⑤
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自室の北棟に続く手前の一室…蔵書が眠る部屋は、2階の螺旋階段の上の方まで、空間にぎっしりと本棚が天井高くまで覆っている。
人の一生では読み切れないほどの量があり、見る人を圧倒させる光景だ。
なんとなく、古い本の独特の香りが漂うが、レリアはその匂いが嫌いではなかった。
2人は、手分けして必要最低限の燭台に火をつける。すると沢山の書物が、温かな光に照らされて、ぼんやりと浮かび上がった。
レリアはいつもの様に、机と椅子が置かれた、窓の近くの場所に向かって、書くものの準備をしながら待つ。
暫くすると、奥の暗い本棚の方から灯りが段々と見え、シルドが何冊か本を手に持って、こちらに戻ってくるのが見えた。
「今日はこれにしましょう。」
机にランタンを置いたシルドが、本を差し出す。
灯りに照らされた本を見ると、劣化はしていたものの、表紙には絵があった。
髪が長い女の人が、王冠を携えた王様と思しき人から、剣を貰っているような絵だ。
レリアは何処かで見たような既視感を覚える。
(この絵…というか女の人?なんかどっかで見た事ある気がする。)
「これは、どの様な本なんですか?」
「今日はこの城の国の歴史を、簡単に分かりやすく説明した絵本をお持ちしました。」
「絵本…。」
まだ、絵本レベルな自分の語学能力に打ちのめされるも、レリアは、先ほどの見覚えのある感覚が間違いではなかった事に気付く。
「…この女の人、どっかで見たと思ったら、あの天井のステンドグラスの人!」
表紙を凝視しながら、レリアが声を上げる。
確かに絵は剥がれかけていたが、横顔と髪色が一緒だった事もあり、同じであると繋がった様だ。
「そうです。よく分かりましたね。」
そう言いながら、シルドは年季の入った本を、まるで慈しむかの様な手つきで、優しく撫でた後、
絵本を開いて、彼女の前に置く。
「では、さっそく訳していきますので、単語を覚えて下さい。」
シルド臨時講師のやり方は、単語や文を挿絵と一致させながら覚えさせるという、極めてシンプルなもの。
だが、伝えるのが早いため、ついていくのに精一杯...かと思いきや、反復して吸収する方が得意なレリアは、何度も自学を繰り返す事で覚えていき、以外にも相性が良い。
シルドの長い指先が、すっと絵本の文字をなぞっていき、訳と単語を同時進行で伝えていく。
「1章まで、進めていきますので。」
覚悟して下さいと、聞こえてきそうなシルドの様子を見たレリアは、文字通り机に齧り付くように、一生懸命書きはじめた。
そんな2人の姿を、霧の隙間から、朧月が薄らと照らしていた。
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かの小さな場所は、下界に落ちた小さな天界
宝珠さえ羨ましがる、豊かで美しい大地が広がっていた
山を削れば宝石の河
木々には実る果実の楽園
大地に稲穂が果てなく広がる
それゆえ、周りの国々に狙われ続け、ついに魔の手が迫り来る
それを止めたのは、我らが守護者
人でありながら、神を屠るその強さ
住まう我らは讃え、天上が答えた
守護者ではなく、守護神となれ
人が勇者となり、神へとなった彼女に、王様は贈り物を授けた。
それに守護神も答え、永劫の守りを誓った。
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絵本の1章を略すと、こんな感じになる。
ありきたりな神話の様だと考えていると、シルドが問題を作り終えたのか、紙を渡される。
「では、こちらをどうぞ。」
(今日の本は、まだ分かり易い方かも)
内容は絵本なのかと言いたくなるほど、小難しい言い回しが多いが、生活に必要な単語もそれなりに載っている。一応後で自室に持って行こうかなと考えながら、レリアは解答を進めていく。
「はい、できました。」
「では、確認しますね。」
渡された紙を手に、シルドは自分の書いた文字と真剣に向き合っている。
(んー、やっぱり顔立ちはかなり整っていると思う。)
いつも暗い所にいるからなのか、肌は白くてそばかすもない。私より肌質が良さそうで羨ましいと、レリアはシルドの顔を見続ける。
特に印象的なのは、おそらく目だろう。
見え方によって、青くも暗い紺にも見えるが、目の中心だけは、いつも煌々と輝いて見える。
やっぱり星みたいと、常々レリアは思っていた。
何というか...瞳孔が白ってかなり珍しいのでは?
形も丸くなく、十字に切れているが、不思議と惹かれる瞳だ。
住んでいる場所も場所だから、当初は警戒して随分挙動不審だったが...
