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そして夜明け  作者: K+
第5章 月へ続く道
13/25

 後二、三週間で皇領月区(げっく)という辺りまで来ると、小さな街でも、やけに活気のある所が増えてきた。

 食堂で聞き耳を立てていれば、近くの卓の会話ならなんとか聞き取れる。はしたないと自嘲しつつも、行商人風の者達と見れば、丹亜は会話に耳を澄ませていた。

 判ったのは、月の国が皇領となってから、治安がより安定し、経済効果が上がった事。為に、周辺三地区も繁栄のおこぼれにあずかっている事。

 ルウの民はこれまで三大家が一地区ずつ皇領統治を担当していたが、月区も加わったことで新たに位を設けたらしい。主家の(おさ)が早めに退位し、最高峰としてオオキミなる座に就いたという。

 月区はつまり、ルウの民で最も権力のある者が治め始めたのだ。

 中立を誇る一族の長が(あるじ)だから、国府に賄賂だの貢物だのは横行しない。集う商人の質も向上してきているようだ。

 二ヵ月半以上皇領内を旅して、丹亜(にあ)も流石にルウの民にいだく印象が変わっていた。

 自国と比べれば尚のこと、見習えるべき箇所が多々ある。

 口惜しいのは、リィリに戻っても、恐らくこの経験を活かせない点にあった。

 王女などに生まれたばかりに。



 今日も僅かなり月区へ近づこうという朝、いつものようにヒコの目覚めが遅かった。

 他の三名はもはや慣れたもので、軽く食べられる物を手配しておいて、荷を整える。

 ヒコ以外は殆どいつでも出立できる頃になって、ようやく少年がもぞもぞと起き出した。おはよ、と重そうな瞼をしばたたかせる間に、朝御飯貰ってくる、と成が階下へ降りていく。

 稔滋(ねんじ)が寝台の足元に腰かけ、片胡坐を組んだ。

「そろそろ、もうちょい早く発ちたい。この先は(がく)と踊りだけでもなんとかなるだろ。まぁ、俺が奇術や射的を披露してもいいし……手ぇ使うのは抑えたらどうだ」

 うん……とヒコは緑がかった黒髪を掻く。

 確かに気温が高くなってきているので、昼が迫ってからの移動開始は馬も人も負担が大きい。本来は小休止を取るような時刻だ。

 水の入った桶を渡すと、ヒコは礼を言って受け取る。次いで丹亜は仕切を運んでくる。稔滋は仕切が無くても平然と着替えだすが、こちらとしては見たくない。

 仕切を設置しながら、なんとなしに丹亜は問うた。

「ネンじい、前に精霊級から遠ざかれば早めに起きられるようなことを言ってたけど、それは凄く難しいわけ?」

 顔を洗っていたヒコが、ぶほっと桶の水を吹き出した。寝台に水を撒き散らした上、顔からぼたぼた水を垂らして、ネンじいっ、と少年は咎める声をあげる。

 水を吹きかけられた稔滋は、おいぃ、と口を歪めてから言う。

「女連れなんかになっちまう前に、済ませときゃ良かったんだよ。だから言っただろーが」

「あーもう、何でもかんでも喋るなよ!」

 珍しく乱暴な口調でヒコが遮る。丹亜は眉をひそめた。

「一体、何……」

 稔滋は立ち上がり、ヒコを窺い見ながら、まぁなんだ、と顎鬚をさすった。

「人としてのコトをするか、人しかしないコトをすりゃいいんだとさ」

 髪の代わりに草生やされたいか、と低くヒコが呟く。稔滋は音を立てて仕切を寝台の方へずらしつつ、こそっとこちらへ囁いた。「要するに繁殖か殺しだ」

 後者はともかく、前者のようなことでも精霊からは遠ざかってしまうのか。

「それで……その、勧めてるわけ?」

 飄々としている稔滋だが殺人は勧めまい。異性と契れと安易にそそのかしているのだろう。

「何事も経験だぜ。女にはそうそう勧めねぇけど、奴ぁ男だ、別に良かろうによぉ。なのに、惚れた同士じゃなきゃヤなんだとさ。乙女かっつーの」

 聞こえてんだよ! とヒコが叫んで稔滋の頭に寝間着代わりの短衣が降ってくる。

「今頃反抗期かよ。遅ぇな」

「桶を投げつけられなかっただけマシと思え!」

「分別あって結構だな。宿に迷惑かけんなよ?」

 稔滋がへらへらして応じたところへ、(なる)が皿を持って戻ってきた。焼きパンに何か挟んであるようだ。パンがほんのりと焦げたいい香がした。

 仕切の方を見て、成は小卓に皿を置く。誰か、何か叫んでなかった? と小首を傾げた。丹亜は曖昧に笑む。さぁね、とヒコが不貞腐れた声音で言いながら仕切をどかした。出てきた顔が耳まで赤い。

