端
外の世界には季節というモノがあるらしい。
ヒコの居る場所は大抵いい天気で、たまに穏やかに雨が降って、爽やかに風が吹く。
大地には丈の短い柔らかな青草が茂り、辺りにはいつも、何かしらの小さな花が咲いていた。赤、橙、桃色、黄色、青色、白、紫。虹のように何色か混じっているモノもある。
果物と乾燥豆の食事を済ませると、する事が無い。
遠くに輝く太陽が沈むまで、ぶらぶらと散歩をして一日が終わる。
果ての地は初め、六の神が住んでいる星を元にして創られたらしい。それで、縁に配された物の数々は異様に大きい。色は全て灰色だった。
ヒコは、縁は殺風景だから好きではなかった。
単に歩き回るだけでも、やっぱりとりどりの色のある景色の方がいい。だから、いつも内側を行く。
内側には、星にも居なかった空想のモノ達を創って、六神は住まわせていた。半人半馬、翼のついた馬、向こうが透けて見える精霊……
最初はもう一つの世界として創った外の世界にも住まわせてみたそうなのだけれど、今は、果ての地の内側にだけ居るモノ達が多い。箱庭の住人として創られた、六神の縮小型たる人間とは、いまいちソリが合わなかったみたいだ。
ヒコは時々架空のモノ達と話をするが、いつも相手をしてもらえるわけではなかった。ヒコに、人間の血が混じっている所為かもしれない。
ヒコの話相手は、父の他にだと、草木のそよぎや、流れる風や空を行く雲、小川の水音、言葉を持たない動物達くらいだった。
外の世界から変な客人が来ていると聞いたのは、十五歳になる年の或る日だった。
力を送るとかいうよく解らない理由で、果ての地は外の世界の周囲を動き回っている。触れていることもある。
世界と接している時、たまに人間が迷い込んで来ることがあった。
外の世界は広いみたいだが、その分、人間もだいぶん増えたという。あちこちで暮らすようになって、偶然、世界間の狭間に踏み込んでしまうようだ。
迷子は大概すぐに元の場所に戻りたがり、果ての地のモノ達は希望を叶える。
ところが稀に、なかなか戻りたがらない者が居る。噂の客も、その手合いらしい。
ヒコが話を聞いた時は、既にふた月ばかり滞在しているとのことだった。
迷子を構うのが大好きな小人が、何の気紛れか、面白くなさそうに教えてくれた。
「変な人間、殆ど何も持っていなかった」
古語より公用語が達者で、その趣味から〝アンナイ〟と綽名されるダク・タコンは、つまらなさそうに語った。「しょうがないからその紐でいいと言ったのに、別に帰らなくてもいいからやらんと言われた」
どういう紐だったか知らないが、紐などを貰ってどうするつもりだったのか。
疑問が浮かんだが、ヒコは口にしない。ダクはその時に興味が向いた物を貰っている。大事にすることは滅多に無くて、縁の落ち葉の下にしまって、忘れるみたいだった。
客人は男の人で、果ての地をヒコのように、うろうろしているそうだ。
ヒコはぶらりと、父が暮らす大樹のうろの住まいへ行ってみた。
六神は、果ての地の事々を父に任せている。なので、父は果ての地で起こっていることは大体、把握していた。
「縁が好きなようだ」
物心ついた頃から全く変化の見られない姿形で、ヒコの父は淡々と言葉を紡いだ。女の人のような顔で、緑がかった銀の髪、苔色の瞳。
するすると地から木を生やすと、見る間に実った橙色の果実をもいで渡してくれる。薄皮を剥けば果汁が滴り、甘い芳香が揺れた。
「変わってるね」
そう言ってから、ヒコは果実を頬張る。父は木を地面に沈めるように戻しつつ、笑みを閃かせた。
「さっさと外へ戻らなかった時点で、そうだな」
