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そして夜明け  作者: K+
第8章 そして夜明け
20/25

 七の月最終日、夏の日差しの下、街道を進む馬車の窓から深緑の森が見えてきた。

 リィリは美しい国ですな、とユグージャが目を細める。

 何も無い国ですが、と丹亜(にあ)が苦笑すると、いやいや、と老人は顔を皺くちゃにした。

「大陸のほぼ中央に座し、豊かな緑と澄んだ水を湛えた地。再び来れて嬉しいです」

 朝食時にはなんとか身を起こせるようになっていたヒコが、開いた窓から外へ顔を出す。風に黒髪をなぶらせながら、黙って森に囲まれた国を見やっていた。


 予定より遅れたが、昼過ぎには北東の(せき)門が迫った。

 御者台の方から、ものものしいな、と稔滋(ねんじ)の声が起こる。馬を寄せ、主管補佐が告げた。武装した者達がリィリ側に整列して見えると。

 門の傍には皇領側の関の詰所があり、大君(おおきみ)はそこへ一旦馬車を停めさせた。窓から門の奥へ目を向ければ、日の光を眩く反射する槍の穂先が、整然と並んでいるのが見えた。

 馬を降りた補佐が、関所員の礼を受け、リィリ側の関へ向かう。全く臆する様子が無い。

 ほどなく戻ってきた。あちら側に、賓客用に特別仕立の馬車を用意してあると言う。大君が鷹揚に馬車から降りた。丹亜達も後に続く。

 稔滋に肩を借りて歩き出しながら、ヒコが小さく、大丈夫なの? と訊いていた。まぁルウが一緒だからなぁ、と呑気に稔滋が応じる。

 大君が肩越しに振り返って言った。

「弓が配されているようだから、わたしの後ろに居なさい」

 恥ずかしさと情けなさと、怒りと恐れがごちゃごちゃになって丹亜の胸を渦巻いた。

 借りた馬車で(なる)だけを伴って帰国したなら、一体どういう扱いを受けたのだろう。

 自国のこの対応は、ルウの民が居るからというより、丹亜が居るからなのではないか。

 大君、補佐、ユグージャの後ろを、丹亜と成、患者を気にかける医事者と稔滋、ヒコが少々縦列で門に近づいた。

 と、リィリの側からも数人がかりで何か掲げて向かって来た。門の濃い影で見定めきれず、丹亜は瞬く。瞬いて、目を見張った。

 何の真似だ。

 四隅を一人ずつに任せ、煌びやかな輿に乗って叔父が進み出ていた。脇に立つ侍女が一人、大きな団扇で下から輿へ風を送っている。客人を迎える宰相風情がすることではなかったが、四ヵ月前より叔父は太ったようだ。歩行困難にでもなってしまったのか。

 皇領側の(せき)門にまで踏み込んで、叔父は輿を停めさせた。手前の街道で立ち止まった一行に、高みからふんぞり返る。

「ルウの方々、遠路遙々よくぞお越しなされた。月区(げっく)首長就任の御挨拶とのこと、御丁寧に痛み入る」

 慇懃無礼が露骨に出てしまっているが、気づいていないのか、叔父は続けた。「(まこと)それのみのお越しなれば、心より歓迎させていただく」

 王女として穴があったら入りたい思いで、丹亜は自国の宰相を見た。濁って見えてしまう茶色の目が、見返してきた。響く低声を張り上げる。

「そこな王女をこそこそと出国させた下手人が申していたのだが――王女は我が国をルウの民に売り渡すつもりだと――それが真なれば国賊をお引き渡しの上、お帰り願う!」

 リィリ側に居並ぶ槍の穂先が、幾つか動揺を示すように揺れた。丹亜は唖然として、改めてまじまじと叔父を見る。

 死人に口無しなのか――

 思い至るや頭に血が上った。否定を叫びかけた時、一足早く、前方に立つ大君が威厳をもって述べた。

「丹亜殿から、そのような話は一切聞いていない。丹亜殿を出国させた者からは、皇領内で丹亜殿が無事に過ごせるようにと依頼する書簡を受け取ったのみ。何かの間違いではないか」

