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そして夜明け  作者: K+
第1章 東の月が沈む
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 異母弟は一週間(六日)ほどで完治したものの、父の風邪は長びいていた。

 私室で、丹亜(にあ)は苛々と、巻物庫から見つけ出した記録を目で追っていた。

 他国の女性王族も、リィリ王国のような理不尽な扱いなのかどうか。

 どうもリィリだけである。

 しかしながら、ロマ公国の継承も怪しげだ。リィリと逆で、かの国は女性だけが代々君主となっている。長子が男児だった場合、抹殺されているのかもしれない。

 乱暴な話だ。大体、継承権を消したいなら王族から外すだけでよいではないか。なにも殺すことはない。

 このような考えは、甘いんだろうか……

「そろそろ亭柄(ていえ)様がおいでになる時間です」

 同い年の侍女が声をかけてきて、丹亜は噛んでいた下唇を結び直した。知らず、片端が上がる。

(なる)、ティエ様とお呼びしないと嫌がられるのに」

 年配の侍女が卓上から巻物を片づける間に、成は盆に茶器を用意し始める。一足早く十五になった侍女は、同い年の気安さか、ちょっと口をすぼめた。

「真名を頂けるのは、とても名誉なことです」

「故に、放棄はしていない」

 丹亜は両手の先を組んで伸びをする。「ただ、親から贈られた自分の本名が好きなんだそうよ」

 今は亭柄・ティエと名乗っている丹亜の師は、六暦一四一年生まれ。百年代半ばは、身分が高いとされる人々が、名に片仮名ではなく真名を使い始めた頃だ。

 現在では、民衆でも、生まれた子に片仮名で名をつける親は皆無と言っていい。平和が訪れ、大陸全体で識字率が向上した所為で、真名はじわじわと普及していた。

 ティエは姓さえ持たない貧しい生まれだったが、こつこつと知識を蓄え、王族の師として先代のリィリ国王に迎えられた人だった。

 末呉羅(まつごら)が生まれ、その師も請け負った際、これまでの功績も讃えられ、改名の許可と共に真名を授与されたのだ。

 最初、ティエは教え子でもある現国王に、迷惑ですな、ときっぱり断ったらしい。

 だが、なんなら真名を三字使ってもいい、と、これまた教え子で褒美の提案者だった叔父が粘り、渋々受けるに至ったそうだ。

 今も、真名の字数で地位や実力を示すのが流行っている。

 王族の如く三字も使った名を公式の書き物に書かされる羽目になるのだけは、回避したかったようだ。

 廊下から、やり取りの微かな声が聞こえた。

 丹亜が侍士に目で頷き、扉が開く。

 左手で巻物を幾つか抱え、右手の杖で身体を支えた老師が、ゆっくりと入室してきた。侍女の引いた椅子に、どさりと腰を落とす。

 週の三日目は史学を学んでいた。

 宜しくお願いいたします、と双方が背筋を正し、授業が始まる。早速に、丹亜は口火を切った。

「月の国はどうなったのですか」

 これまで、語学と関わりない、算術と関わりない、と回答を拒否されてきたのだ。

「統治者と国名が変更されました」

 ようやく答えてくれながら、師は巻物の一つをほどいた。大陸東部の地図だ。

 東方は、人が右を向いた横顔にも見える。月の国は、眼窩から鼻梁にかけ、名の如く三日月のような形だった。

 月の国には皇領の三地区が接している。北西をサージ地区、南西をティカ地区、西をアル地区。こうして見れば、元より、ルウの民の脅威を最も受けていた国なのだ。二百年は、もちこたえた方なのかもしれない。

