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そして夜明け  作者: K+
第6章 月の滲む日
16/25

 丹亜(にあ)(なる)が広間に行くと、長椅子から心配げにヒコが立ち上がった。稔滋(ねんじ)は背もたれに深く沈んだ格好で、見上げてくる。空いた座面をぽんと叩かれ、丹亜は素直に座り込む。

 二人の姿を目にしたら、緊張がほぐれた。息をついてから、周囲に聞かれてもいい部分だけ告げる。

 紙片を開いて、真名が多いな、とこぼしてから、稔滋が言った。

「まぁ、今日一日は返事を待ったらどうだ。公衆浴場にでも行って、美味いもんでも食って。九時までに宿へ戻りゃいいんだろ」

 成が賛意を示し、座り直したヒコも、そうだね、と同意する。

「働き過ぎは良くないよ」

 そそ、と稔滋は斜向かいの椅子でのんびりしている白髪の老爺に目を投げた。

「こちらの爺さん、もうすぐ八十だってよ。長生きの秘訣は、無理しないことだそうだ」

 老人は先程から成をちらちら見ていたのだが、水を向けられて皺だらけの顔をくしゃりとさせた。存外、明晰に言う。

「後は、女子(おなご)にときめくことだ。お連れは魅力的な娘さんではないか」

 ウチの看板踊り子、と稔滋がへらへらして、成は仕方なさそうながらも立ち上がった。その場で華やかに一回りしてお辞儀する。やんやと老人は拍手した。こういう日もあるから長生きはするもんだ、と満足そうに笑む。

 じゃあひとまず宿に戻ろうということになり、老人に軽く頭を下げてから四人は腰を浮かせた。座面についた丹亜の手に、稔滋が目を向けてくる。

「お前、ソレ目立つから、もう外しといた方がいいな。大事に懐にでも入れとけよ」

 指輪のことだと判り、それもそうかと丹亜は指から抜く。成が肩をすくめた。

「結局、役に立たなかったのよ、ソレ」

 そうか、と稔滋が頭を掻いた傍で、不意に老人が、それは――と声を発した。見やれば、こちらに向いた目が大きく見張られている。

 旅芸人が持つには高価過ぎる装飾品かもしれず、丹亜は咄嗟に握り締めた。稔滋が誤魔化すように、あー、と何か言いかける。

 一瞬早く、老人が口走った。

「丹亜殿下……?」

 え、と四人は異口同音に洩らす。

 老人が丹亜を上から下まで眺めだして、ヒコがするりと視界の間に割り込んだ。四倍以上年上の相手に、何、と鋭く問う。

 まるで動じず、老爺の声が懐かしげに言った。

「丹亜殿下なんですな? なんとまぁ、お美しくなられたものだ」

 ついさっきまで本物の美女に釘付けだった人物から言われても、説得力に欠ける。表情を決めかねる丹亜の脇で、稔滋が四人共いだいているだろう質問をぶつけた。

「爺さん、なんで知ってんだ」

玻璃磨(はりま)陛下から頼まれてその石を届けたのは、わしだからな。かれこれ、五年前か。殿下はまだ小さくて、わしが伺った時は男を相手に、城の庭で木刀を振り回しておいでだった」

 本当に知っている。確かめるようにこちらを見る稔滋とヒコに、丹亜は頷く。ヒコが一歩横にずれて、丹亜は長椅子で背筋をのばし、座したままの老爺を見た。

「お恥ずかしいところをお見せしたようです。貴公は、父と個人的に? お名前を伺っても宜しいですか」

「これはこれは、こちらこそ御無礼を」

 老人は細身の身体を揺する。居住まいを正したのかと思えば、するすると周囲に居た人々が立ち去りだす。何が始まったのかと言いたげな者も居たが、近くの者に何事か囁きと共に渡されれば、納得したのか移動していく。

 他に誰も広間に居なくなると、老人が名乗った。

「わしは、ユグージャ・ヘリドットにございます」

 耳に覚えがあった。稔滋も同様だったらしい。

「え、それって――」

「つい先頃まで、この地の首長をやっておりました。陛下とは国での御縁でしかありませんでしたが、今後は個人的にお願いしたいですな」

 ルウの民にこの地を移譲した張本人。

 驚きが強く、反応が遅れた丹亜に先んじて稔滋が言う。

「先代が何やってんの、こんなとこで」

「余生を楽しんでいるに決まっている」

 悪戯っぽくユグージャ老人は応じてから、ふと真顔になった。「ところで、殿下、薬を御所望なんですな」

「は、はい。父と異母弟(おとうと)が、度々体調を崩しておりまして――」

 陛下も、と老人は白眉を寄せた。

「解りました、わしが急ぎ手配いたしましょう」

 ありがたい話だったが、どうにも唐突だった。

 丹亜は慌てて、国自体へ流通を望んでいると、窓口で訴えたことを繰り返す。ユグージャは何度も頷いた。

「そちらもわしの持つ商隊から都合をつけます。後日、改めてお話を持って伺いましょう」

 あっと言う間に話がまとまってしまい、丹亜だけでなく他の三人もぽかんとしていた。

 丹亜は、外交の手腕も経験も持たず、理想だけを携えてきた青い小娘でしかなかった。その限界に思い至り、たちまち自信が無くなる。

 人生に於いても国政に於いても大先輩である元首長を、丹亜は窺い見た。

「その……実は、わたくしは正式なリィリの使者として来たわけではないのです。流通に関して、我が国も視野に入れていただけないかと個人的に切望しておりますが……豊かとは言えぬ国ゆえ、話が反故になる可能性が少なからずあります」

