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第19話 希望のかけら

 二月十四日。

 僕にとっては毎年、できればカレンダーから消してほしい日だった。

 いわゆるバレンタインデー。

「誰から何個もらった」とか、そういう話題で盛り上がるのは決まって男子の間で。

 誰も触れないけれど、ゼロの人間にとっては地獄のような時間になる。

 僕自身は、チョコをもらえないこと自体はそんなに嫌なわけじゃなかった。

 けれど「もらえない」ことで、どこか「惨めなやつ」と見られるのが、何よりつらかった。実際、毎年そうだったから。

 でも今年は、少しだけ違う。

 陽奈ちゃんと出会ってから、僕の毎日は大きく変わった。勉強を一緒にしたり、夏祭りに行ったり、林間学校の夜に一緒に踊ったり。

 彼女と過ごした時間を思い返すと――きっと、僕にもついに春が来るはずだって、期待してしまう。

「今年こそは」

 そんな気持ちで、朝からそわそわしていた。


 予想通り、慧はモテた。

 昇降口でも廊下でも、朝から女子に呼び止められて、どんどんチョコが積み重なっていく。十個以上はもらっていたんじゃないだろうか。

「やっぱモテるなー」「ずるいぞ慧!」

 男子たちが冷やかす中、慧は照れ隠しの笑みを浮かべながらも軽く受け流していた。

 さすが、としか言いようがない。

 僕の机の上には――当然、何もない。分かってたけど、やっぱり寂しい。

 でも、陽奈ちゃんがいる。きっと彼女がくれる。

 そう思って待っていた。

 けれど昼になっても、放課後になっても、彼女からの気配はない。声をかけられることもなく、カバンの中に何かを入れてくれるでもなく。

 あぁ……僕は何を期待していたんだろう。

 慧みたいにモテるわけでもない僕が、勝手に夢を見ていただけかもしれない。数なんて競うまでもない。ゼロが当たり前。

 でも、陽奈ちゃんからは絶対もらえるはずって思い込んでいた自分が、何より恥ずかしかった。


 結局、重たい気分のまま昇降口に向かっていると――。

「朋希くん!」

 聞き慣れた声が背中から飛び込んできた。

 振り返ると、そこには陽奈ちゃんがいた。ツインテールが少し揺れて、息を弾ませた顔がまっすぐ僕を見ている。

「え、陽奈ちゃん?」

 彼女はカバンの中を少し探って、小さな包みを取り出した。

 ほんの少しだけ顔を赤らめて、言葉を選ぶみたいにして。

「その……出来が悪くて、渡そうかどうか、ずっと悩んでたんだけど」

 差し出された包みを見た瞬間、胸がいっぱいになった。思わず受け取った手が、少し震えていたかもしれない。

「ありがとう」

 小さな声しか出せなかったけど、それが精一杯だった。


「ちょっと食べてみようか?」

 おそるおそるといった雰囲気の陽奈ちゃんに言われて、二人で公園に寄った。

 冬の夕方の空気は冷たくて、ベンチに座ると体温をじわじわと持っていかれる気がした。だけど彼女が隣にいるだけで、不思議と胸のあたりが温まった。

 可愛らしいラッピングをほどくと、中から出てきたのは少し形がいびつなチョコレート。

「形、変でしょ?」

 僕が何か言う前に、彼女が遮るように口を開いた。

「いや、その……味、だよね」

 苦笑しながら口に運んだ瞬間、思っていた以上の苦味が広がった。ビターなチョコとか、そういうレベルではなかった。

 顔に出さないようにしたつもりだけど、きっと隠しきれていなかっただろう。

「……苦い?」

「ちょっと、ね」

 正直に答えると、陽奈ちゃんは小さく視線を伏せた。

「ごめん。あたし、実は料理ダメでさ。家庭科もごまかしてきただけで……。幻滅されちゃうよね」

 その声は、小さくて、今にも消えそうで――。

「幻滅なんてするわけないよ。僕、手作りなんてもらうの初めてだし、本当に嬉しい。……それに、陽奈ちゃんの秘密、また知れたし」

 慌てて首を振り、必死で言葉を紡ぐ。もちろん僕の本気の想いだ。

「……ありがと」

 陽奈ちゃんの表情がふわっと和らいだのを見て、胸が温かくなった。

 そして、彼女は少し間を置いて――。

「でもこれから頑張るから、将来は期待しててね!」

 思わず心臓が跳ねた。

 将来。

 その言葉は、僕には少し大きすぎて、眩しいものに思えた。

「しょ、将来って……?」

 動揺して聞き返すと、彼女は顔を真っ赤にして手を振った。

「べ、別に深い意味はないし!」

 慌てふためく陽奈ちゃんが本当に可愛くて。

 でも、そんな彼女の声の端々に、どこか未来を見据えているような響きがあった。

 だから僕は、その未来を信じたいと思い、彼女の目を見てはっきりと伝えた。

「――約束だよ」


 チョコは確かに苦かったけど、今日という日は僕にとって何よりも甘い一日になった。

 明るくて可愛くて、スポーツも万能で、勉強だってできないわけじゃない。そんな陽奈ちゃんが隠していた苦手な部分。

 なんだか、それすらも愛おしく思えてくる。

 ――こういう気持ちを、なんて呼ぶんだろう。

次回は月曜の12時ごろに投稿予定です。

(月曜の昼・木曜の夜に更新)

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