「月の国は代々首長が後継者を指名してきたわけですが、今回、指名されたのはルウの民だったわけです」

「魔術なる怪しげな技にモノ言わせたわけではなく?」

 疑いを丹亜が口にすると、嘆かわしいと言いたげに、老師は杖を両手に握った。床を突く。

「殿下はどうも、ルウの民を敵視なさる傾向がおありですな」

「危険視しているだけ」

 師は杖頭(つえがしら)に両の掌を乗せる。

「猜疑を持つなとは申しませぬが、上に立つ者として、それを前面に置く姿勢は望ましくありません。そのような心配は廷臣にさせれば宜しい」

 丹亜はムッとした。

「わたくしは廷臣のようなもの。されば望ましい反応でしょう」

 へらず口に、老師は瞼を押し上げるようにこちらを見た。

「いずれ国政を担っていかれる御方が、何を仰っておられるのか?」

 赤錆び色の視線を受け止めた丹亜は、鼻の奥がツンとした。

「ティエ師でも御存知ないことがおありか。わたくしは女性(にょしょう)として生まれたが故、国政に関わりたくとも資格が無い」

 垂れ気味の瞼が、瞬きに合わせてふるりと動いた。

「初耳です」



 授業を終え、丹亜は不機嫌に異母弟の部屋へ向かった。

 ティエは初耳と言いながら、何か知っている気がした。

 (とお)のみぎりから師事しているのだ。向こうもこの五年間の丹亜を知っているだろうが、こちらも同じだけ時を共有している。

 継承についての質問という形で食い下がりたかったけれど、末呉羅の風邪がぶり返したらしいと知らせが来て、断念せざるを得なかった。

 歳の離れた異母弟は丹亜に懐いてくれていて、異母姉上(あねうえ)と遊びたいと、熱に浮かされながら洩らしているらしい。二妃も継子の丹亜を嫌な顔せず迎えてくれるので、見舞うにやぶさかではなかった。

 丹亜は、幼い頃から風邪もあまりひかずにいる。リィリにおける乳幼児の死亡率は低くないから、大層幸運と言えた。

 健康な分、おてんばだった。ほんの数年前まで、侍士や侍女を随分と振り廻していたものだ。

 先導する侍士二人の背を目に映し、下唇を噛む。

 ずっと、この身を護る為に従ってくれていると、疑っていなかった。しかし、もしかすると逆の可能性もあって就いているのだ。

『猜疑を持つなとは申しませぬが――』

 先程聞いた師の台詞が思い出され、前歯に力がこもる。

 父は熱が上がったり下がったりを繰り返しており、いささか頬がこけてきている。今は詰問も相談もできず、丹亜は何を信じていいのか判らなくなってきていた。

 残る頼りはティエくらいしか居ないのに、はぐらかすような態度をとられては……

 末呉羅の私室が見えてきて、丹亜は雑念を振り払う。

 熱に苦しんでいる幼子と看病で疲れている母御に、気鬱を気取られるわけにはいかない。

 侍女に悟られただけでも、どういう態度であるべきなのか混乱しているところだった。

 本当は、丹亜はとうにこの世に居なかったかもしれず。

 丹亜に仕えてくれている者達には、別の人生があったかもしれない。名ばかりの王族にかしずくより、もっと有意義な。

 廊下の敷物が、ここ数日、やけに細く感じていた。


 部屋に入ると、すぐに二妃が申し訳なさそうに歩み寄ってきた。丹亜にとっては母よりも姉と言った方が自然な年齢で、今年二十二歳である。

「今し方、眠ったところなのです」

 丹亜は微笑して応じた。

「睡眠が一番の治療と聞いたことがあります」

 熱で赤らんだ寝顔を見舞い、〝母上の言う事をよく聞いて早く治すように〟と紙葉(かみは)に書いておく。

 葉を寝台脇の小卓に置いた時、水差しと杯の他に薬の包みが目に留まった。父の所にあった物より質素な紙質に眉根が寄る。

 ()(がみ)はまだまだ貴重で、質の良し悪しは見ればすぐ判る。中にくるまれている物も、紙質を見れば判ってしまう。

 東の異変という情報を持ち帰った商人は、薬は扱っていなかったのか。それとも混乱によって扱えなかったのか。

 御身も大事にしてくださいと二妃に告げ、丹亜は辞去した。

 苦々しい思いを抱え、自室へ戻る。

 こんな時に、ルウの民に呑み込まれるとは。

 速やかに国政の交代が成されていればいいが、いきなり怪しげな術を使う一族に移譲されて、そう巧くいくとも思えない。かの国の民衆はいい迷惑だろう。

 物流に支障が出るであろう大陸各地も同様だ。

 老師は、そのような危惧を全く口にしなかったが。

 東の果てへは、馬を用いても、片道で三ヵ月かかるという。

 往復で半年か。

 私室で長椅子に背をあずけ、丹亜は天井を巡る梁を睨み据えた。

 半年後には十五になってしまっていて。

 〇歳の従弟の婚約者としてしか存在を許されなくなっていて。

 従弟が無事に成長したとしても、成人後しか婚姻を認められていないリィリでは、丹亜が婚の儀をするのは早くて三十歳ということになる。

 それまで又も十五年もの間、無駄に生かされて……?

 笑声がこぼれそうになった口を覆う。のけ反って、涙が滲みかけた顔に両手を押し当てた。

 どう考えても、形ばかりの妻ではないか。

 そこまでしても、自分は生きるべきなのか?

