第8話 瞬いた秘密
八月の夕暮れ。
神社の境内に出店が並び、浴衣姿の人々でごった返していた。
同じクラスの男子数人に誘われて、僕は夏祭りにやってきた。集合場所に向かうと、そこには――陽奈ちゃんがいた。白地の浴衣に朝顔の模様があしらわれていて、帯は淡い藤色。耳の横で結ばれたツインテールも、普段よりもずっと大人びて見えた。
思わず息を呑む僕に、陽奈ちゃんは「やっ」と小さく手を振った。その仕草が、浴衣姿の落ち着きと不釣り合いなほど可愛らしくて、胸の奥がざわついた。
集まった顔ぶれは男女あわせて八人ほど。誰かが屋台に行こうと声を上げると、一斉に散って歩き出した。
「ねえ、朋希くん、あっちにかき氷あるよ!」
陽奈ちゃんが振り返り、ぱっと笑った。
提灯の明かりを映す瞳がきらきらして、思わず胸の奥が熱くなる。僕はただ頷くだけで精一杯だった。
そんな中、ひときわ大きな歓声があがる。
振り返ると、射的の屋台で慧が銃を構えていた。長い腕を伸ばし、軽やかに的を落としている。
「慧ってほんと上手!」と目を輝かせる陽奈ちゃんに、慧は得意げに「ほら陽奈、やるよ」と景品のぬいぐるみを差し出した。
周りのクラスメイトが「お似合いだな」「ほら受け取れよ」と冷やかす。陽奈ちゃんは一瞬ためらったものの、結局「ありがと」と嬉しそうに抱きしめていた。
その姿を見て、僕の胸に小さな棘が刺さる。
なんだろう、別に二人は付き合ってるわけじゃないと思う。けれど、慧みたいに目立つ男子と並ぶ陽奈ちゃんは、あまりにも“絵になる”ようで――僕の出る幕なんてないんじゃないかと思えてくる。
その後もしばらくみんなでわいわい歩いたが、人混みが激しさを増すにつれて、気がつけば僕と陽奈ちゃんだけになっていた。
「……あれ?」
「え、みんなどこ行った?」
立ち止まって周囲を見渡す。浴衣の波ばかりで、知った顔は見えない。焦りがこみ上げた。
「ど、どうしよう……」
「まあいいじゃん。あっち、行こ!」
あっけらかんと笑った陽奈ちゃんは、ぬいぐるみを抱え直しながら先に歩き出した。まるで迷子を楽しんでいるかのように。
僕はその背中を追いながら、心臓が早鐘を打つのを抑えられなかった。二人きり――それは望んでいた状況のはずなのに、現実となると落ち着かない。
やがて人混みを抜け、河川敷の芝生に出た。屋台の喧噪は遠ざかり、草いきれの中に夜風が涼しく流れていた。遠くで花火が上がる音がして、ちらほらと浴衣の人々がシートを広げている。
「ね、花火買おうよ」
陽奈ちゃんが屋台で花火の袋を手に入れ、僕に一本差し出した。
マッチをこすって、手持ち花火に火を移す。オレンジ色の火花がぱちぱちと散り、夜の闇を明るく照らした。浴衣の袖の奥で、陽奈ちゃんの手首が白く浮かび上がる。
しばらく笑いながら遊んでいたが、袋の底に残った線香花火を手にしたとき、空気がふっと落ち着いた。しゃがみこんで火を灯すと、細い火玉がじりじりと赤く燃え、静かに丸まっていく。
陽奈ちゃんが僕の近くに腰を落とした。川風に揺れるツインテール。火の粉に照らされて、横顔の睫毛が長く影を落とす。
その瞬間――。
しゃがむ拍子に浴衣の裾が少し乱れ、足元から一瞬だけ――純白の布地が覗いた気がした。
視線を逸らそうとしたが、心臓が跳ね上がる。目の錯覚かもしれない。けれど、頭の奥に焼きついて離れない。
慌てて火玉に目を戻す。小さな光が、ぽとりと地面に落ちた。
「……見た?」
恥ずかしそうに囁く声。驚いて顔を上げると、陽奈ちゃんは頬を染めて僕を見ていた。瞳の奥が揺れていて、真剣なのか照れているのか分からない。
「え……いや、その」
「あーあ。ちょっと油断しちゃったな」
少し視線を外し、諦めたように呟く。
でも、ほんの少しの沈黙のあと、彼女は小さく笑って僕を再び見つめてきた。
「……内緒ね?」
胸の鼓動が喉までせり上がる。何か言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。結局僕は曖昧に首を振ることしかできなかった。
それ以上追及してこなかった陽奈ちゃんは、再び線香花火に火をつけて「ほら、またやろ」と笑った。その快活さに救われるような、でもどこか取り残されるような、そんな気分だった。
残りの花火を終えて二人で帰る道すがらも、胸の奥にはさっきの一瞬が残っていた。
祭りの賑やかさの中で交わした秘密。
誰にも話せない、僕と陽奈ちゃんだけの秘密。
それは小さな出来事にすぎないのに、僕にとっては胸を熱くするほど大きなものだった。
この夏祭りの夜を、きっと一生忘れられない。
次回は木曜の19時半ごろに投稿予定です。
(月曜の昼・木曜の夜に更新)