「大よそ、存じております。宜しいですよ。今は行路がかなり安全になりましたからな。新たな顧客獲得という面で、多少の冒険ができる時代になっております。利が無いとなれば引かせてもらうまでですので、御心配無く」

 肩の力が抜け、ありがとう、と丹亜は頭を下げる。良かったな、と稔滋がぽんと背中を叩いてきて、丹亜は顔が緩む。

 だが、ユグージャは一転、沈痛な面持ちになった。

 殿下、と呼びかけてから、老人は言葉を選ぶように床に落とした目線を揺らした。やがて、こちらをじっと見る。

「ほんの数日前に、早馬にて、悲しいことを知りました」

 広間に差し込む日の光が、翳った気がした。

 ユグージャは間をおかず、続けた。

「五の月半ば、末呉羅(まつごら)殿下がお亡くなりになったそうです」

 息を呑む音は成のものか。

 丹亜は寸時、呼吸を忘れていたように思う。

 間に合わなかったのか……

 たった五年しか生きずに、逝ってしまったのか……

 言葉の無い四人に対するユグージャは、淡々と言を継いだ。

「殿下、御希望の薬を揃えます。整い次第、急ぎ国へお戻りなさいませ」

 ゆるゆると顎を引く丹亜の脇で、そうだな、と稔滋が代わりに応じる。ユグージャは、そっと立ち上がった。

「先行投資だ。馬車も用意しよう」



 宿の部屋に戻ったのは、何時だったのか。

 何処で夕餉の卓を囲んだのかも、うろ覚えだった。食え、と稔滋に何度か言われた気がする。無理矢理、何口か食べられただろうか。

 こんな(ざま)では国を担えないと心の奥から叱咤が起こるけれど、名ばかりの王族なのだから構わないのだと言い訳する自分も居た。

 異母姉上(あねうえ)、とあどけなく慕ってくれた顔が思い出されて。

 末期に傍に居てやらなかった己が、どうしようもない人間に思えて。

 五の月半ばは、見知らぬ者達に媚を売り、小銭集めをしていたのだ。

「末呉羅様は、元々身体が弱かったのよ……しょっちゅう風邪をひいてたわ……」

 寝台で横臥する丹亜の背後で、ぽそぽそと成の声が聞こえる。「わたし達が国を出る前に、いっ時危うくなって……なんとか持ち直してたんだけど……」

 見舞った丹亜に、いずれ異母姉上(あねうえ)をお助けするの。早く元気になってティエ師に色々教えてもらいます、と健気なことを言っていた。

 嗚呼……

 生温かな涙が顔を横切っていく。後から後から、溢れてくる。

「生き切ったってコトだな」

 稔滋の低声が言って、足音が近づいてきた。「誇れる異母弟(おとうと)じゃねぇか、なぁ」

 当然だ。丹亜の小さな異母弟は、後継ぎの王子として精一杯生きていた。

 唇を噛んだ時、寝台の足元が沈み込んだ。

「異母弟に恥ずかしいぞ、そろそろしゃんとしろ。九時になる」

 丹亜は唇を引き結んだ。重い身を起こすと、泣き過ぎた所為か頭が痛んだ。稔滋は丸く濡れた枕を見やって大袈裟に肩をすくめる。「顔、洗え。そんなに泣かれたら異母弟も困るだろうよ」

 新たに涙が溢れそうになって丹亜はぎゅっと目をつぶる。成が桶を持って駆け寄ってきた。

 そろそろと顔を洗い始めると、別に泣いたっていいじゃん、とヒコがぽそりと言う。悪かぁないけどよ、と稔滋は応じた。

「俺ン時はあんまり泣くなよ、ヒコ。それよか景気のいい曲でも奏でてくれや」

「何言ってんの」

 ヒコが顔をしかめる。ボケる前に言っとかねぇと、と稔滋はニヤリとした。

「草原の人間ってのは、墓ぁ見たってそうだろ? 陽気に、生きた(あかし)を見てもらった方が嬉しいのさ。お前の笛は俺が伝授したんだからな」

「……コツを教えてくれただけで、後は独学だったような気がするんだけど」

 ヒコは呆れたように言いながら、隣の寝台に腰を下ろす。「まぁオレの時も、泣かれるより、そっちの方が肌に合ってるから、そうして」

「お前、当分先の話だろ」

「ネンじいこそ、ユグージャ爺ちゃんより長生きしそうじゃん。秘訣のまんまの暮らしだよ」

「二人共、こんな時になんて話をしてんのよ」

 成がピリピリした声をあげた。顔を拭っていた丹亜は少女の袖を押さえる。

「いい――少し、気が紛れた」

 涙で濡れていた耳元も拭いながら、丹亜は小さく笑んだ。「わたしも、できれば賑やかな所に葬られたい。それが叶うなら、わたしは、墓石も要らないかもしれない」

「墓石無しか。まぁそれもアリだなぁ」

 稔滋の相槌を聞きつつ、末呉羅はひっそりとした王家の墓地に埋葬されたのだろうなと思えば、不覚にもまた目頭が熱くなりかけた。

 生き切ったとはいえ、僅か五歳では己が墓所のことなど考えもしなかったろう。それも哀れに感じられた。

 まさか丹亜も、成人前にこんなことを語り合うとは、予想だにしなかったわけだが。

 末呉羅は機会を与えてくれたのだ。

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