 成には聞かれずに済んだんじゃないかな。

 きっと、ヒコが一番聞かれたくなかったのは成で。だから稔滋も、さっさと暴露したに違いない。

 胸の奥が微かに痛んだのは何故なのか、丹亜は解らなかった。



 七の月が近づき、大陸西北の国は過ごし易い気候になりつつある。

 どっしりとした椅子に備えられた敷物も、厚手の毛皮から薄手の絹になっている。

 それに座す壮年の女は、そのようなことよりも、他に意識が向いているようだった。

 落日に染められた広い室内には、他に二人、男が居た。椅子の脇に立っている者と、椅子の足元で片膝をついている若者。

 すると? と椅子の肘掛を女王は指先でトンと叩く。

「かの者の提唱に則れば、次はアレが継ぐわけか?」

 傍らの宰相が目を糸のように細め、口髭を揺らす。

「例の()がようやく効いたとなれば、玻璃磨(はりま)王もそろそろですかな」

「さてな。そも文献には、特別な呪法を用いねば効果は出ないとあったろう。田舎の侍医風情が、よしんば製法通りに作ったとて完全な物が出来ているやら」

 女王は薄く笑って足下を見た。発言の許可を得て、若者が口を開く。

「現在、小康状態ですが、王子逝去で相当に憔悴している由。安静を口実に、私室にて軟禁状態にすることが完了しているとのこと」

 手ぬるい、と女王はつまらなそうに言った。

「混乱に乗じて葬ってしまえば良かったものを。責任は侍医がとってくれように。この()に及んで、アレは決断という責を余に押し付けるつもりではあるまいな」

 やや不機嫌になった女王に、宰相は少し腰を屈めた。

「そろそろ正式な知らせも届きましょう。一応、弔問の使者を出します……如何なさいますか」

「弔問のみで戻せ。下手に接触を図るな。そこまでして、益も僅かな飛び地は要らぬ。ルウが月の国を手に入れたように、いずれ綺麗に手中にできそうだからこそ、余も助言をしてやっているまでだ」

 投げやりな口振りで応じてから、女王は若者を見て青い目を眇めた。「まだ何かあるのか」

 二、三、と若者が低頭する。纏めて申さぬか、と女王が大きめの赤い唇を曲げると、焦った様子で報告を始める。

「玻璃磨王は王子の葬儀を終え、すぐに二妃を地方の離宮に遠ざけていました。お役御免が囁かれていたのですが、最近になって、どうも懐妊しているらしいとのことで――」

 ぬ、と女王が一声挟んだが、若者は早口に言を継いだ。「王弟妃は息子の後を追わせてやれと焚き付けているようですが、知古瑳殿はこの件についても手をこまねいておいでです」

 更に若者は言いかけたが、女王が唸って口をつぐむ。

「手ぬるいどころではないな。何をやっているのだ、あ奴。よく宰相が務まるものだ」

「万が一男児が生まれては、フリダシですな」

 呆れたように同調し、宰相は髭を撫でる。女王が短く、続けよ、と眼前に促した。

「これは噂の域を出ないのですが、知古瑳(ちこさ)殿は国王となった暁に、二妃を側室として迎えたがっているそうにございます」

 細密画が描かれた天井を、女王はちょっとだけ仰いだ。

「浅まし過ぎて、付き合いきれんな」

 宰相はその件については意見を述べず、御苦労、と若者に告げる。だが、若者はうろたえたように口を開閉させた。まだあったのか、と宰相が苦笑いする。

 全て申せ、と女王が眼光鋭く若者を見た。

「引き際を誤って、くだらぬことに巻き込まれるわけにはいかぬ」

 若者は急いで言上した。

「王女が、生きておりました。皇領アル地区から月区に向かっている由」

 無言で女王は半眼を閉じ、肘掛に頬杖をつく。宰相が顔をしかめた。

「今になって誇示か……」

「おめおめと帰国したなら、ルウの民への売国を謀った国賊として扱うと。知古瑳殿は、これは断言しておりました」

 以上です、と若者は頭を下げる。何が〝以上〟だ、と女王が若者を見据えた。

「尻の青い王女が、同年の侍女と二人だけで旅ができるわけなかろう。同行者は何者だ。もし王女が(まこと)にルウと(よしみ)を持つ機会でも得れば、国賊云々は通用しなくなるぞ。知古瑳は気づいておらぬのか」

 確かに、と宰相が呟く。若者は目を白黒させるばかりで、もうよい、と女王は退室させた。

 徐々に薄暗くなっていく部屋で、女王が忌々しげに言った。

「例の、ろくに何も聞き出せないまま死なせてしまったらしい老人……」

「皇領出身の知恵者となると、懸念材料が多いですな」

 そうだ、と女王は鼻で息をつく。

「衰弱死という話だったが自死の可能性もある。死を賭して王女を送り出したとすれば、何か託しているやもな」

「……我が国と知古瑳殿の関わりを、見抜いていたでしょうか」

「なれば余は、もはやお遊びの国取りなどしている場合ではない。早めに退き、関を引き締めなくては。我が国まで皇領になってしまう」

 女王は唇を歪めた。「それだけは、ならぬ」

 御意、と静かに宰相が応じた。

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