 書簡とな、と叔父は顔を歪めた。

「真なれば、見せていただこう」

 大君は軽く顔を傾ける。

「貴殿は知古瑳(ちこさ)殿とお見受けする。真偽を疑うのは玻璃磨(はりま)殿も同様か?」

 無論、と言ってのける。ならば、と大君は静かに言った。「先ずは玻璃磨殿に判断していただく」

 輿を担う者達が目を見交わしたのが判って、丹亜は言い知れぬ不安がせり上がってくる。叔父が王さながらに行動している今、父が好んで私室に籠もっているとは思えない。

 叔父は不快気に足を踏み鳴らした。足下の四人が踏ん張るのが見て取れる。

「宰相たるわたしが先に見て、何か不都合があるのか――確かに書簡があるならば見せられように、実は無いのだろう」

 大君が封書を取り出す。

 叔父が忌々しげに、見せていただこう、と再度要求した。が、大君は懐にしまったのが後ろからも知れた。

「このような場所でする話ではないな。わたしは新たな国主として貴国の国主に挨拶に来ただけだが、我等の領内に槍を向けるのが返答か」

 槍の揺れが、持ち主達の内心を示しているようだった。詳しく事情を知らされぬまま集められたのかもしれない。

 肘掛の上で握り締めていた拳を、叔父は苛々した風に開閉させた。

「そちらが先に不義理を示したのだ。書簡をお見せいただく」

 言うなり、ぱんと両手を打ち鳴らす。槍を持った者達が横手にずれ、弓を構えた者達が現れた。

 一斉に矢を向けられて丹亜は身がすくんだ。斜め後ろで、成も声を呑んで足を引く気配がする。しかし間近の前三人は、一向に動じていなかった。

 輿が弓隊と位置を換えるのを見ながら、主管補佐が、ほんの少し下がっていた方がいいかな、と老爺に囁く。言われた通りにユグージャが落ち着いた足運びで数歩下がって、丹亜達もそろそろと後ずさった。

 こんな状況なのに、皇領側の詰所からは誰も出てくる様子が無い。至近で隣国の宰相を見る関所員も冷めた目をしていた。彼等の長が危険にさらされている危機感や緊張感が皆無だ。

 異様な雰囲気の中で、大君が笑みを含んだ声で言った。

「射ってみるがよい。大陸の守護者は、この程度で守護者たるを辞めはせぬ」

 叔父の顔が赤黒くなった。

「何が守護者だ、わたしの国は渡さぬぞっ」

 望み通りやってやれっ、と叔父が吼えた。

 ()があったのは丸腰の相手に放つためらいか。しかし何本かが風を切る。

 途端、丹亜達を囲んで炎の壁が出現した。壁を越えて来ること無く、次々に矢が燃え尽きていく。矢じりの部分だけ、薄く煙を発してぼとぼとと地に落ちた。

 恐慌に駆られたように矢の放たれる音が続いたが、その度に炎が天をついて燃え盛る。矢じりだけが、続々と地に散らばっていった。

 揺れる炎の向こうで、弓を持った者達がうそ寒そうに立ち尽くし始めるのが見えた。丹亜も、暑熱と炎熱に当てられているのに背筋が冷えていた。

 ルウの民は、敵に回すべきではない。その気になれば、大陸全土を支配してしまえる一族に違いないのだ。

 矢の雨がやむと、何処からわいたのかさえ知れぬ火も宙に溶け込んで消えていく。

 大君が、のんびりした口調で繰り返した。

「ルウの民は大陸の守護者を辞めはせぬ。改めて、その表明も兼ねて来たのだ。リィリ国王に会わせていただこう」

 弓隊が、命じられる前から泡を食った様子で弓を下げた。我先に後退する。

 弓隊に押し出されたかのようになってしまった叔父は、輿の上でわなわなとたるんだ頬を震わせていた。こちらを凝視する目に憎悪がある。

 末呉羅(まつごら)とティエが犠牲になっていなかったら、怯んでいたかもしれなかった。丹亜が唇を引き結んで睨み返せば、お前さえ居なければ、と言葉にされずとも突き刺さってきた。

