その に。
♪ピンポンパンポーン
「お昼の放送の途中ですが、生徒のお呼び出しをいたします」
教室の黒板上にある仏頂面をした四角いスピーカーから流れ出る軽やかなチャイムの音色に続いて、可愛らしい女の子の声が校内に響きわたる。
「2年C組の数破くん……お身内のかたが訪ねておいでです。至急事務室前までおいで下さい。担当は1年D組、京野美琴でした」
少女がハツラツとした声で読み上げた。
さて舞台は打って変わって、DCスクエアが式陣ジョーと丘道ジュンを幹部へと任命した日から数日後。
場所は甲乙丙学園の2年C組教室、時刻はお昼時である。
たった今、呼び出しを受けた数破英雄は教室を出て事務室へと向かっていた。
英雄はこの春、父親の仕事の都合で羽衣瑛島にやってきた転校生だ。
転校生といってもただひとりきりの転校生というわけでもなく、本土からの移住組のひとりであり、これといって飛び抜けて目立つ要素もない。
ルックス、悪くはない。
テストにおけるクラス順位、そこそこ。
運動神経、それなりに。
つまるところ、標準、普通、ノーマル、ありふれている、どこにでもいそう、極々平凡といった感じだ。
ただ家系のほうにはちょっとどころではない特別なものがあったりするのだが……。
英雄は放送で言われたとおり、学園の事務室へと向かう。
(身内って……だれだろ?)
そんなことを思いながらたどり着いた事務室の前には、ツナギの上に白衣といういっぷう変わった格好の少女が大きなリュックを背負って立っていた。
「やっほー、お兄ちゃん」
少女が彼に気づき、声をかけてくる。
「なんだ、サエちゃんか……」
彼女は英雄の従妹である数破サエ。
学生ではなく、身分は科学者兼発明家。
島内では(多くは生活の役にたたない物品の)研究と発明でまあそれなりに有名な数破博士(英雄の祖父)の一番弟子だ。
ただ博士とサエが共同で開発したAI搭載型全自動更衣室が有名アパレル企業に採用されたとは聞いている。
ちなみに英雄の父は、現在放映中のドラマで椚山警部を演じている俳優の青辺理男であったりする(しかし、学園内はおろか島内でそれを知る人間はほんのひと握りしかいない)。
祖父は有名な発明家、父親は人気アクションスターと、家系の方は見事に非凡なのだ。
「人を見るなり、なんだとはご挨拶だなあ。まあいいや、お兄ちゃんついて来て」
そう言うと、サエは英雄の手を取った。
「ちょ、ちょっとなに……?」
質問には答えず、サエはズンズンと廊下を進み、階段をあがり、そしてまた廊下を進んでいき、あるドアの前で立ち止まった。
「風紀委員会?」
ドアに掲げられたプレートを見て、英雄がつぶやく。
「いったい、ここになんの用なの?」
「いいから入るよ」
サエはノックもなしに豪快にドアを開けると、英雄の背を押すようにして先に行かせた。
「し、失礼します……」
英雄が部屋に入ると、
「やあ、よく来たね」
快活な少女の声が響いた。
清潔感が漂う部屋の中には質素なテーブルが置かれ、それを挟むように置かれたパイプ椅子のひとつに、この風紀委員会の委員長を務める二尋ノゾムが腰かけていた。
凜とした表情、ピンと張った背筋、姫カットとポニーテールを組み合わせた髪型と外見からは真面目ひとすじ、いかにも風紀の守護神といった感じの3年女子だ。
これで文武両道ともなれば完璧なのだが、天は二物を与えず。
成績はともかく運動面についてはかなり残念だったりする(逆にそこがよいという派閥も存在する)。
そして、この学園で英雄の家系について知っている面々のひとりでもある。
「まあかけてくれたまえ、数破くん」
彼女の言葉に従い、英雄は恐縮しながら用意されていたパイプ椅子に腰かける。
サエはドアを閉じると、リュックを手近な机の上に投げ出し、英雄の傍らに立ったままでいた。
「さて、君と数破サエさんに来てもらったのは他でもない」
ノゾムは英雄をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「数破くん、正直に答えて欲しいんだが、君、特撮ヒーローは好きかい?」
「はいっ?」
ノゾムの唐突な質問に、英雄は間抜けな返事をしてしまった。
「特撮ヒーローは好きかい? と聞いたのだが」
「え、ええ、まあ……多少は」
英雄はとりあえず正直に答えた。
特撮出身である父の影響もあって、この歳になってもヒーロー物は嫌いではないが、それがここに連れてこられた事にどう関係しているのか、英雄は分かりかねていた。
彼にかまわずノゾムは続ける。
「最初の質問の答えはまあ良しと。ところで、DCスクエアという名前を聞いたことはあるかな?」
「いえ」
まったく聞き覚えがないので、そう答える。
「私もつい先日まで知らなかったのだが……これを見てもらえないだろうか」
ノゾムは1枚の手紙を差しだす。
手紙を受けとると、英雄はPCで打たれている文面に目を通した。
甲乙丙学園 風紀委員会のみなさまへ
お知らせしたいことがございます
実は、とある組織がそちらの学園を、
学園の女生徒たちを狙っているのです
その組織は――、
「その組織は、かくかくしかじか……」
英雄は手紙の内容にしばし、唖然とした。
(チャイナドレスを広めるため、あとチャイナドレスを着た女の子でフォトアルバムを満たすために怪人をつくっちゃった悪の組織? そんなバカバカしい組織があるなんて……)
そんな思いが顔に出てしまっていたのか、ノゾムは英雄を見ると言った。
