後譚
夕闇に暗く沈む晩冬の森の中を、二十代後半だろう男は勝手知った風情で歩いていた。
ほどなく、木々の合間に一軒家が見えた。窓から明かりが漏れているのを見留めると、男は足を速める。
木造りの扉にごんと拳を当てると、すぐに小さく屋内から足音が近づく。閂を外す音がする。
扉が開いて、開けた若い女が顔をほころばせた。
おかえり、と嬉しそうな笑みに男は菫色の目を細める。
「遅くなって悪かった。具合は――今は大丈夫そうだな」
うん、と女は鳶色の瞳に幸せそうな光を宿して、ほんの微かに膨らみ始めた腹に手を添えた。
「一人の時に困ったら、医術師の所に行くから。大丈夫」
変に我慢するなよ、と男は手を洗いながら忠告する。うん、と女はまた柔らかく応じ、角灯に照らされた食卓に夕餉の皿を並べ始めた。
「わたしのことよりも――薬を届けに行っただけなのに、ちょっと遅いから心配したよ。都で何かあったの?」
「あー、悪ぃ。広場で久しぶりに、ルウきっての恐妻家を見かけて」
湯気の上る汁の器を代わりに運びながら、男は可笑しそうに話した。「あいつ、そろそろメイフェスで暮らせばいいのに。サージ公のくせに、広場で式典準備の監督なんかしてたぞ」
「何の式典?」
「何だっけな……今年はこの国で選挙が始まって四百年目とか言ってたな」
へぇー、と感心したように女は相槌を打ってから、そういえば、と椅子に腰を下ろしつつ言った。
「この前の嵐で、広場のスーの木が酷く折れたって聞いたけど……」
それそれ、と男も向かいに座る。
「あいつ、木の命帯って診れないかな、とか簡単に言いやがった。人間相手もまだ見習いだってのに、俺に訊くな。医術師に訊けってんだ」
女は笑声をこぼす。
男は取り箸で漬物を自分の椀に入れてから、続けた。
「つーか、まぁ、命帯は無理だったんだが、若芽が出て来てんのを見つけてさ。ちゃんと生きてたみたいだな」
「わぁ、良かったねぇ」
「駄目そうなら皇領から株分けするかって話も出てたらしいが……」
「あぁ、皇領って大概、スーの木が広場に植えてあるみたいね」
「リィリの広場のが一番古いんだと。樹齢が四百年くらいいってるそうだ。選挙開始の記念で植えたのかもな」
木匙を手にして、女が思い出すように言った。
「わたし、スーの花、好きよ。白くて可憐な感じ」
「春頃に咲くな。今度、見に行くか」
約束約束、と女がはしゃぐ。ちゃんと連れてくから落ち着け、と男は呆れ顔になった。
こんな日々が、繰り返されていく。
そして又、夜は明け、命は巡る。
これにて本編終了です。
最後まで読んで下さった貴方の明日が、いい日でありますように。
以降の外伝は一話完結型です。




