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そして夜明け  作者: K+
第1章 東の月が沈む
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 城の一室に、淡く日の光が差し込んでいる。

 傍らで低く紡がれる講義に、丹亜(にあ)・シャラ・リィリは欠伸を噛み殺していた。

「――そして我が国の前身たる緑の国は、六割を譲渡したのであります」

 本年七十歳を迎えた老師は一旦、口を閉ざす。赤錆び色の双眸が、じろりとこちらを見た。「何か、御質問は」

「ありませぬ」

 師は、嘆かわしいと言いたげな目をした。

「六割ですぞ。国土の半数以上をルウに委ねた御先祖のお考えに、興味は無いのですか」

「興味は既に。巻物庫にて記録を読んだ故、建国の祖のお考えは解っているつもりです」

「されば、かの決断について殿下のお考えをお聞きしたいですな」

「わたくしに聞いたところで何とする。ルウと七賢者によって六暦は始まり、二百年もの間、平和を享受し、今に至る」

 丹亜は口早に応じた。「つまりは正しかった。わたくしの考えなど、どうでも良くはないですか」

「狭まったといえども残された王国を受け継がれている方々には、一考いただく必要がございます」

 莫迦莫迦しい、とぼやきたいのを丹亜はこらえた。

 丹亜は現国王の第一子ではあるが、女性の為、王位継承権は無いも同然らしい。

 つい最近になって知ったのだ。

 ずっとリィリ王国では長子が後を継いでいて、性別で継承権の有無が生じるなど思ってもみなかった。

 宰相を務めている叔父の話では、これまでたまたま(・・・・)第一子が男性だったので、そのまま継承されていただけらしい。

 すぐに巻物庫で系図を確かめた。三代目は女児が第一子だったが二歳で死去している。その後は、男児、男児、男児……

 十七代目の父まで一~三人目が男子続き。

 継承権について書かれたのは、三代目の頃にしたためられた物だけ。表現が曖昧だった。

【父祖、エイリ・リィリの血を引く者が王となる。】

 叔父が言うには〝王〟であるからして、男子にのみ継承権は生じるそうだ。

 四十五歳になる父王は宰相と協力して善政を布いているが、やや身体が弱い。

 それもあって、丹亜は国を背負うべく懸命に学んできた。もう半年で成人(十五)を迎えるに当たり、一層気を引き締めていたのに。

 叔父の言う通りなら、王位継承権の筆頭は弱冠五歳の異母弟(まつごら)にある。

 末呉羅(異母弟)は、父に似たのか病弱だ。

 花冷えに又も風邪をひいたそうで、この講義が終わったら見舞いに行くつもりだ。

 御覧ください、と老師は机上に大陸全土の古地図を広げた。

 現在の大陸より円に近い。今は南西で島になってしまっている風の国が、しっかりと陸続きだ。

 師の節くれて皺だらけの指が、大陸中央に楕円を描く緑の国を示し、その西に当たる上下二国に移る。

「かつて緑の国は、サージソート王国やヴィンラ島と同じ程の領土だったのです。サージソートの前身である水の国も領土は譲渡しておりますが、その割合は一割ほど。僅かなものです。当時、三ヵ国の国力は拮抗しており、緑の国だけが六割も譲渡する必要性はありませんでした」

