第17話 気持ちを託して
「ねえ、陽奈の誕生日、来週だよね?」
そんな声が隣の席から聞こえてきた。振り向かなくてもわかる。女子たちに囲まれ、いつものように楽しげに笑う陽奈ちゃんの姿だ。
「うん、五日。プレゼントよろしくっ!」
からりと明るい声。笑ったときにふわりと揺れるツインテール。教室の空気そのものを柔らかくしてしまうような彼女の存在感に、僕は思わず鉛筆を止めた。
――陽奈ちゃんの誕生日か。
そんな大事な日がすぐそこまで来ているのに、僕は全然知らなかった。隣の席で毎日顔を合わせているのに。
心の奥に、焦りのようなものが湧いてきた。
何か贈らなきゃ。だけど、何を渡せば喜んでくれるんだろう。女子が好きそうなものなんて、僕にはさっぱり見当もつかない。
放課後。昇降口で靴を履き替えていると、後ろから声をかけられた。
「なんだ、浮かない顔してるな」
振り返れば、慧がいつもの爽やかな笑顔で立っていた。僕の様子にすぐ気づいてくるあたり、やっぱり洞察力が鋭い。
「……実はさ」
思い切って相談してみる。陽奈ちゃんの誕生日が近いこと、プレゼントを用意したいのに思いつかないこと。
慧は腕を組み、しばらく考えるような仕草をした。
「そうだな、俺だったら――」
口を開きかけて、けれど途中で言葉を止めた。そしてにやりと笑って僕の肩を叩く。
「やめた。陽奈のことはお前が一番見てきただろ。俺よりわかるはずだ」
胸の奥に、小さな棘が刺さるような言葉だった。
僕が一番見てきた? 本当にそうだろうか。
毎日隣にいて、笑顔をすぐそばで見てきた。けれど彼女が何を望んでいるかなんて、僕はちゃんと気づけているのだろうか。
「それよりよ」
慧が声を潜め、真顔になる。
「お前さ、陽奈とどこまでいったんだ?」
不意打ちの質問に、僕は目を瞬いた。
「な、なにを……!」
「ははっ、なんだよその顔! まあいいけどさ」
軽く笑ったあと、彼は少しだけ真剣な声を落とした。
「もうすぐ卒業だろ。……後悔しないようにな」
慧の言葉は、背中を押すようでいて、同時に心をざわつかせた。
家に帰ると、机に広げたノートの上で、ひとり考え込んだ。
春に席が隣になってから、少しずつだけど仲良くなっていったこと。二人で秘密を分かち合ったこと。心ときめく経験をしたこと。
陽奈ちゃんとの思い出をたぐればたぐるほど、胸の奥が熱くなる。
彼女はいつでも笑顔でいてくれた。
そして、風に揺れて頬を撫でたり、陽射しを浴びてきらきら輝いたりするツインテールが、その笑顔をより魅力的に彩っていた。
――そうだ。答えは、もう決まってるじゃないか。
日曜日、僕は電車で数駅離れた街まで出かけた。
これまで足を踏み入れたことすらないようなアクセサリー店を、いくつも渡り歩く。
「何かお探しですか?」
「えっと、その……友達の女の子に……」
きっと僕は、この空間には似つかわしくない存在なんだろう。それでも、僕が彩ってみたい陽奈ちゃんの姿を思い描いて――。
「これにします」
おすすめされた物も参考にしつつ、最後は自分で決めた。ブランドとか流行とか全くわからないけれど、これが一番似合うと直感したから。
迎えた誕生日当日。
予想はしていたけれど、陽奈ちゃんはいつも以上に女子たちに囲まれている。渡すタイミングがわからないまま、気づけば放課後になっていた。
彼女がカバンを手に取って立ち上がる。もう、今しかない。
「ひ、陽奈ちゃん。ちょっといい?」
心臓がうるさいくらいに打っている。手のひらは汗でじっとりと濡れていた。
ポケットから小さな包みを取り出す。震えないように必死で押さえながら、彼女に差し出した。
「……あのさ。誕生日、おめでとう」
陽奈ちゃんは驚いたように目を見開いた。
「え、なに? 開けてもいい?」
僕が頷くと、彼女は慎重に包装をほどいて、中から二つのヘアゴムを取り出した。
「……わあ」
小さく息を呑む音。あしらわれたピンクのリボンが、光を受けてきらりと揺れた。
「ほら、なくしちゃったって言ってたから。それに……ツインテール、似合うと思うし」
必死に平静を装ったつもりだったけれど、声が震えていたのは自分でもわかった。
次の瞬間、陽奈ちゃんの頬が赤く染まる。
「……ありがと。すっごく嬉しい」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなった。
翌日。
教室に入った瞬間、僕は息を呑んだ。
友達と話している陽奈ちゃん。耳の横で結ばれたツインテールが、昨日渡したリボンで飾られていた。
僕たちだけが知っている秘密の印が、朝の光にきらめいている。
席に着くと、彼女がふいに振り返り、目が合った。
「……っ」
僕は慌てて視線を逸らす。でも耳まで真っ赤になっているのがわかる。
そんな僕を見て、陽奈ちゃんは少し首をかしげながら微笑んだ。「似合うかな?」って聞かれたようだった。
教室のみんなから見たら、きっとおなじみのツインテール。だけど今日は僕の気持ちが託された、特別なものだ。
そう思うと、今までにないくらいに胸が満たされて。
僕は彼女をもう一度見て小さく頷き――ふっ、と笑顔で応えた。
次回は月曜の12時ごろに投稿予定です。
(月曜の昼・木曜の夜に更新)