父は迷子が来ると〝時止め〟の魔術を施すから、半日経つ前に戻れば外の世界との時間のずれが起こらない。だが、二ヵ月も経っているとなると、もう客が迷い込んでから、あちらでは十ヵ月の時が進んでしまっているだろう。
速やかに戻らなかっただけでも珍しいのに、その上、灰色の場所を好んでいるなんて……
「外の世界に、未練が少ないんだろう」
緩く波打つ長めの髪を背に払い、父はきらきらした睫毛を少し伏せた。「ここへの訪れ方も、倒れていて、こちらがすくい上げてしまった感じだった」
ふぅん、とヒコは残った果実の種を、肩に乗ってきた小鳥に託す。
ヒコが十五年生きてきた間にも、何度か外の世界からの迷子はあったと聞いている。この十五年の人々はアンナイに何かあげてみんな帰ってしまったので、会ったことは一度も無い。
今回の人は、それ以前の迷子の中でも、とりわけ風変わりなようだった。
ヒコは縁にも足を運ぶようになった。
誰かに所在を尋ねることも無かったので、その人に出会うまで、ひと月ばかり日を要した。
見上げても梢の判らない、壁のような灰白色の木々の間だった。
影で灰の色が濃くなっているだけかと思ったら、人の髪の色だった。
使い神から貰った、毛布という寝具よりずっと大きな落ち葉の上。薄汚れたいでたちで、大の字に、仰向けに転がっていた。
こちらを見上げた瞳の色は黒だったけれど、青が混じっているようにも見えた。
どう話しかければいいのか惑ううちに、向こうが、よぅ、と低声を発した。
「お前も迷子かぁ?」
ヒコが首を振ると、そりゃそうか、と彼はへらりと笑った。
固唾を呑み下してから、ヒコは問うた。
「迷子なの……?」
「……まぁな」
「外へ、戻りたかったら、戻せるよ……?」
男の人は、目に灰色を映した。
「戻りたいのか、解らねぇ」
「……縁を歩き回ってると、つまんなくない? 出口を探して、歩いてるのかと思った」
黒眼が、ちょっと見張られた。
あー……と吐息まじりに漏らして、男の人は白も含んだ黒髪を掻いた。
「そうだったのかなぁ」
ヒコは、そろりと男の人の足元にしゃがんだ。
「迷い込む人は、みんな縁に現れるものね。でも戻るには、内側に作る門からじゃないと無理だよ」
男の人はしばらく黙っていたが、そか、と目を細めた。
長いこと、どちらも口をきかずにいた。
ヒコは話すことが嫌いではなかったけれど、機会があんまり無かったから、他に何を話せばいいのか見当がつかなかった。
外の世界のことを聞いてみたくもあった。が、外に戻りたくなさそうな人にせがむのは、ぼんやりと悪いことに思えた。
やがて、うっすらと辺りが暗くなってきて。
男の人の方から、また口火を切った。
「お前、そろそろ家に帰らないと駄目だぞ。親が心配するぞ」
「――オレ、家は無いよ」
正直に、ヒコは応えた。「親は、オレの場所、すぐ判るみたい。だから、心配しない」
あぁ? と彼は声をあげ、半身を起こした。
「ったく、どうなってんだ、ここは――つーか、お前、娘っ子じゃないのかっ」
面食らって、ヒコは頭を振った。
「男の人だよ」
「お前ーっ、ひょっとして、あのけったいな銀髪野郎の親戚だな!?」
果ての地で銀の髪をした人モドキは、確か今は父だけだった。
「父さんに、会ってはいたんだね」
「腹減ったって言ったら、地面から木ぃ生やしやがったぞ!」
「……オレも、できる」
おかしいコトだったのか。
「何なんだ、お前らはっ。木ぃ生やす術者なんて聞いたこともねぇ」
「オレは――父さんと、外の女の人の子……ヒコ」
