは、植物を操る力を使った反動らしい。


 三日前、夕日に染め上げられた草地に立ち、ネンジは苦笑して言った。

『あいつぁ、〝緑の手〟なんだ』

 ルウの民みたいなモノではないのか、と問うた返事がソレで。

 何だそれは、と丹亜が問を重ねると、とりとめなくネンジは続けた。

『ルウの民も変な術を色々と使うが、ヒコは術と言うより……手が、もう生まれつき、そうなんだよ』

 ちょっと草生やして花咲かせるくらいなら、翌朝ほんの少し寝坊する程度なんだけどな、と、ネンジは肩をすくめた。『精霊級から遠ざかれば、力使う度に爆睡しねぇんじゃねーのって言ってるんだけどなぁ』

 な――と丹亜は小さく口を開けた。

『旅などさせて大丈夫なのか。精霊級と呼ばれる人は――』

 稀な人。純粋の存在ゆえ身体が脆く、この世では生まれても短命。そう巻物で読んだことがあった。

 元気そうに見えたが、彼はもう長くないのか。

 何故か異母弟が思い出されて黙った丹亜を、ネンジは横目で見た。

『精霊級には二種類あるそうだぜ。人に近いのと精霊に近いの。精霊に近い方は(とお)まで生きるのがやっとらしいが、ヒコはもう十七になる。人に近い方なんだな。まぁ、無理しなきゃ長生きできるのさ』

