⑦
前の話の続きです
シルドに言われたとおり、目を瞑っているが、
低く、呻くような声が時折聞こえるたびに、体の底から凍り付くような感覚になる。
その声から逃げたくなり、レリアは耳も塞ぎ、独り静寂に取り残されていた。
暫くすると、肩が叩かれる。
ようやく、自分に温かな呼吸が戻ってきたように感じ、耳から手を外した。
「さぁ、目を開けて・・・・安心して下さい。悪霊はもういません。」
そう言われ、レリアはそっと目を開ける。
焦げ付くような匂と、シルドの背後に未だ燻る炎が見える。
黒い炎は随分と小さくなり、自分をさっき襲ってきた者は、もうただの黒い塊のように成り果てていた。
「あ、悪霊...?あれが?」
やはり、ただの幽霊とは違ったのかと、レリアは炎を見ながら思った。
「ええ。見るのは初めてでしょう。…怖い思いをさせましたね。」
「いえ、いや、あの、…助けて下さってありがとうございます。」
シルドの心配そうな瞳が、じっと此方を見ていて、もう大丈夫ですとレリアは伝えた。
「…本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですってば。怪我もないので、心配しないで下さい。」
レリアの大丈夫を信じていないのか、暫くシルドは訝し気な目線でレリアを見ていた。
「・・・なら、いいのですが。」
自身の目でも、レリアの体に傷がないかを確かめたシルドが、少し納得したように頷いた。
「本当ですって。それより…あの、悪霊って、一体何者なんですか?」
手を伸ばしてきた、あの存在は何なのか、シルドに尋ねた。
「悪霊とは、亡霊の堕ちた姿と言えるでしょう。」
(まさか、シルドさんってあんなのと対峙してるの?)
レリアは、ちらっと炎の中の塊を見るも、先ほどの光景がやはり頭から離れずに、もう動いていないのを見て、再び安堵の息をつく。
「生前犯した罪の重さにより、死者には苦しみを伴う呪いが纏わりつきます。
反省し、悔い改めれば呪いは消えていきますが、そうでなければ呪いは強くなり、やがて狂う事になる。
こうなると、悪霊になり、周りの亡霊や生者にも危害を与えるため、魂ごと焼き尽くすか、地下の収容場所に連れて行くかの2択になります。」
杖の先の炎を見せながら、レリアに伝える。
「先ほどの 彼 は、生前に妻を殺しました。罪の意識は低く、悪霊化が進んでいたため、収容されていましたが…。どうやら、逃げ出してここまで来たようです。」
(彼・・・・。男の人だったんだ。)
性別など、分かるような感じではなかったが、業の深さが、彼をあのような姿に変えていったのだと思うと、背筋が寒くなる。
「ちなみに、焼かれるとどうなるのですか?」
「...文字通りの消滅です。次の旅路へは、残念ながら行けません。」
ぱちぱちと、炎がはじける音が、耳に残る。
(・・・・私が、あそこにいたから、シルドさんは、私を守るために・・・彼を・・・。)
「...レリア、もうあの姿は、悪霊なのです。まして、罪から逃げて、生者を傷つけようとする者に、情けは無用。貴方が罪悪感を感じる事はありません。」
顔が曇るレリアに、シルドは声を掛ける。
「慰めてくれてありがとうございます。…でも、もし、罪を認めて、反省する機会があったのかと思うと・・・。」
レリアの目は伏せられ、行き場のない苦しさが、胸に渦巻く。
「悪霊堕ちになると、元の亡霊には戻れません。それに、悪霊の力は自らの魂。悪霊でいる期間が長引けば、いずれ魂を使い果たし、どのみち自壊していきます。」
シルドに、貴方は悪くないと、言われていても、あの燃やされていく魂をみて、生前に殺人を犯していたとしても、どうしても胸が痛む。
(それに、彼らを燃やさなくてはいけない時、シルドさんは...)
悪霊に、毅然とした態度だったが、思うところがないわけではないはず。
「…シルドさんは、その…この仕事、辛くないですか?」
未だ、目が伏せられているレリアを見て、シルドがさらに窓に近寄る。
「…。辛くないと言えば、嘘になります。」
「ですが…。」
言葉を区切ると、レリアを優し気に見つめ、城の壁に杖を置く。
「ここには、私を支えてくれる者が沢山います。」
「...貴方も含めて。」
窓の縁に手を乗せて、落ち込んでるレリアの両手に、そっと手を乗せ、下に向けられている彼女の瞳を覗き込む。
外は城の内よりも低い位置にあるからか、レリアとシルドの2人の目線が重なった。
「この仕事をするにあたり、私は決めていることがあります。」
重なるシルドの手が、優しくレリアの手を包み込む。
「それは、私にとって、大切な人たちを、最後まで守り抜く事です。」
今まで見たことがない、シルドの真剣な眼差しを、一心に受け止める。
「貴方を守るためにした事を、私は後悔しません。」
「ですから、笑っていて下さい。私は、そのために、ここにきたのですから。」
だから泣かないで下さいと、シルドは、レリアの雫が光る瞳に、指を添えて掬い上げた。
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ジゼルに連れられて、レリアは部屋へと戻っていった。
流石に今日の出来事は、堪えたのだろう。
夕食もとらずに心配だと、料理番から伝えられた。
「後で様子を見に行きましょう…。」
先程2人が触れ合った場所の窓の縁を、名残惜しそうにシルドは撫で、窓の扉を閉じる。
次の瞬間、彼女を想っていた瞳の輝きが、一気に消え失せ、ほの暗い怒りに支配される。
そして、もう、命の輝きが一切失われた、灰の塊にしか見えない「もの」に近づいた。
「・・・・よくもまあ、私の前で。」
未だ燻る炎と、黒い塊に、靴の底を乗せる。
その様子を、膝をついている霊たちが無音のまま、見守っている。
「貴方方も気を抜かないように。
遊ぶのも、ほどほどにして下さい。」
周りにいた亡霊は、シルドの言葉に立ち上がり、敬礼を表して、闇に溶け込んでいった。
「...永夜の眠りから、醒める事が無いよう。」
黒炎によって、跡形もなくなって炭になった「それ」を、ぐしゃりと黒檀色の靴の底で、シルドは丁寧に踏み潰した。
大分、登場人物の性格が見えてきた回かなと思います。