 判らない――判らない……



 翌日、小康状態になった父が執務を私室でこなしていると聞いて喜んだのも束の間、異母弟がいっ時、危篤状態に陥り。

 幼子がなんとか持ち直した二日後の朝、丹亜は城を出た。

 薬草を摘んでくる、という口実で。


 馬車ががたりと横揺れし、天井から下がった紐を掴む手に力を込める。

 斜め右に座す同乗の成は、揺れに酔ってしまったのか、青白い顔をしていた。

 その隣のティエは、目を閉じているのか、瞼に覆われて瞳が見えなくなっているのか、判然としない。杖を床の毛皮に突き通しているかのように立て、揺れるがまま、皺だらけの両手で握り締めている。

 何処でこの老師を下ろすか、丹亜は決めかねていた。

 同行するつもりは微塵も無かったのに。

『一応、お止めしに参りました』

 そう言って、城の門前で乗り込んできた。

 薬草を摘んでくるだけです、と建前を口にすれば、承知しております、と応じたきり、どっかりと座って梃子でも動く様子が無かった。

 不貞腐れた気分が顔に出ないようにしつつ、丹亜は馬車の小さな格子窓から外を見る。城下町を過ぎてからは、森の合間に集落、畑地、牧草地が現れては消えるの繰り返しだった。

 三、四日で辿り着ける王家所有の森林の一つは、国の東南に広がっている。線も曖昧な国境を越えた先は皇領アル地区だ。

 薬を買いに行きたい。王族が直々に出向けば、混乱している月の国でも、それなりの薬を得られるのではないか。

 昨日、叔父に談判したら、やや迷いを示したものの却下された。

 そなたが行く必要は無い、と……

 成人し婚約すれば、女性王族の身で国外に行く機会など無いだろう。

 だから、成人前に外の世界をこの目で見ておきたい。

 それらも付け加えて懇願したら、今度は即座に、駄目だ、と言われてしまった。

『半年もかけて商人の真似事をするくらいなら、未来の夫の世話をした方が有意義だろうて』

 小馬鹿にしたような叔父のその言葉が、丹亜の反骨心に火を点けた。自棄という名の火薬もごく近くに積まれていた為、爆発するのに時間はかからなかった。

 城を抜け出すと告げたら、侍士や侍女は当然ながら止めてきた。

 止められるのは判っていた。一人ででも行く。そなた達は知らなかったと白を切れ、と言い切り、叔父に談判した時と同じ理由を吐き出した。

 すると、近侍達は、叔父が歯牙にもかけなかった〝付け足し〟の方に同情したようだった。

 分かりました、と年配の侍女が供を申し出てくれ、結局、丹亜付きの三分の一が薬草摘みのどさくさに紛れて出国することになったのだ。

 二頭立ての箱馬車二台に分乗し、残りは騎馬。一同半年間の長旅を覚悟してのことだのに、ティエの乱入は出端を挫かれたとしか言いようがない。

 齢七十の老爺を、用意も無く半年も連れて歩けるわけがなかった。かと言って、馬車から叩き出すわけにもいかない。

 夕闇迫る頃、先行させた侍士と地方貴族の出迎えを受け、その日の宿となる(やかた)に到着した。

 丹亜はここの(あるじ)に、ティエを城まで送ってもらおうと秘かに手配した。

 が、翌早朝、老師は既に馬車に乗り込んでいた。

 驚きに顔が引きつった丹亜の前で、ティエはしれっと、年寄りは朝が早いものでして、とのたまった。


 明日には王家の森へ着くという夜。泊まった館で、やむなく、丹亜は正直に師に話した。

 ティエの返事は、承知しております、だった。

「実際に経験せねば納得しかねることはございます。故、お止めしには来ましたが同行にとどめている次第」

「……帰国まで半年はかかる。ティエ師の分まで支度を整えていないのです。特に旅費」

 歯がゆさに丹亜は目を落とした。城から持ち出せたのは、丹亜の個人的な宝飾品だけだ。薬の代金を含めて、ぎりぎり足りるか足りないかだと侍士から聞いている。

「此度のこと、国費に手をつけなかった点は評価いたします」

 宰相の許可が得られれば国費で出立しただろうから、褒められた気がしない。

 唇を噛む丹亜の前で、ティエは続けた。

「そも、概ね殿下の認識は甘うございます。旅程の大半を皇領で過ごすのですぞ。必ず泊めてくれる貴族の館なぞございませぬ。如何なさるおつもりか」

「野宿を厭うつもりはない」

「口で言うは容易いですな」

 カッとして睨めば、ばちりと、赤錆び色の視線とぶつかった。「随行の者達が、それをさせるとお思いか」

 否だった。

 解っていることを指摘されたのが腹立たしい。

 泣くのは悔しくて、奥歯を噛み締める。

 そのつもりが無くとも、丹亜はこの我儘で、既に色々と彼等に強いてしまっている。

 今回、同行している者達だけでなく、城に残ることになった者達も、下手をしたら咎められる。王女の出奔を見過ごしたことになるのだから。

 衝動に抗えない己の青さをさらけ出され、丹亜はもう、駄々をこねるしかできなかった。

「でも、いきたいのだ……わたくしは」

 老師は重そうな瞼を閉じ、後は何も言ってくれなかった。

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