その ろく。
シーン…………………………。
沈黙が一瞬にして周囲を覆い、おそるおそる顔を上げたジュンの白衣が肩からずり落ちる。
ノースリーブのチャイナドレスから伸びた腕や乱れたスリットからのぞく太股が色っぽく見えるが、グラウンドのみんなの目はそこから漂う色気よりも、あまりにもあまりにも重苦しい沈黙(本日2回目)の中で凍ったように立ちつくす英雄へと向けられていた。
今度の気まずい静寂を破ったのは、通信機から流れでた怒声だった。
〈……わ、私は君のお父上の大ファンなので、あまり御子息である君にこういう事は言いたくはないんだが、どうしてもこれだけは言わせてもらいたい。あそこでヒーローが決めないでどうするのっ! ダメを通り越してダメダメにもほどがある! 信じて送り出した数破くんがこんなダメ田ダメ男だったなんてっ!! いや責めるべきは君だけじゃない、君に任せた私のバカ! 本当におバカ! もう知らないっ!!〉
怒りとも呆れともつかない口調でまくしたてるノゾムに続いて、
〈ご自分を責めるのは止めませんけど、お兄ちゃんのことあんまり悪く言わないでもらえますか? お兄ちゃんの見せ場はここからです! なんてったってヒーローは、お兄ちゃんはカッコイイんだから!!〉
サエの声がとどろく。
〈そうはいうけれども、ヒーローってのはカッコイイからヒーローなんだっ! そうでなければヒーローじゃないんだっ! つまり、今のペパーミント・ヒーローは、数破くんはめちゃくちゃカッコ悪いんだっ!! ヒーローじゃないんだ! ただのペパーミントだ!!〉
〈そうだ……ただのペパーミントに学園の平和を、女子を、風紀を守れるわけがないんだ。おしまいだ、なにもかもおしまいだ……学園の女子はもうチャイナドレスで生活するしかないんだ……敗北の将として、風紀を守れなかった委員長として、私もチャイナドレスを着る罰を受けよう……ジーナ、私に似合うチャイナドレスを見繕ってくれ〉
自嘲気味なだけでなく投げやりになったノゾムの言葉に続いて、
〈かしこまりました。お客様に似合うチャイナドレスをチョイスさせていただきます〉
〈ジーナ、開発者によるコマンド実行。オーダーを停止、彼女を捕縛して〉
〈音声照合終了。数破サエさまの肉声を確認。上位権限によりオーダー緊急停止。マニピュレーターによるお客様の拘束を開始します〉
〈やめろ! 私は校則には従うが拘束に従う気はない! あー〉
そして沈黙が支配する。
(いやちょっと怖っ! ジーナってそんな機能あったの!? 人を拘束する更衣室とか完全にホラーな存在なんだけど……)
ノゾムもサエも頼れないと悟った英雄は通信機のスイッチを切り、
(ただのペパーミントか……フッ、しょうがないよな……実際、こんな武器使うの初めてなんだから……変身だって初めてなんだし……というか、強化服といってもカッコよさは強化されないんだな……)
座り込んで地面に『の』の字を描き始める。
「なんというか、なんとなく親近感が持てるというか、等身大のご近所ヒーローって感じだな」
英雄を見て呟く松飛台の言葉に、ツユハルと竹ヶ花はウンウンとうなずく。
「ペパーミント・ヒーローの必殺技フライング・ディスクを、DCスクエアのお化けニンジンたちはあっさりとかわしましたーっ!」
美琴の実況が、微妙な空気に覆われたグラウンドに響きわたる。
「あっさりと……」
「かわしました、ねぇ……」
「物は言いようだな」
「でも、全く真実を伝えてない……」
「そうよ! 報道にたずさわるんだったら真実を伝えなさいよ! 真実を! お化けニンジンじゃなくて、この子の名前はキャロッ太よ! そんで、その子がキャロ政、こっちのニヒルなのがキャロ次、クールに見えるのがキャロ介、この素朴な感じのするのがキャロ吉よ! お分かり?」
大声で松竹梅に続くと、ジュンは幹部Jの手を借りて体を起こす。
そして服の乱れを正し、白衣についた土を手で払った。
そのあいだ、
(区別つきませんがな)
と生徒たちは思っていた。
「ったく、脅かしてくれちゃって……みんな、容赦はいらないわ、ギッタンバッタンにやっつけておしまい!」
ジュンの言葉に答えるように、キャロッ太たちはカゴを放り出して、英雄めがけて突進してきた。
「ペパーミント・ヒーローの必殺技をかわした、えーと、キャロッ太、キャロ政、キャロ次、キャロ介、キャロ吉たちがペパーミント・ヒーローに迫る! このピンチをいったいどうやって、彼は切り抜けるのか!!」
美琴が興奮した声で実況を続ける。
その実況で自分に迫る危機に気付いた英雄は、
(げっ……マズイ! なんとかしないと!)
