⑥
数日が経ち...
大分幽霊の存在に慣れて来た。
というか、慣れざるを得なくなった。
最初は空間がぼやける程度だったが、今ではもう顔以外の身体の輪郭がはっきり分かってきて、嫌でも毎日視界に入ってくるからだ。
城の中にいる幽霊は、基本的にシルドの召使いなのか、雑務をこなしている姿をうっすらと見かける。
メイドらしき幽霊が、廊下を行ったり来たりし、洗濯物や箒と一緒に浮いていたりする。
しかも、結構いっぱいいる。何人働いているんだろう。今まで気づかなかったのが、不思議なくらいだ。
ぺこり
中庭で薔薇の剪定をしている幽霊が、私に気付いて挨拶してくれる。
こちらも、バイバイと手を振って、返事を返す。
とまあ、こんな感じで、幽霊との交流は順調だった。
会話は直にできないが、紙に文字を書いてくれて、意思の疎通が測れる事が分かってから、どんどん手紙を書いて読み書きを覚えていった。
と言うより、思い出しているのか、単語を覚えていく度に、違う単語がすーっと頭に浮かんでくるからだ。
シルドさん曰く、共通語と言っていたし、記憶を失う前の自分もおそらく使っていたのだろう。
ちなみに、部屋によく来てくれる幽霊のジゼルさんと、文字の練習をしていると、他の霊達も偶に、扉の前に手紙を置いてくれる。
書き置きには
「掃除お疲れ様でした。」
「勉強頑張って下さい。」
と書いてあったりもした。
幽霊だらけで、かなり最初はビビりまくっていたものの、蓋を開ければ優しい世界でした。
だが...
大人しく、礼儀正しい印象を受けていたが、ここ最近、窓やバルコニーから見える幽霊達が、そのタイプに入らないとわかった。
というのも...。
筋肉を見せつけてくる。
今も窓に、何体か貼り付いている。
部屋の外に出れば、彼らは必ず出現してくる。
中途半端にまだうっすらとしか見えていなかった頃は、窓に沢山の手の跡が残っているのが見えて、完全に恐慌状態になり、部屋まで走り抜けてしまったが、
今では、そんな彼らとの交流が、一番幽霊の中でも長いかもしれない。
前に首を傾げたら、ものすごい勢いで落ち込まれた。
可哀想に感じて拍手を送ったら、もう最後、会う度に筋肉の美の祭典が開かれるようになってしまった。
しかも、人数がどんどん増えていく。
シルドに彼らの事を聞いてみると、死んでもそれが生きがいなので、気にしないで下さいと言われた。少し呆れたような感じだったので、まあ、見るからにタイプが合わなそうだし、色々と大変なのかもしれない。
この城の訓練所と思われる場所で、日頃は肉体を磨いている様だが、幽霊って身体鍛えられるの?という疑問には、シルドにふふっと笑われて、誤魔化された。
とまあ、自己主張強火な幽霊もいるなーと、個性豊かな彼らと接しているうちに、怖さより楽しさに印象がすっかり変わってしまった。
今日も廊下の窓から、ふんっという幻聴が聞こえるぐらい、やたらと何人か見せつけてくる。
多分、反応があるまで続けるつもりだろう。
(暇なのかな?)
仕方ないので、こちらも応戦する。
手に持っていた燭台を、そっと窓の縁に置く。
出来る限り、両腕の服の袖をたくしあげて、きりっと目を鋭くし、なけなしの筋肉を、こちらも見せつけてみる事にした。
ちらっと見ると、飛んだり跳ねたりと喜びの舞を見せてくれる幽霊達。
なんだかんだ、このノリは嫌いではない。
すると突然、窓がガタガタと音がしたと思ったら、いた霊が消えていた。
(いつもなら、もっと遊んでいくのに。)
そう思い、窓を開けると生温い風が、城へと入り込む。
もう行ってしまったのかと、周りをよく見ると、なぜか先程の幽霊達が、外のすぐ近くの石畳あたりで塊になっていた。
(何あれ?筋肉団子みたい。)
「どうしたの?」
窓の手すりに手をかけたその瞬間、ひやりと背中に悪寒が走り抜けた。
筋肉だるまになっていたのではない。
彼等は、必死になって何かを押さえ付けていた。
「...ああ゛....お...ま..,」
言葉は、血の様な黒い、のっぺりとした液体と共に吐き出された。
「え...、ひっ!」
レリアは恐怖で身体が竦み上がる。
蒼白く身体が透けているが、他の幽霊よりも、はっきりと輪郭が見える。そのせいで、「それ」の異様な姿が分かった。
髪ふりみだれ、窪んだ目からは、正気を失っているかの様にギョロギョロと忙しなく動き、口や瞼から黒い液がぼたぼた滴り落ちる。服はぼろぼろで胸の真ん中が、ぽっかりと空いており、空いたそこからも、黒い液体が落ち続けていた。
突如、何かを見つけたかの様に目が見開き、此方に視線が向けられる。
「返せ。」
「何...?」
「返せ。かえせかえせ!」
そう言うと、押さえていた霊を振り払い、一気にこちらに向かって手を伸ばしながらとんでくる。
(もう駄目だ!)
そう思い、咄嗟に目を瞑る。
「...近寄るな。去れ。」
聞き慣れた、低めだが、視界の闇に響く様な声がした。
その瞬間、つんざく様な金切り声が、霧の夜に木霊し、静寂が訪れる。
閉じていた目を恐る恐る開くと、見慣れた黒い背中が目の前にあった。
-----------------------
「し、シルドさん...。」
「...大丈夫ですか?」
背中を向けていた身体が、此方を振り返り、指で頬をそっと撫でられる。
「傷は…ないようですね。」
「はい…大丈夫です。」
窓の外から、シルドの安堵する表情に、
レリアの、極度に緊張していた身体が、ゆっくりと解きほぐれてゆく。
「今の…一体、何ですか?」
シルドの後ろを恐る恐る見ると、「それ」はいつの間にか、黒い炎に包まれ、苦しみの声を上げながら悶えていた。
「…。質問にお答えしたいのですが、暫しお待ち下さい。」
突如、シルドの背後から、何かが、ぐわりとドロドロに溶けた様な手を、ゆっくりこちらに伸ばしてきた。
「わっ!」
「往生際の悪い方だ。」
窓際に置いとある蝋燭の火と、シルドの持つ、杖の先の蝋燭の炎が共鳴するかの様に、轟轟と音を立てて燃えた。まるで、彼の怒りに、炎を灯したかに見える。
「レリア、目を瞑っていて下さい。すぐに終わりますから。」
シルドは言い終えると、杖先を「それ」に真っすぐ向ける。
ーーー「冥炎よ、焼き尽くせ。」
その何かは、一瞬で黒い業火に、再び包まれた。
先程よりも、火の勢いが尋常ではなく、夜の空高くまで、灰が舞い上がっていく。
黒く、赤い十字の怒りで歪む瞳が、灰になっていく様を睨めつける。
同じ炎を身に宿した男は、その黒炎にまみれた「それ」が、声をあげなくなるまで、見送った。
ちょっと、長くなったので、話の続きは次の方に持ち越します。