古語で〝男の子〟という意味。なんだか、そのまま過ぎる名前だった。
男の人は気が削がれたような顔になった。
古語を知っていたんだろうかと、ヒコが少々肩を落とすと、彼は頭を掻きながら、ぼそぼそ問うた。
「お前、母ちゃん、いないのか……?」
「多分、もう、死んでる」
「……多分て……」
「薬が切れても少し好きだったそうだけど、外に帰りたがって、帰っていったみたい。十四年ぐらい前らしいから、生きてたら九十歳越えてる」
何だそりゃ……と男の人は茫然とした。
ヒコはもう少しだけ詳しく、母の事と、果ての地と外の時間の違いを説明した。
母は迷子だったそうなのだが、ちょっとだけ変わっていたらしい。果ての地の内側を見物したがった。それで、父が興味を持ってしまった。
「媚薬を、飲んでみないかと持ちかけたら、飲んでくれたんだって」
「……お前、それで出来ちゃったのか」
身も蓋も無い言い方だったが、正しくその通りだった。
「父さんは六神に近いから、子供が出来る確率は物凄く低いらしいんだけど。奇跡的に」
「何事も挑戦というヤツか……」
さぁ、とヒコは口をすぼめる。自分の生まれた経緯は、好感が持てなかった。
その後も訊かれたことを答えていたら、日はとっぷりと暮れていた。生まれてから、こんなに誰かと喋ったのは初めてだったと思う。
余計なこともつい明かしてしまった気がしたけれど、真っ暗な中でも耳を傾けてくれて相槌を打ってくれて、嬉しかった。
話し疲れて、そのまま縁で眠ってしまって。
翌朝、目が覚めたら、ネンジという名前のその人が、大きな大きな落ち葉を一緒に被って横で寝ていた。
迷い人は果ての地の内側を、ヒコと一緒に巡るようになった。
少しずつ話してくれて知った、外の事と彼の事は……
北の方の貧しい村落で農業をして暮らしていた。
そんな所でも、それなりにモテていた。
一番好みの女の人と結婚できた。
とても美人の女の子が生まれた。
所々装飾が加えられていると思えたけれど、ヒコには正確なトコロは判断できない。楽しく聞いていた。
子供が生まれて以降の話は、随分と月日が過ぎてから語られた。
家族に少しでもいい暮らしをさせたくて、作物の育ちが悪い冬場は、遠くの地でお金を稼ぐことにした。
手先が器用だったから、ソレを活かした。皇領で奇術や楽を披露して、お金を貰った。
農業より、自分にはむいていると思えた。収入も良かったので、仕送りをしながら皇領の旅を続けた。
帰郷の予定がひと月も延びてしまった。
家族と一緒に皇領を渡り歩くのがいいんじゃないかと気づいて、一旦帰郷した。
当初、かみさんは同行を渋った。けれど、十歳になっていた娘が行きたがって、一家は村を離れ、旅芸人になった。
二年目に、かみさんが二人目を身籠った。
移動を重ねるわけにいかなくなった。子供が生まれるまで、西の小さな街にとどまることになった。
広場へネンジが一人で公演に出かけ、後から妻子が観客を装って来る。時には途中から飛び入りで演じたりもする。意外とソレがウケた。
その日、大きくなってきた腹を抱え、かみさんが一人で現れて。おかしいと思いつつ芸を続ける内、かみさんは何か探す風にきょろきょろし始めた。
公演が終わり、金を集めるのもそこそこにかみさんの元へ行くと、後ろからついて来ていたと思っていた娘が、どうも来ていないようだと言う。
二人で捜して。終いには警備所にも頼んで捜してもらって。
翌朝に、街を出た街道の外れで見つかった娘は、酷いことになっていた。
ルウの民が乗り出してくれて下手人は捕まり、法の通りに裁かれた。
かみさんはしかし、己を責めるようになってしまった。