辺りを見回して、素早く思考を巡らす。
(逃げたとしても……追いつかれるな……とっさに武器になりそうなものは……無い……)
いちおう腰にはもう1枚プロテクターがついているが、これの効果はさっきの結果を見るかぎりあまり期待できない。
とすると……打つ手ないじゃん。
(まさか、やっつけられておしまいなのか!)
英雄がそう思ったときだった。
「あきらめてはいけない、ペパーミント・ヒーロー! 君もヒーローであるならば、ピンチに陥ったときにこそ、自分自身の可能性を信じるんだっ!!」
突然、張りのある男の声が背後から響いてきた。
(誰だろ?)
疑問に思っても振り向いている暇はない。
このまま素直に振り向いたら、背中にお化けニンジンたちの大突進を喰らいかねないし、そんなことをする余裕があるなら、とっくに突進をかわしている。
そんなこんなと考えていたら、英雄の脳裏に、ひとつの技のイメージが瞬間的に浮かんできた。
父によく見せられていた特撮ヒーロー、ナイルガー1の必殺技オベリスク・クラッシュをもとにしたペパーミント・ヒーロー第一の必殺技がっ!
『あれ? フライング・ディスクがひとつめの必殺技じゃないの?』などという些細な疑問はこのさい忘れようじゃないか。
(よしっ!)
英雄は強化服の性能を信じて、思いきりよく地を蹴ると、宙高くジャンプする。
目標を失ったキャロッ太たちに続き、グラウンドにいた一同が英雄を目で追う。
「ペパーミント・ヒーローが跳んだーっ!」
美琴の声も英雄を追うようにして空へと響く。
(とりあえず必殺技のかけ声ぐらいは、委員長とサエちゃんに聞かせておくか……)
通信機、スイッチON!
〈なあ、ジーナ聞いてくれないか。私はダメな女なんだ……風紀を守るどころか風紀を乱す愚かな委員長だよ……もう泣けるを通り越して笑えてくるよ……笑ってくれ、いやもういっそ罵ってくれ〉
〈アタシの開発したジーナは更衣室であってお悩み相談室じゃないんですけど〉
レシーバーの向こうはいまだ不穏な雰囲気が続いているようだった。
だが、英雄はそんな事は気に止めなかった。
(『銀炎のイグニス』に出てくる炎の巨人シルバーブレイズみたいな光線技とか火炎放射はできるとは思えないし、戦隊チームが持ってるようなフィニッシュウェポンは無い……だから、ここはオーソドックスにナイルガー1みたいなジャンプキックだっ! だけど、ただ単なるジャンプキックじゃ、語呂が悪い……だから……ここはっ!!)
あれよこれよと考えているうちに、自然に決めゼリフが英雄の口をついて出てくる。
「必殺っ! ペパーミント・クラッーシュッ!!」
その叫びとともに、急降下した英雄の右足がキャロッ太の顔面(?)をとらえる。
リーダー格らしいキャロッ太を真っ先に倒せば、ニンジン軍団を無力化できるはず、というのが英雄の考えだった。
そしてその英雄の蹴りをもろに食らったキャロッ太が、他のニンジン軍団をボウリングのピンのように巻きこみながら吹っ飛んで、ジュンの前に転がる。
「きゃあッ! 私のキャロッ太ぁ!!」
大慌てで、ジュンはキャロッ太の体を抱えおこそうとかがみ込み、他のニンジン軍団も起き上がってキャロッ太のもとに駆けよる。
「き、決まったぁ! 伝家の宝刀、必殺ペパーミント・クラッシュがお化けニンジンに強く強く突きささったぁーッ!!」
美琴が放送席から身を乗りださんばかりにして叫ぶ。
すると、それに負けじとばかりに、
「お化けニンジンじゃない、って言ってるでしょうがっ! この子の名前は、キャロッ太よっ!!」
ジュンも怒鳴るように叫んだあと、キャロッ太へと向きなおる。
「キャロッ太、キャロッ太、ねぇ、大丈夫? え~ん、キャロッ太、キャロッ太、しっかりしてぇーッ!!」
いっぽうキックを当てた英雄はその反動で後方に大きく宙返りをしたあと、スタッと着地する(意外にも成功)。
(やった……やった……やったーっ!!)