 いつからそれほど疎まれるようになっていたのか、見当もつかない。国を出たがったりしなければ、情けで生かしておくつもりではあったのか。

 だが、今はもう……

 こうなったら大君の威を借りて父の元まで行き、多くの証人の前で王の後継者をはっきりさせるしかない。

 ここに集まっている警邏(けいら)隊は、ルウの民というモノを肌で知った。乞えば、丹亜の身辺を固めてくれる可能性もある。

 リィリの全てが叔父に(くみ)しているわけではないのだ。

 丹亜が気持ちを奮い立たせた時、叔父がこちらへ向け、唾を飛ばして喚いた。

「ズーディ!」

 耳慣れないその言葉は、古語だったのか。

 悠然としていた大君と主管補佐が、ハッと身構えた。丹亜ッ、とヒコの切羽詰まった声に振り返れば、いつも追っていた背中が目の前にあった。

 何――

 稔滋のごつい身体越しに成が見える。

 何故か、茨がその細い足に絡みかけていた。

「お前は……ッ」

 絞るように発した稔滋の手に、雫を散らす小刀が見えた。「(やいば)ぁ向ける相手、間違うな……!」

 ひゅっと稔滋が腕を振るや、小刀が輿近くの石畳に当たって跳ね返る。声をあげ、輿を支えていた前二人が役目を半ば放棄した。

「あ――っ」

 どれだけの者が、等しく声をあげたか。

 輿が跳ねるように傾き、叔父は宙に投げ出され。

 受け身に泳いだ手が虚空をかき、門の石壁に頭からぶつかった。重い音と共に落下する。

 輿を担いでいた者達は、(から)になった輿を肩に乗せたまま固まってしまっている。皇領側の関所員が、倒れている叔父に駆け寄っていった。

 あちゃあ、と稔滋があまり反省していない口調で洩らし、大君が足早に門へ歩き出した。


 突然の事々に、丹亜は瞬きも忘れて人だかりが出来ていく様を目に映していた。が、血を止めねば、とユグージャの切迫した声で我に返った。

 誰が呼びつけたのか、男性に腕を掴まれ、成が詰所の方へ歩かされていた。怪我を負っているようではない。

 これは――と主管補佐が急いた口振りで医事者を呼ぶ。医事者は詰所の者へ、ぐったりとしたヒコを運ばせているところだった。こちらを見るなり、すぐ横に、と叫んで走ってくる。

 補佐に手を添えられて腰を落とした稔滋の腹部が、真っ赤に染まっていた。

「ネンじい――!?」

 小刀を奪い取ったかと思っていたのに。刺されていたのか――

 稔滋は、瞬間移動の陣を通ったヒコのように、額に汗を滲ませていた。イテテ、と苦笑いする。赤い色が、更に濃く広がっていく。

 もう一人連れて来るんだった、と医事者は口走りながら、稔滋の血濡れた服を手早くたくし上げた。へその近くから血が溢れ出している。医事者が何事か唱えた。手がパッと発光する。

 光る手をかざすと傷が塞がっていく。おー……と稔滋が間延びした声を出した。顔色は蒼白になっていたが、痛みが消えたぞぉ、と眉を開く。

 丹亜は心底ホッとして、手拭いで稔滋の額を拭った。医事者が険しい顔つきのまま、そっと運んで、と補佐に指示する。薬湯を作ります、と医事者は年齢を感じさせない俊敏さで詰所へ走り込んでいった。

 傍らに膝をついていた主管補佐が立ち上がると、ふわりと稔滋の身体が浮き上がった。これも魔術か。すうっと静かに詰所へ移動する。

 補佐も後を追うユグージャも厳しい顔をしていて、丹亜は一旦訪れた安堵の気持ちがみるみる萎んだ。ゆっくり移動していく稔滋の胸元が、浅く上下している。完全に治っていないのか。

 ネンじい、と丹亜は幼子のように名を繰り返すしかできなかった。

 上空の色が僅かに混じったような黒い双眸が、丹亜を見上げて細まった。

「ヒコの奴が、使いモンにならねぇんだから、しょうがねぇ……俺が、働かねぇとなぁ……?」

 丹亜はどう応えればいいのか判らず、ただ、泣き笑いを浮かべる。

 さっき、気づいたら成と自分の間に稔滋が居た。

 成が振るった刃を、稔滋が身体で庇ってくれたのだとしか、丹亜には知り得ない。

 詰所の奥には寝台が幾つか並んでいて、手前にヒコが寝かされていた。

 眠っているらしいと判断した丹亜の横で、稔滋も、寝てんな、と呟く。

 隣の寝台に降ろされ、短い呼吸を繰り返していた稔滋は、はぁ、と洩らした。

「あぁ……久しぶりに、よく働いたぜ、今日は」

「――うん」

 明日はいい日だ、と、稔滋と丹亜は同時に口にした。

「だな……」

 稔滋は嬉しそうに破顔し、そのまま瞼を閉じ。

 二度と目覚めなかった。

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