どれだけネンジがなだめても、聞いてくれずに。
責めて責めて。そのうち腹の子が流れてしまい、更に追い詰められ。
ネンジが日雇いの工事仕事を終えて戻ってみれば、かみさんは首を吊っていた。
給金が手からこぼれた時、他にも色々とこぼれていったな……そう言って、ネンジは微かに笑った。
果ての地をネンジと歩いて過ごす間に、ヒコは十五歳になっていた。
そうして、ネンジが迷い込んで来てから一年近くが経とうとしていた。
二人で夕日が地平に消えていくのを見届けたら、ネンジは草地に寝転んだ。
ヒコも転がった。無意識に、何かと見様見真似をするようになっていた。
日の落ちたばかりの空は、不思議な美しい色合いだった。この世界にはソレを司ると言われている存在は居ないけれど、空には芸術の神が居ると思う。
茜にぼかした群青を混ぜて、真珠色の綿毛をかぶせて。まるきり思いつきで配しているようなのに、どうしてか胸を打つ光景を創り出す。
ヒコがそんな在り来たりのことを考えている時、ネンジは全く違うことを心に生じさせていたらしい。
不意に、さばさばした口調で、中年男は言い出した。
「俺ぁ、そろそろ外に戻る」
ヒコはびっくりして隣を見た。
外の世界は、心がたくさんたくさん痛くなってこぼれ落ちる、縁より悲しい所なんじゃないのか。
「ここ、こんなに綺麗なのに……?」
「あぁ……ここはイイ所だな」
ネンジはそのとき限りの芸術品を見上げた。「俺のかみさんは、えらく気に入ったろうなと思う」
身を起こすと、ネンジは手首に巻いていた艶やかな黒い紐を緩めた。
「これ、アンナイにやってくれ」
「……大事な物じゃないの?」
「かみさんの遺髪だ」
「アンナイ、埋めて、忘れちゃうと思う……」
「いいさ。かみさん、ここ好きだろうし」
アンナイは縁の何処かにうっちゃってしまうだろうから、ヒコはネンジの好きな木の根元に埋めることにした。
黙っていると淋しさが広がっていくから、ヒコは尋ねた。
「外に戻って、どうするの……?」
「俺の娘は皇領が気に入ってたみたいだから、まだ行ってない所を代わりに見て回る」
ネンジは緩やかに頬を撫でる夕風に、くすぐったそうな顔をした。「何より俺も皇領の方がいいみたいだ。ここはどうも足掻きようが無くて――俺ぁ、まだ生きてるのに、実感が湧いてこないのさ」
漠然と、理解できた。
急に、結局は内側も縁のように思えてきて、ヒコは項垂れた。
くしゃりと、髪を撫でられた。
「お前さ、人に近い精霊級なら、ちょっとは外でれるんじゃね? なんなら外で精霊から遠ざかっちまえ。お前にゃ例の手もあるし、やってけるんじゃねぇか。親父もお前の居場所、判るわけだし、そう心配もねーだろ」
「……外に出たら多分、父さん、判らないよ。果ての地の中だから判るだけ」
ありゃそうなのか、と無精鬚を掻くネンジを見て、でも、とヒコは希望を言葉にした。
「いい。オレもいきたい」
外の世界は、やはり生きていくのは大変だった。
それでもネンジが一緒だったので、ヒコは徐々に馴染んでいった。
果ての地には無い事物が溢れていて、この頃は、それを楽しむ余裕も出来てきた。
暑くなってきた。夏になるそうだ。
少し大きめの街に着いた。
もうすぐセンキョというヤツがあるらしい。
物珍しさにあちこち視線を投げつつ歩いていたら、半歩先を行くネンジが肩越しに振り返った。
「はぐれんなよ」
宿場に来ると、いつも言う。
ヒコは、顎を引いた。
「オレ、十五になった。ちゃんとついて行くよ」
ネンジは、ほんの少し目を丸めてから、いたく機嫌良さげに笑った。