綺麗な所作で食べているが、大食いで結構甘い物が好きな所、
記憶喪失な自分に、根気強く付き合ってくれる所、
行ってきますと、城にいる雰囲気とは違う、仕事へ向かう真剣な姿や、ちょっと、自分に悪戯するのを楽しんでいるのも。
シルドの事を、少しずつ知っていく度に、嬉しいと感じる自分がいる。
まだ、彼に対しては謎が多いというのに。
(私って面食いだった...?)
自分ばかりが、勝手に信頼を寄せているような気がするも、受けた恩は、必ず返したいとは思っている。
(…ここを去るその日までは。)
そう考えていると、いつの間かシルドが此方をじっと見ているのに気付いた。
「・・・・終わりましたよ。」
「ああ、すみません!ぼーっとしてしまって!…どうでしたか?」
なんだかちょっと...真剣な目つきで此方を見るシルドに、添削結果があんまり思わしくなかったのかなと、紙を怖々受け取る。
「いくつか、間違いがあるので教えましょう。」
「ああああ、全問正解じゃなかったか…。」
(戻ったら必ず復習しないといけないな…。)
今日は自信があったのになと思いつつ、何が違ったかを確認する。
確かにいくつか間違っていたが、1つ、合ってそうな疑惑を見付けた。
「…?これ、ここの文字、合ってませんか?」
「見せて下さい。」
紙をシルドと一緒に覗き込む。
「これです。」
「…ここは、こうするんですよ。」
そう言うとシルドは立ち上がり、座っているレリアの後ろに回り込む。
何をするのか考える暇もなく、突然、シルドの指先が、筆を持つ自分の手の甲に自然と重なった。
彼の少しひんやりとした体温が、自分の高めの体温と触れ合って、自分とは違う手の形の境界を、より感じてしまう。
「ここは、こう書きます。」
右手はすっぽりと包まれ、指の節々が重なるたび、その大きさも違いも実感する。
「そして、こちらは先ほどよりも長く。」
流れるような美しい筆の動きを追うよりも、耳元で、囁かれる様に近づかれ、急な接近にレリアは思わず固まって、それどころではなかった。
今、自分の顔が物凄く赤面していると分かりながら、耳元で話していたシルドを見ると、意地悪気に目が細まっていた。間違いない。確信犯だ!
「もう!!!揶揄うのやめて下さい!!!しかも、合ってたんでしょう!!」
「ふふふ。」
顔を赤くさせながら、レリアは静けさを保っていた本の部屋で大声を上げる。
言われた本人は、怒られていると自覚をしながらも、楽しそうにその声を受け止めていた。
自分が記憶を失う前の異性関係はどうか分からないが、シルドの妙に近くなる距離感に、レリアは未だ慣れずにいた。
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勉強会が終わり、疲れたような様子で、レリアはシルドと共に、メインホールへ向かっていた。
「…では行ってきます。先に部屋へ戻られて下さい。」
「昼食はどうしますか?」
「私は後で頂きます。これから少し寄るところがあるので。」
そういうと、シルドは外套を手に、再び、ややこしげな服の装飾を付けはじめた。どうやら、また外回りに行くらしい。
(いつも思ってるけど、このジャラジャラした装飾品、ほんとにいるのかなぁ?)
何のためにつけているか、気になるものも、多々ある。
とくに、最初の頃も疑問に思っていたが、その腰回りの鎖。
幽霊でも捕まえるのかと想像すると、笑みを浮かべながら、嬉々として捕まえるシルドが頭の中に浮かび上がり、慌てて消し去る。
「昼食は、今日は作って置いておきますね。」
シルドは、準備を終えて、襟元を正してレリアの方に向き合う。
「では、行ってきます。」
「はい、気をつけていってらっしゃい!」
庭園へと続く、メインホールの大きな扉が閉まるまで、レリアは笑顔で彼を見送った。
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夜の帳が落ちた暗闇に、シルドは緩やかに道なき道へ一歩ずつ足を進める。
「...。」
花がすっかりなくなり、葉だけが残る白樹をそっと撫で、足を止める。そして、城の北棟のある方を、物憂げに見上げて暫く眺めていた。
杖を持ちながら、ブーツのコツコツした足音が闇に響く。
その近くに、何体かの霊が集まりはじめる。
シルドは足を止めて、彼らの語りに耳を傾けた。
「...心配ですか?」
「●●●…」
「はあ...。3ヶ月したらきっかり出て行こうとするなんて...薄情な方だ。」
目を細め、愁いを帯びた眼差しで、シルドは城を眺めていた。
暫くすると、視線を外して踵を返す。
「大丈夫ですよ。此方から出たとしても、帰る場所はここ以外にはないですから。」
「あと2ヶ月後...ふふ、楽しみですね。」
遠くの水平線を見つめながらそう呟くと、シルドは黒い外套を翻し、自身を包み込む様な、濃い霧の立ち込める暗い闇へと消えていった。
今回は少しライトな感じです。
次の話から、彼の秘密が少しづつ出てきますので、しばしお待ちを!