 誰でもそうだろうけどな、とネンジは無精鬚の伸びた顎を撫でた。

 そうして、つと顔をしかめると言い当ててきた。

『やっぱり嬢ちゃん、相当いいトコの子供だなぁ』

『……何故(なにゆえ)……何か問題があるのか』

『精霊級を知ってる奴なんて、そう居ねぇ。そんな名称があると知ってるってぇのは、学問とやらを修めてないとな』

 読み書きも完璧だろ、と半眼を閉じてネンジは口を歪めた。

 公用語だけは、と丹亜が濁すと、成は、と確認するように尋ねられた。読みは恐らく、と離れた場所で幼子達を構っている姿を振り返れば、ふふンとネンジは鼻で笑った。

『つまり、嬢ちゃん達を売り払えば、ひと財産になる』

 背中に雨を浴びた錯覚に襲われた横で、街道に戻るのも善し悪しだなぁ、とネンジは迷うように言っていた。


 乳製品主体の簡素な朝食が済むと、ネンジが丹亜と成を外に手招いた。

 一緒に出たヒコは、ワクとその息子の後について、馬が囲われた方へ歩いて行く。昨日ようやく目覚めた際はふらついていたけれど、今日は健康そのものといった風情だ。

 後ろ姿は、緑がかった短い黒髪の、普通の少年でしかない。マレビトには、とても見えなかった。

 ネンジは精霊級の話をした付近まで歩き、足を止めた。肩越しに振り返りながら訊いてくる。

「馬に乗ったことは?」

「平らな場所でなら、少し走れると思う」

 おてんばだった頃の経験だ。丹亜が自信無く答えれば、成は口を横一文字に結んで首を振るだけだった。

 まー、じゃあ、とネンジは頭を掻きつつ言った。

「嬢ちゃんは俺と。成はヒコと乗れ」

 馬車は、と成がか細い声を出す。ネンジは幕家を指差した。「余分な馬車なんてあると思うか?」

 項垂れる侍女の隣で、丹亜は四日前に歩いてきた方角を見た。

「街道に戻らないんだな」

「しばらくは。ワクの親戚がこの先に住んでるらしい。今日はそこを目指す」

 眉を寄せ、丹亜はネンジを見上げた。

「草原の民というのは、そんなに気安く泊めてくれるのか?」

「女連れは特に。一晩くらいなら、だいたい歓迎してくれる。客は滅多に来ないから縁起モンなのさ」

「……そういうものなのか」

「皇領は街道沿い以外、住むには厳しい土地ばかりだからなぁ」

 呑気なネンジの言葉に、成が不可解そうに洩らした。

「なんでわざわざ、こんな所に住んでるのかしら」

 可笑しそうに、ネンジは少女に目を投げた。

「自由だからじゃね?」

 ああ、と丹亜は腑に落ちる。

 だから、わたくしはこの数日がさして苦にならないのか。

 住民税が無いしな、とネンジは現実的なことも口にしてから、しかしだ、と両手を腰の脇に当て、こちらを見下ろした。

「売上税は高い。よって、概ね物の値段も高めだ。草原の連中は、なるべく物々交換でしのいでる」

 無言で丹亜が頷くと、ネンジは薄く笑んだ。「嬢ちゃん達の髪の毛で、大きめの鞍一式が付いた馬二頭」

 一拍の後、丹亜は呆気にとられる。成が、な、な――と、どもりながら、親ほどの男に詰め寄った。

「何を勝手に――冗談じゃないわ、なんでそうなるのよ!?」

「長い髪ってヤツぁ、貴重なのさ」

 しみじみと述べて、ネンジは薄くなっている己が頭頂をさする。「特に嬢ちゃんのその色、金が混じってるよな」

 丹亜はこめかみの辺りにこぼれる髪を摘まんでみる。軽く()に透かせば金に見える茶色だった。

 成が猛然と、駄目! と言い切った。

「わたしの髪ならともかく、丹亜様の御髪(おぐし)を馬ごときにできますかっ」

 成が一つに編んで垂らしている髪は柔らかげな狐色だ。優しい色で、丹亜としては彼女の髪の方が惜しかった。

「わたくしの髪は全て剃ってしまって良い。わたくしの髪だけでは二頭にならぬのか」

 丹亜様ッ、と成が悲鳴じみた声をあげる。丹亜は片手を上げて制した。「わたくしの髪は伸びる。ネンジと違って」

 一言余計だ、と言う低声を聞き流し、どうなのだ、と丹亜は青みがかった黒眼を見据える。

「相当切っちまっていいなら、いい馬を選ばせてもらえるかもな」

 芳しくない返答と共にネンジが小刀を手渡してきて、丹亜は黙然と受け取る。成が両手で顔を覆って泣き出した。

 なかなか洗えぬ長い髪など不潔なだけではないか、と侍女を説得し、丹亜は背の中程まであった髪を襟足まで切らせた。成の髪は、夫人が切り揃えてくれた。

 成が散髪されている間に、丹亜は男達を遠くから眺めていた。

 四頭の馬が引いてこられ、ネンジとヒコは並んで見定めている風だった。

 決まったのか、二頭が引き出される。ネンジがワクに何か渡していて、丹亜は軽くなった頭をゆるりと振った。

 髪ごときで馬に換えてもらえるわけがない。

 金糸のようだと幼子達がはしゃいでいるから、少しは足しになったのかもしれないが。

 女性は草原で優遇されても、街道に出るとそうはいかないのか。馬車で進んでいた時、差別を感じることは無かったけれど……

 自分は何も知らないのだと、丹亜は強烈に実感していた。



 大地神(アカ・シ)の御加護がありますように、との声を背に受け、昼過ぎにワク一家の幕家を後にした。

 初めて馬に乗せられた成がすっかり怯えてしまい、後ろから抱えるように手綱を取るヒコは、ゆっくりと歩ませている。

 丹亜は感覚をすぐに取り戻せたので、ネンジに手綱を取られる馬は軽やかに東へ向かっていた。

 先日の嵐が嘘のように、ほんのりと花の匂いを孕む微風(そよかぜ)が吹いている。

 穏やかに起伏している地上は、一面の緑だった。

 ぽつぽつと木も生えているけれど、地表にはただただ若草が広がっている。

 街道から外れている今は、方角が判らなくなりそうだ。

 三十分程進んで、狭いせせらぎを飛び越えた。

 後ろの方で、落ちる、と成が泣きそうな声をあげている。

 丹亜は、ふと思い出して呟いた。

「あの橋が通れなくなって、他の旅人は足止めを食ったのだろうか……」

 人それぞれだ、とネンジが応じた。

 近くで治るまで待つ者も居るだろうし、木橋を通って街道に戻る者も居る、と付け足してくる。

 川には石橋の他、流れの緩い場所に、木橋が何箇所か架かっていると言うことだった。

 やや安堵した丹亜の(せな)で、ネンジは呆れたように評した。

「まったく、変わった嬢ちゃんだな」

「……自分ではそう思わない」

「そりゃそうだ」

 笑うネンジのごつい身体越しに、丹亜は後方を窺った。慎重にヒコが馬を操って、二頭の間がだいぶ離れている。

 鞍の前を掴んで身を捻り、丹亜はネンジの目を見た。

「髪も、変わっていたとは思っていなかった」

 丹亜の毛色は少し金がかっていたものの、ワクの一家も全員茶系の髪だった。大した違いは無かったのだ。むしろあの家で目立っていたのは、艶やかなヒコの黒髪だった。

 ネンジが大きく鼻で息をついた。僅かに馬腹を蹴る気配がして、馬の歩みが速まる。

 丹亜は上体が揺らいだ。焦って前に向き直り、鞍を挟む足に力を入れ、唇を噛む。

 背中に、低声が響いた。

「長髪が小金になるのは嘘じゃねぇ――好都合だったのさ。庶民の女ってのは、毎日他人に髪を梳かさせねぇ。特別な日でもないのに、凝って結ったり柄紐を絡めたりしねぇ」

 この状況で、自分でしたことがないのだと告げるのは、恥ずかしいことに思えてしまった。

 振り仰ぐことも叶わず、丹亜は鞍の前を両手で握り締める。ネンジは更に速度を上げさせつつ、口早に言を継いだ。

「税の話をしても、成は解ったフリして目は、はぁ? ってなってたのに、嬢ちゃんはしっかり理解してやがる。そこらの女ってのは、成みたいな反応するのが大多数だ。極めつけに、馬――俺ぁ、相乗りの経験を聞いたつもりだったのに――草原の連中だって、女一人で乗りこなせるのは少数だぞ」

「この体たらくで、乗りこなせているとは、思えぬ」

 やっと言い返すと、だからぁ、とネンジは腹立たしげに言い募った。

「そのお上品な喋り方もなんとかしろ! 教養も隠し通せっ。今の状態じゃ、〝お買い得〟って宣伝して歩いてるようなもんだ――街道に戻れねぇんだって」

 ようやく合点し、合点するや、丹亜はムカムカした。鞍を一つ叩く。

何故(なにゆえ)、さっさと言わなかったのだっ」

「あぁ? 何度も言ったぞ。だいたい気づけよ、お利口なんだろーが」

「知識の豊富と知恵が回るは別モノだ、わたくしは前者にすぎぬっ」

「威張るな!」

「そちこそ!」

 不毛になっていった言い合いは、離れ過ぎ、とヒコが指笛を鳴らすまで続いた。

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