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第15話 三つ編みの追憶

 朝、教室に足を踏み入れた瞬間、僕は思わず立ち止まった。――誰だろう、と思った。

 陽奈ちゃんが、ツインテールをしていなかったのだ。

 いつも耳の横で結ばれている髪が、今日は肩までまっすぐに下ろされ、その右頬のあたりでだけ、細めの三つ編みが小さく揺れていた。

 クラスの男子たちがざわめいた。「雰囲気違うな」「大人っぽい」なんて声が聞こえてくる。僕も同じことを思った。もともと華やかな子だけど、今日の陽奈ちゃんは少し落ち着いた印象で、思わず見とれてしまう。

 女子たちにも囲まれて、「陽奈、どしたの!?」「いや~、ヘアゴムなくしちゃってさ」「でもその髪型も可愛い!」なんて盛り上がっている。

「お、なんか懐かしいな」

 そんな中、慧が声を上げた。

「えっ?」

「昔、そんな感じの髪してただろ。中一の頃だっけ」

「あ……言われてみればそうかも」

 慧と陽奈ちゃんが自然にやりとりしているのを聞きながら、胸の奥がざわついた。懐かしい? 昔の髪型? 僕には記憶がないはずなのに、どういうわけか見覚えがあるような気がした。

 ツインテールじゃなく、頬に沿う三つ編み。陽射しに揺れる髪の先。

 頭の奥で、薄れていた景色が少しずつ色を取り戻していく感覚がした。


 ……そうだ。小学生のときだ。

 ちょうど今くらいの季節、秋の終わり。僕は美化委員会に入っていて、その日はみんなで校庭の掃除をしていた。

 熊手で落ち葉をかき集めようとしたけれど、不器用な僕はなかなか上手くいかず、ほとんど袋を埋められなかった。周りの子が次々と袋を運んでいく中、焦るばかりで全然役に立てなかった。

 そのときだった。

 落ち葉でいっぱいになった袋を抱えて、向こうから元気よく駆けてくる女の子がいた。

 小麦色に日焼けした肌に、太陽みたいに眩しい笑顔。肩までの髪の陰で、頬の横の小さな三つ編みが風に揺れていた。

 その子は僕が空っぽの袋を持って立ち尽くしているのを見ると、迷いなく落ち葉を半分くらい分けてくれた。

「先生が焼き芋を作ってくれるんだって! ほら、これで一緒に出しに行こ!」

 クラスも違い、名前すら知らないその子に話しかけられて、戸惑っているうちに――彼女はもう駆け出していた。

 お礼も言えないまま、その背中を僕はただ呆然と見送った。

 その後のことはあまり覚えていない。当時は男友達と遊んでばかりだったし、その子のことを意識するなんてこともなかった。

 だけど、笑顔と三つ編みだけはずっと印象に残っていた。

 

 ――まさか。

 胸の鼓動が速くなる。あの記憶の中の子と、今の陽奈ちゃんの姿が重なっていく。

 僕は思わず声を漏らしていた。

「……なんか、僕も見覚えがある気がする」

 陽奈ちゃんが目を丸くする。

「えっ!? ほんとに?」

「確か、小学生のときの美化委員会で……みんなで落ち葉を集めて、先生が焼き芋を作ってくれた日。今の陽奈ちゃんと同じ髪型で、すごく元気で……優しい子がいたんだ」

 言いながら、自分でも鳥肌が立った。

 あのときの子が、陽奈ちゃんだったなんて。

「……あたしも思い出した。あの頃から一緒だったんだね!」

 陽奈ちゃんが目を輝かせて笑った。頬の三つ編みがふわりと揺れて、心臓を掴まれたようにどきりとする。

 運命――そんな言葉が頭をよぎった。

 お互いに気づいていなかったけれど、偶然同じ委員会で出会っていて。

 あのときの元気いっぱいの陽奈ちゃんが、中学生になって女子らしく気品を備えた今の彼女と、一本の線で繋がる。

 ずっと忘れていたはずの記憶が、鮮やかによみがえった。

「なんか、不思議だね。髪型ひとつでこんなこと思い出すなんて」

 陽奈ちゃんが言った。

 僕は頷くしかなかった。

「……でも、思い出せてよかった。あのまま忘れていたら、きっともったいなかったから」

 陽奈ちゃんは小さく笑った。その笑みを見て、胸の奥が温かく満たされていく。

 偶然じゃなくて必然だったね――なんて、恥ずかしくて口にはできなかったけれど、大げさではなく僕はそう実感していた。


 放課後、校門を出るとき、陽奈ちゃんが不意に立ち止まった。

 秋の風に髪を揺らしながら、まっすぐにこちらを見る。

「……ねえ、朋希くん」

「ん?」

「明日からはまたツインテールに戻すけど――今日のことは、覚えててほしいな」

 いたずらっぽく片目を閉じてみせたその仕草に、心臓が大きく跳ねた。

 もちろん忘れるわけがない。

 この日のこと、この髪型のこと、そしてあの頃から続いていた記憶のこと。

 すべてが、大切な宝物みたいに胸の中に刻み込まれる、そんな一日だった。

次回は月曜の12時ごろに投稿予定です。

(月曜の昼・木曜の夜に更新)

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