予想以上の成功に、小踊りしたくなるのをこらえて、ちょっとした感動にひたってみる。
そんな英雄を、ジュンは涙をためた目でキッと睨みつけると、
「おっ、おっぼえてなさいよ~ッ! 次はこうはいかないんだから~っ!」
傷ついたキャロッ太と更衣室ジーナを抱えあげたお化けニンジン軍団を従えて、どこへともなく走り去っていく。
「ちぃ! 紅心姫くんの言うとおり、次はうまくいくとは思わないことだな、ペパーミント・ヒーロー!」
舌打ちが聞こえ、英雄が振り返ると、総統Xと幹部Jも足早に去っていくところだった。
そして残っているのは、生徒たちと英雄だけになった。
生徒のみんなは英雄を遠巻きに見ていたが、しばらくしてツユハルが松飛台と竹ヶ花のふたりに尋ねるように呟く。
「あのペパーミント・ヒーローってのは勝ったのか?」
「そうみたいだな」
「本人は自分の勝利に戸惑い気味の感じに見えるが」
「まあでもDCスクエアを追っ払ったのはたしかですよね」
美琴もツユハルの言葉に答える。
「さて、我々としてはどういう反応を示すべきか」
「とりあえず拍手でいいんじゃないかな」
「そうだな」
「拍手? は? なんで?」
「いちおうは悪(?)の秘密結社に勝ったわけだし」
「俺としては、DCスクエアは別に悪とかじゃなくて、どっちかというと、むしろウェルカムな組織なんだが」
「そうはいうがな、ツユハル。お前さん言ってただろう? 『高校生活ってのは、もっとなんというか、ドラマチックで面白いものかと思ってた』とか」
「たしかに言った」
「ドラマチックというよりかは漫画チックだが、退屈はしなかったし、それなりに面白かった。それだけの理由でも拍手したところでバチは当たらないだろうさ」
「なるほどね」
松竹梅が手を叩き始めると、その横で美琴も拍手をし、円軌道を描く作業から解放されてグラウンドにへたり込んでいた生徒たちからも拍手が沸き起こる。
「あ、どうも、どうも……」
拍手を受けて、英雄は少々気恥ずかしいものの、周囲へと頭を下げる。
そして、落ちていたディスクを拾いあげて元の腰へと装着する。
(さてと、僕もそろそろ行かなくちゃ……正体バレたりなんかしたらイヤだしな……)
そっとこの場を逃げ出そうとした英雄の前に、遠巻きにしていた輪の中から桜が進み出てくる。
「えと、えと、えっとぉ、私ぃ、新聞部の八重咲桜という者ですけどォ、インタビューしてもよろしいですかァ?」
桜はペンと手帳を手にしながら、例によって甘えるような舌ったらずな口調で英雄へと話しかけてくる。
「えっ? あ……ちょっと待ってね」
桜に背を向けると、
(総司令、どうしましょう?)
英雄は通信機を通して、おそるおそるノゾムに尋ねる。
〈やはりヒーローたる者、よい子のみんなの声には応えねば。うん、カッコ良かったよ、数破くん。いやペパーミント・ヒーロー、ありがとう! 本当にありがとう!!〉
聞こえてきたノゾムの声は明るく朗らかで興奮気味だった。
やはり、ヒーローの勝利がもたらす効果は大きいのだ。
しかし、よい子のみんなって……。
英雄はあまり深く追求はしないことにした。
「あ……許可が出ました」
英雄が桜の方へ向きなおって告げると、
「許可?」
桜が不思議そうに聞きかえす。
「いえ、こっちのことです……」
「じゃあ質問でーす。っと、その前に放送席の方へ移動してもらえますかぁ?」
と英雄の答えを待たずに、彼の腕をとって放送席の方へ移動しはじめる。
そうして放送席まで来ると、
「えーとォ、あなたは誰でぇ、何でぇ、そんな格好をしてるんですかぁ?」
桜がずばりと切りだす。
(鋭い質問するのね、この子……)
「え、あの、そのー、……それ含めて、今のところ僕に関するほとんどをヒーローの秘密ってことにしてくれませんか?」
DCスクエアと同様のごまかし方になっているが気にしない。
〈ナイスだ、数破くん!〉
ノゾムの歓喜する声がレシーバーから響く。
「えっとぉ、ヒーローの秘密、っと」
メモ帳に書きこむと、桜は顔をあげて、
「んじゃぁ、明日の学園新聞に写真を載せようと思うんで、ポーズとって下さぁい」