「史実には尤もらしく書かれているけど、実際のところはシセをルウと取り合った挙句、負けて自棄になったんではないかしらね」

 投げやりに丹亜が言うと、老師は再び、嘆かわしい、と言いたげな目をした。机に立てかけていた杖を手にして、薄い敷物越しに床をこつこつ叩く。

「恒久平和を求め、ルウを見込んで譲渡された。正に英断です」

「国土は広過ぎない方が治め易く、各国の外はルウが皇領化した。皇領は国に非ず。よって現在の五ヵ国は国境を接することなく、争うこともなくなった」

 飽きるほど繰り返し教えられてきた。

 丹亜は大袈裟に息をつく。

「ティエ師、当時のルウや七賢者はそれで合意してめでたしめでたしでも、今後ルウの民が侵出して来ない保証はあるのですか」

 老師はようやく、瞼の垂れかけている目を嬉しそうに細めた。

「ルウの民は遙か海の向こうに、大陸と同じ程の大きさの、メイフェス島という彼等だけの楽園を得ております」

 それだけですか? と呆れて更に追及しようとした時、部屋の扉が小さく叩かれた。

 室内の隅に控えていた侍士が両開きの扉を薄く開ける。扉を叩いた者との短いやり取りの後、足早に侍士が近寄ってきた。

「陛下が体調を崩され、御寝所に向かわれた由にございます」

 丹亜が眉根を寄せる間に、老師が古地図をくるりと丸めた。

「本日はこれまでにいたしましょう」

 ありがとうございました、と丹亜は軽く顎を引いて目礼した。


 増改築を繰り返した城内の廊下は入り組んでいる。石床の中央に細く続く敷物の上を、丹亜は早足に進んだ。

 敷物の外縁を、侍士が前後左右に一人ずつ進む。そのまた後ろに侍女が二人、必死に息を乱さぬようにしながらついて来る。

 行き交う人の流れが緩いことから、父の容態はさほど悪くないのが察せられた。察せられたが、歩調を変えずにそのまま王の私室に着く。

 大きく縦に長い扉の前で、国王付きの侍士が低頭していた。

「侍医の診察が先程、済みました」

「して」

「お風邪をめされたとの診断にございます」

 相わかった、と丹亜が頷くと侍士が扉を開く。

 末呉羅(まつごら)のモノがうつったか。

 侍女を一人伴って部屋に入りつつ、丹亜は思った。

 異母弟(おとうと)が風邪をひいたらしいと知ったのは昨日のことだ。父は一国を背負うには優し過ぎる人で、丹亜よりも先に時間を作って見舞ったろう。

 東方渡来の硝子を嵌めた窓は閉められていて、室内は少しもわっとしていた。

 寝室へ続く扉の前にも、近侍が頭を下げて控えている。(おもて)を、と告げ、続けて丹亜は問うた。

「薬は」

「侍医が処方いたしました」

 あったのか。

 ほっとして、丹亜は扉へ歩を進める。

 ヴィンラ島で医事に関する秘術が編み出されたと噂が伝わってきているが、真偽の程は定かではない。

 最近、浅瀬を埋め立てて(いにしえ)の大陸のように陸続きにしようという計画もあがっていると聞くが、これもあやふやな情報だ。

 何せ、国と国の間に茫漠な皇領が在り、国外の実情を素早くしかも正確に知るのは、意外と困難だった。頼みの綱は行商人くらいだ。

 その彼等も、全て教えてくれるわけではない。

 ほぼ確かなこととして丹亜が知っているのは、東方、月の国には大陸中から様々な物品が集まっているということだった。

 大陸中央のリィリではなく、東端の国に。

 大陸近海は比較的穏やかで、広い港湾を持てる地勢の月の国は、造船や航海の技術が突出している。海運でも商品を出し入れできるのだ。

 薬も、良く効く物が量も種類も豊富にあるらしい。

 侍女を扉の外で待たせ、丹亜は寝室に入った。

 一隅の椅子に居た国王付きの侍女が音も無く立ち上がりかけたので、手で制す。居室より小ぶりの室内には、中央に大きな寝台が鎮座していた。

 枕に沈み込んだ父の頭が見え、瞼を閉じた顔の安らかな様に安堵する。

 脇の小卓上に水差し、杯、畳まれた薬包紙があった。薄紙の簡素さに眉をひそめる。もどかしい心地になった。

 もう少し、薬の買い付けを増やすべきではないか。高価ゆえ、そうそう増やせぬのは解っているが。

 侍医の作る薬も、効き目が皆無というわけではないけれど。渡来の薬が足りずに、丹亜でも作れそうな薬を処方されると……

 緑の国はその昔、物流の要所で、大陸の要と言われた時期もあったらしい。

 今、リィリ王国は、ただ中央に在るだけの国になってしまっている。

 食の自給自足は成っているが、特筆すべき産業が無い。良質の木材を輸出しているものの〝森林を無闇に減らすべからず〟と父祖の遺言があり、細々としたものだ。

 やるせない気分で、丹亜は父の私室を後にした。

 次は異母弟の部屋に向かう。

 途中で、泡を食った様子の若い廷臣が横切りかけた。

 貴族の筈だが、酷い狼狽ぶりだった。丹亜を見留めると、礼もそこそこに喋り始める。侍士や侍女が顔をしかめたことに気づく余裕も無いようだった。

「たっ、只今、出入りの商人より恐ろしい知らせを受け、へ、へ陛下にお目通りを――」

「陛下はお風邪をめし、臥せっておられる。宰相ではならぬ知らせなのか」

「は――そっ、そうでした、宰相閣下がいらした。閣下にお目通りを――」

 丹亜は苦笑しそうになるのを懸命に抑え込んだ。

 叔父は父の実弟であり、宰相として父と共に国政を担っている点に、強烈な矜持を持っている。今の発言を聞いたら眉を逆立てそうだ。

