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第13話前編 選んだ王子

 文化祭の準備が始まった頃から、僕の胸の奥はずっと落ち着かなかった。

 クラスの出し物は演劇。大道具や小道具、衣装の準備に忙しくなる中で、ひときわ注目を浴びていたのは、やっぱり慧と陽奈ちゃんだった。

 二人が主役の王子と姫に推薦されて、そのまま決まってしまったとき、教室の空気が「やっぱりな」という同意で満ちるのを感じた。

 陽奈ちゃんは、照れたように笑いながらも、どこか満更でもない顔をしていた。彼女に似合うのは、スポットライトの下で誰よりも輝く姿。姫役に選ばれるのは当然だと僕も思った。

 だけど、その横に立つ王子役が慧であることに、胸の奥がずきりと痛んだのも確かだった。

 それでも、いざ立候補するとなると、口を開く勇気は出てこなかった。教室の空気に押されて、手を挙げることなんてできるはずがなかった。

 みんなが望む二人の並びを壊すなんて、僕にはとても――そう思っていた。


 僕はのこぎりを握って大道具の木材を切りながらも、つい教室の中央に視線を向けてしまう。

 そこでは、慧と陽奈ちゃんが舞台のセリフ合わせをしている。

 王子と姫――まるで最初からその役のために生まれてきたみたいに、二人はぴたりと息を合わせていた。

 慧の堂々とした声と、陽奈ちゃんの澄んだ声が、教室に溶け合うように響く。彼女が朗らかに笑うと、ツインテールが揺れて、その横顔がいっそう華やかに見えた。

 練習の合間に陽奈ちゃんが何か呟くと、慧はふふっと笑って応える。そんな二人の様子は誰が見ても「自然」だった。

 胸がぎゅっと縮むのを感じた。やっぱり二人はお似合いなんだろうか。

 大道具に視線を戻そうとしたけれど、気づけば釘を打つ手が震えていた。

 僕と陽奈ちゃんの間には、小さな「秘密」がいくつも生まれたはずなのに。そんなものは些細なこととばかりに、簡単に覆されていく気がしてならない。あの悪夢のように。

 あるいは、あの日の放課後、やっぱり本当にキスをしていたのかもしれない。もう二人はそういう関係なんじゃないか……そんな疑いが、頭の中で何度もこだました。


 ところが、本番まで一週間を切ったその日。慧がサッカー部の練習中に転んで足を痛めた。

 その姿を見た瞬間、僕の心はざわついた。包帯で固められた足首。文化祭の舞台で走り回るなんて、とてもできそうにない。

「どうすんだよ、主役……」

「代役探すしかないな」

 クラスのざわめきが広がる。だけどもう時間がない。誰がやっても無理がある。そう思いながらも、胸の奥で小さな声がささやいた。

 ――ここで引いたら、また後悔する。

 あの悪夢を、僕はまだ忘れられなかった。慧に奪われる陽奈ちゃんを、ただ立ち尽くして見ることしかできなかった自分。あんな自分のままでいいはずがない。

 あの日の放課後の真実はわからないままだけど、知ったとしても詮無いことだ。今は僕にできることをやるしかない。それは――。

「……僕、やります」

 気づけば、手が上がっていた。

 ざわ……と空気が揺れる。

「真鍋? 本気かよ」

「高瀬と釣り合わないんじゃ……」

「大丈夫か、セリフ覚えられるのか?」

 耳に突き刺さる囁き。

 顔が熱くなっていく。確かにその通りだ。みんなの言葉は正しい。

 陽奈ちゃんのことばかり考えていたけれど、そんな邪な理由で代役に立候補するなんて、無謀にもほどがある。

「……やっぱり――」

 言いかけて、視線を落としたそのとき。

「ちょっと待って!」

 陽奈ちゃんが勢いよく立ち上がった。ぱさりとツインテールが揺れ、教室の空気が一瞬で変わった。

「手も挙げないくせに文句ばっかり言わないでよ! せっかくやるって言ってくれてるのに」

 彼女の声はまっすぐで、迷いがなかった。

 僕の肩にずしりと乗っていた不安が、その言葉で少しずつ溶けていく。

「……あたしは、朋希くんがいいと思う。彼なら絶対できるよ」

 クラスの空気が止まる。

 彼女が僕を見つめる。ツインテールを揺らし、ぱちんと片目を閉じて――ウィンク。

「そうだよね?」

 その一言に、僕の胸が熱くなる。僕を選んでくれた。陽奈ちゃんが、僕を――。

 視線が合った瞬間、なぜか声が出なかった。けれど、心の奥で固く誓った。

 ――もう僕は、迷わない。


 慧と並んだときの陽奈ちゃんの笑顔を、僕は確かに見てしまった。

 けれど、今度の舞台では僕が隣に立つことを選んだ。

 快活で可憐で、誰よりも眩しい彼女。その笑顔を、僕に向けさせてみせる。

次回は木曜の19時半ごろに投稿予定です。

(月曜の昼・木曜の夜に更新)

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