と、コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を腰のポーチから取りだした。
「ポ、ポーズって?」
「Vサインでいいですぅ。あ、そこの人、シャッターお願いしまぁす」
「僕?」
指名された竹ヶ花が返事をする。
「そうですゥ」
明るく答えて、桜がコンデジを彼に手渡そうとする。
「いや、あの、なんで自分で撮らないの?」
竹ヶ花が不思議そうに聞く。
「だってぇ、せっかくの新聞のトップを飾るような特ダネ写真なのにぃ、自分が写ってないと気分良くないじゃないですかぁ」
あっけらかんに桜が答える。
「は、はあ……なるほど」
竹ヶ花はあっけにとられながらも、結局コンデジを受けとる。
「そういった問題じゃない気もするが……しかしまたなんで、体育の時間にデジカメを持っとるんだ?」
ツユハルの呟きに、
「新聞部の連中がペン、メモ、デジカメを常時携帯しているという噂も本当だったらしいな。というか、悩んだら負けだな」
松飛台がこともなげに答える。
「それじゃ、ペパーミント・ヒーローさん、カメラに向かって『ブイ』ですよ」
「はい。じゃ、写すよ」
竹ヶ花の声に、英雄緊張の面持ちのままVサイン。
その隣に桜が来て寄りそうようにして、一緒にV。
パシャリ。
「オッケーですぅ。ありがとうございましたァ」
(ふう……なんとか無事に終わったかな。しかし、本当にゴーグルがあるだけでクラスメートにも気付かれないってのは、ある意味不思議なもんだなあ)
などと思いつつ、今度こそと、この場を離れようとしたとき、
「見事な活躍だった、ペパーミント・ヒーロー。だが油断してはいけない。巻土重来という言葉もある」
背後からさきほどの『あきらめてはいけない』と言った男の声が聞こえ、英雄は声の主を確かめようと振りかえり、絶句した。
グラウンドに置かれたサッカーゴールの上に、藍色のゴーグルをかけ、銀色のプロテクターが付いた毒々しいといってもいい藍色の、PMスーツに似た強化服をまとった男がひとり、白いマフラーをなびかせながら立っていたのだ。
「あ、貴方はいったい?」
英雄が戸惑いながらもそう尋ねると、男はマイクなど必要としないほどの良く透る声で朗らかに答えた。
「私はさすらいのヒーロー、キャプテン・ブルーベリー。ペパーミント・ヒーロー、君も今日から立派な正義の味方だ。これからも学園にはびこる悪の手からみんなの平和を守ってくれ。期待しているぞ」
「あ、あの、勝手に期待しないでください!」
「ハハハッ、さらばだ、少年。いや、ペパーミント・ヒーロー! いずれ、また会おう。それではっ!!」
その名のとおり、ブルーベリーカラーの強化服を身につけた男は大きく跳んだ。
そして飛ぶようにグラウンドを走って、あっという間に、学園の塀を乗り越えて姿を消してしまう。
(……ブ、ブルーベリー? もしかして、やっぱりブルーベリーガムで変身するのかな? それにしても、なんかとってもお知り合いのような気が……そうだ、声といい、背格好といい、父さんに似てるんだ! でも、父さんが今時分、学校にいるわけないよな……ドラマの撮影があるはずだし……あっ! そんなことより、この格好から元に戻るにはどうすればいいんだ? し、しかも、今って実は授業の真っ最中なのでは?)
英雄、大混乱に陥る。
(と、とにかく……サエちゃんのところに戻ろう!)
そんな英雄に、今度は美琴が声をかけてくる。
「あのー、放送部からも質問してよろしいでしょうか?」
それに対して、
「す、すいません! ぼ、僕は急用があるので、これで!」
英雄は脱兎のごとく駆けだす。
美琴は一瞬あっけに取られたようになっていたが、すぐさま立ちなおって、
「平和な甲乙丙学園に突如として現れた謎の組織、DCスクエア。その野望は今、ひとりの少年の活躍によって阻止されました! ありがとう、ペパーミント・ヒーローさま!」
と、ナレーションでこの場をしめる。
「……ところで、あたしはどうすればいいの?」
午後の日がうららかなグラウンドで、チャイナドレスという浮いた格好のまま、二宮あい子はひとりさびしそうに呟くのだった。