 この年若い貴族は廟議にきっちり参加していまい。国王が病弱で、このところ宰相におもねる廷臣が増えてきているというのに、呑気なものだ。

 まぁ、この小国で地位を上げたところで大した益は無いしな。身の安全さえ保持できれば、没落しても構わないと思っているかもな。

 病臥していると聞かされた国王について一言も無く、慌てた風に貴族が立ち去りかけ、たまりかねたように侍士の一人が口を挟んだ。

「その恐ろしき知らせ、丹亜殿下にもお伝えしておくべき内容ではありますまいな?」

 ああっ、と貴族は口を横っ開きにして振り返った。

「殿下もお聞きください――つ、月の国が、先頃、月の国が皇領になったそうなのです――!」

「な――」

 丹亜だけでなく、侍士も異口同音に声をあげた。侍女も息を呑む気配が起こる。

「次は我が国の確率がっ、非常に高いと、商人が申しておりまして――」

 侍士の一人が、一足早く立ち直って問い詰めた。

(まこと)ですか、それは」

「複数の商人が申すのです。名称も、皇領ゲックと改められたとのことで」

 なんだその、おくびとしゃっくりの混じったような名は。

 つまらないトコロに丹亜が引っかかっている間に、急ぎ閣下にもお伝えせねば――と貴族はあたふたと去っていった。

 このような大事は速やかに口止めを図らねばならないのだ。己の未熟に丹亜が気づいたのは、翌日になってからだった。



「知っていた。半月ほど前に知らせが届いた」

 次の日の夕食後、丹亜の私室へ訪れた叔父は、当然のように言った。「兄上が昨日臥せられたのも、その件の心労が嵩んだ故かもしれぬ」

 丹亜は一瞬、下唇を噛んだ。声が震えそうになる。

何故(なにゆえ)、教えてくれなかったのです」

「兄上も動揺していたし、わたしも同様だ。そなたに教えたとて同じことだろう」

 今年三十六歳を迎える叔父は、少々出てきた腹を揺すり、乾いた笑声を洩らした。「兄上など〝もはや我が国も、王国である必要性は無いのかもしれない〟などと世迷言を申されたくらいだ」

 よもや廟議で? と寸時血の気が引いたが、違うと丹亜は自答する。そのようなことが廟議にあがっていれば、流石に丹亜の耳にも届いていた筈だ。

 侍女が卓上に緑茶を置き、部屋の隅にさがる。

 叔父は太い指先で温度を確かめるように茶器を取った。丹亜も両手で湯気の上る陶器を包みながら、得体の知れない不快感をいだく。

 月の国が皇領となった知らせは、昨日の内に、あっと言う間に城中に広まった。広まった翌晩に、わざわざその件だけで宰相が来たとは思えない。

 酒を飲むように叔父は茶器を傾けた。人払いを望む気配は無い。

 我慢できずに丹亜は尋ねた。

「わたくしに話があるのでしょう」

「でなくては、来ないだろう」

「仰ってください」

 叔父を見据えて促してから、ちらりと壁際の侍士や侍女へ目を投げる。受けて退室しかける彼等にも届きそうな、響く声で宰相が言った。

「成人前のそなたに、他に聞かせられぬような話などしに来ないぞ」

 同い年の侍女と目が合い、その女性的な姿形を目の端に映したまま丹亜は主張した。

「わたくしは今年、成人です」

「冗談も判らぬのか。晴れて我が娘となる頃には判るようになってほしいものだな」

 とどまっていた者達によって、室内の空気が、一瞬、固まった。

 気まずげにうつむいた侍女から、丹亜は叔父に目を移した。茶色の双眸が澄まして見返してくる。

「冗談を申しているのではない。今宵は、そなたを我が愛息子(まなむすこ)の妻に迎えたいと言いに来た」

 しばし、丹亜は小さく口を開けていた。やがて唇がわななき出し、言葉を絞り出す。

「父上も、そのように……?」

「今のところは、そなたが頷いた後に喜んでいただこうと考えている」

「わたくしが頷くとでも!?」

 声を荒げると、苦々しげに叔父は顔を歪めた。

「やはり解っていなかったのか――」

 何を、と喚きそうになった丹亜に、ぐっと叔父は顔を寄せてきた。不意に、地を這うかのように声を落とす。「よいか、これまで王家第一子の女子(おなご)男子(おのこ)誕生と同時に消されてきた。そなたは義姉上(あねうえ)が命と引き替えに産み落としたが故、兄上とわたしの情けで生かされているにすぎぬ」

 莫迦な――

 頭の中ではそう叫んでいたが、丹亜は瞠目することしかできなかった。

 叔父の瞳に、見開かれた丹亜の赤土色の目が映っていた。地下で暗く燃える松明の火のように、赤く揺れている。

 呪詛の如く、低い叔父の声が鼓膜を震わせた。

「これは、この先もそなたを生かす為の縁談だ。成人を迎えると同時に公表する」

 その心積もりでいるように、と続けた台詞は、元の声量に戻っていた。

 茶を飲み干すと、叔父は部屋を出ていく。丹亜は、礼儀を以って見送ることができず、茫として椅子に座ったままだった。

 丹亜様、と年配の侍女の小さな声がして、目だけ上向ける。気遣わしげな顔があった。

「御承諾なさるのですか……?」

 同じ部屋に居たとて、壁際までは距離がある。そこで控えていた者達に、ひそめた会話までは聞こえなかったか。

「簡単には……決めかねるな」

 応じた声が掠れ、問うた侍女は大きく同意の頷きを返してくる。茶器を片づけていた同い年の侍女が、痛ましげな目をした。

 無理もない。

 叔父の子息はただ一人。

 今年の初めに生まれたばかりだった。

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