第18話 神様に誓った手
新年三日目。とはいえ、受験生の僕に正月は無い。
今日も朝から勉強に励んでいたが、気づけば昼前。ひと息ついて背伸びをしていたら、インターホンが鳴った。
正月早々、誰だろう。
玄関に出て応対していた母が、しばらくして僕の部屋にやってきた。
「朋希、お客さんよ」
僕に? 特に予定はなかったと思うけど……。考え込む僕をよそに、母はにやりと笑って言葉を続ける。
「……あんた、けっこう隅に置けないじゃないの。ほら、早く行ってあげなさい」
妙に上機嫌な母に促されるまま玄関に向かうと、そこには――。
「あけましておめでとう! ねぇ、初詣行かない?」
陽奈ちゃんが立っていた。
しかも、いつもの制服でも私服でもなく、鮮やかな着物姿。
今日は耳横のツインテールをほどき、髪をかんざしで上品にまとめている。頬にかかる後れ毛までが、艶やかさを引き立てていた。
一瞬、息を呑んでしまう。
目の前にいるのは、いつものクラスメイト。……のはずなのに、どこか別人のような華やかさをまとっていた。
もしかして、僕のために朝から準備して……? そう思うと胸が熱くなって、言葉が出ない。
「え、あ、あの……」
「なに? 行かないの?」
僕を見つめたまま、首をかしげる陽奈ちゃん。その仕草すら絵になる。
我に返って、慌てて答えた。
「い、行く! すぐ準備するから、ちょっと待ってて!」
家を飛び出し、二人で並んで歩き出す。目指すは、夏祭りの時にも訪れた近所の神社。
「あの時はすごい人だったけど、今日はそうでもないね」
陽奈ちゃんが周囲を見渡しながら言う。
確かに、夏の夜は人波で身動きが取れないほどだったが、冬の昼間は参拝客もまばらだ。
「そうだね」と返したところで、ふと夏祭りの記憶が蘇る。
浴衣姿でしゃがんだ陽奈ちゃんの――。僕の脳裏に、あの日の鮮烈な場面がフラッシュバックした。
顔が熱くなるのを自覚していると、横から声が飛んできた。
「今日はしゃがんだりなんてしないもん」
陽奈ちゃんが、くすっと笑いながら僕を覗き込む。
図星を刺されたようで、言葉が出ない。
「も、もう忘れたよ」
「ほんとに?」
疑わしそうに細められる瞳。
どうして僕の考えていることは、こうも簡単に見透かされてしまうのだろう。
境内に入ると、張り詰めた冬の空気がさらに冷たく感じられた。
白い息を吐きながら、二人並んで賽銭箱の前へ。
二礼二拍手一礼。……手を合わせて目を閉じる。
(受験がうまくいきますように。家族が健康でありますように。そして……)
その後に続く願いを唱えるとき、指先にわずかな震えを感じた。それは寒さのせいか、それとも――。
ただ、頭の中に自然と浮かぶのは陽奈ちゃんの笑顔だった。
「朋希くん、おみくじ引こうよ」
参拝を終えたあと、一緒におみくじを引いた。結果は――。
「じゃーん、大吉だよ!」
陽奈ちゃんが、引いたくじを得意気に見せびらかしてきた。
今日は大人っぽい着物姿なのに、こうやって時折見せる無邪気さがまた可愛い。弾む声と笑顔に、自然とこっちまで嬉しくなる。
「いいなあ、陽奈ちゃんらしいね」
そんな僕の手にあったのは、「末吉」。
「うーん、微妙?」
「でも、これから先、未来に向かって良くなっていくってことだから」
前向きなことを口にしながらも、どうしても不安になってくる。
“良くなっていく”――それはこの一年のことを示しているのか。それとも僕と陽奈ちゃんの、もっと遠い未来を暗示しているのか。
おみくじとはいえ、妙な胸騒ぎがした。
ふと前方に高校生か大学生くらいのカップルが目に入った。
手を繋いで寄り添い歩く彼らの様子を見ていると、急に自分たちの立ち位置を意識してしまう。
……周りから見たら、僕たちもカップルに見えるのだろうか。
(というより、これはもしかして初デートってやつなのでは……?)
今までも二人きりになることはあったけれど、こうやって目的を持って出かけるのは初めてだ。そんなふうに考えだすと、心臓の鼓動が一気に速くなる。
お互いにしばらく無言でいると――不意に、指先に柔らかな感触。
陽奈ちゃんの指先が、遠慮がちに僕の手にかすっていた。
「ひ、陽奈ちゃん……?」
全身の血の気が引いて、またすぐに熱くなる。
「だって、さっきのカップル、すごく仲良さそうだったんだもん」
前を向いたまま呟く陽奈ちゃん。その横顔は少し赤くなっている。
「でも、クラスの子に見られたらどうするの……!」
僕は咄嗟にそう返してしまった。
「……あたしは、誰に見られてもいいんだけどな」
表情を曇らせてぽつりとこぼした彼女の言葉に、胸を突かれた気がした。
僕は、何を怖がっているんだろう。大切なものを守るどころか、臆病さで自分から遠ざけようとしている。
そんな自分とは、もう決別したはずなのに――。
「……ごめん」
小さく息を吸い込み、僕は陽奈ちゃんの手をぎゅっと握った。
指と指を絡め、離さないように。
「末吉が拓いてくれる未来。待つんじゃなくて、僕の手で掴んでみせるよ」
陽奈ちゃんの顔をじっと見つめて、決意するように伝える。
すると彼女は驚いたように目を見開き、次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、白い息よりも、冬の陽射しよりも、ずっと温かかった。
「よかったわね朋希、ずいぶん気に入られてるみたいじゃない。デートどうだったのかしら? 母さんに話しなさいよ~」
家に帰ると、待っていたのは母からの質問攻め。なんとかやり過ごして自室に戻る。
机に山積みになった参考書を目にした瞬間、夢のようなひとときから一気に現実に引き戻された。
まずは目の前の受験だ。それを乗り越えて、陽奈ちゃんとの未来も掴み取ろう。
彼女のぬくもりがまだ残る手を握りしめ、僕は改めてそう誓った。
次回は木曜の19時半ごろに投稿予定です。
(月曜の昼・木曜の夜に更新)