「私もその手紙を見て、馬鹿馬鹿しいと思った。だが数日前、わが校の女生徒が帰宅途中にそのDCスクエアの怪人とおぼしき者の襲撃を受け、チャイナドレスに無理矢理着替えさせられたのち写真を撮られていたのが分かったのだ」
「は、はあ……」
あっけにとられたままの英雄にかまわず、ノゾムは続けた。
「これは異常なことだ。しかし、これでその手紙に書かれている謎の組織、秘密結社ドレスアップ・チャイナドレス・コミュニティー、略称DCの二乗が実在するということが分かった。そして、今回の事件はただの始まりにしか過ぎないということも。このままでは彼らによって学園に次々と犠牲者が出る。そう思わないかね?」
「えっ? ええ、まあ……」
ノゾムの話をほとんど自分とは無関係といった感じで聞いていた英雄は、突然水を向けられて、曖昧な返事をするしかなかった。
すると、ノゾムがバシッと指を英雄へ突きつけた。
「そこでだ! 私は君をこの学園内において、彼らと戦い、女生徒たちを守る特別風紀委員に任命したいっ!!」
英雄は辺りを見回し、ノゾムの言った『君』という言葉が自分をさすことを確信する。
「ぼ、僕がですか?」
自分自身を指さしながら尋ねると、
「そう、君だ」
ノゾムは当然のことのように快活に答えた。
(なんか、マズイ事に巻き込まれそうな気がする……いや、もう巻き込まれている)
直感で悟って、英雄はなんとかこの場を逃げ出す策を考え始めていた。
「いやその……そういう組織があるのならもう学園の委員会とかでどうにかすることじゃなくて、大人に任せるべき案件なのではないでしょうか」
「そう思うだろ? 私だってこれは風紀委員会の手に負えないと思って、先生方に相談したさ。ところがふざけたことに、このDCスクエアとやらは学園のみならずこの島の役所に活動申請を提出して受理されてるんだ。そのため『この件は彼らが逸脱することがないように風紀委員会で対処しなさい』と、委任という名の投げっぱなしをされた。学園が生徒の自主性を尊重するとはいえ、むちゃくちゃな話だ。そこで途方に暮れていると、役所から君のおじいさんとサエさんを紹介され、サエさんから君を特別風紀委員に任命するように推薦されたというわけだ」
英雄がサエのほうに目をやると、サエはにっこりと笑ってダブルサムズアップしてみせる。
英雄はノゾムへと向き直り、
「あ、あの……特別風紀委員とか、戦うって言われてもどうすればいいんですか? だって、DCスクエアって怪人がいるとか……自慢じゃないですけど……僕、そんなに強くないですし……」
自分は力不足だということを強調しようとしたが、助け船は出なかった。
「そういうことならアタシに任せて。まずこの制服に着替えてもらえる?」
サエがリュックの中から、きれいに折りたたまれた紺のブレザー、紺のズボン、白いワイシャツ、黄色の地に紺のラインが入ったネクタイを取り出す。
(?)
それらは何の変哲もない、甲乙丙学園指定の男子学生服一式だった。
「着替えろって、これに? ここで?」
「大丈夫だ。そこに更衣室を用意してある」
ノゾムが指さした先には、この場の雰囲気にそぐわない長方形の箱、デパートや衣料店でよく見る試着室のデラックスタイプとでもいうべき立派な更衣室があった。
(こんなもの、さっきあったっけ?)
戸惑う英雄の肩にノゾムが軽く触れ、
「さあさあ早く着替えて」
半ば強制的にうながされ、英雄は制服一式を手に更衣室に入った。
観音開きの扉を開け、更衣室の中に入ると、
〈こんにちわ。お客さま〉
優しげな女性の声が英雄に語りかけてくる。
「え? 誰?」
〈ワタシはAI搭載型全自動更衣室、製品名ジーナです。お客様のご要望にお応えし、AIによるコーディネートのご相談やマニピュレーターを駆使してさまざまな衣装の着脱をサポートすることができます〉
「いや、今はどっちも必要ないかな……」
〈かしこまりました。それではごゆっくりと着替えをお楽しみください。ご用命の際は『ジーナ』とひと言呼んでくださればすぐにでも参上いたします〉
と言ったのち、ジーナは沈黙する。
(なんかすごいな……たしかちょっと前にお祖父ちゃんとサエちゃんが発明してアパレル業界に売り込んだやつだよな……しかし制服から制服に着替える、ってのも変な話だな……)
などと思いながらも、とりあえず手渡された制服に着替えていく。
「着替えたけど……」
着替えが終わった英雄はジーナの外に出た。
「思ったとおり、サイズはピッタリだね」
サエが英雄を上から下まで眺めて呟くと、
「ほい、それじゃ次はこのガム」
タブレット状のガムが入った容器を取り出す。
「これがどうかしたの?」
「まあまあ、おひとつどうぞ」
言われるがままに、薄緑色のガムをひと粒、口の中へと入れる。
(ペパーミント味か……)
それは実にノーマルかつシンプルな味のガムだった。
「ところでお兄ちゃん、フーセンつくれる?」
「つくれるけど、それがどうかしたの?」
「とりあえず、つくってみてくれる?」
(いったい、なんだってんだろ?)
聞きたいことが山ほどあったが、とりあえず言われたとおりにフーセンをつくり始める。
すると思いの外、透明感のある淡い緑色のフーセンはゆっくりと、しかし着実に大きく大きくふくらんでいく。
驚いた英雄が息を吹きこむのを止めても、ガムはふくらみ続ける。
「むんんん!(ちょっとこれ!)」
ガムのフーセンは顔を覆いかくすくらいの大きさにふくらみ、その破裂までの限界値に達しようとしていた。
英雄はそのあとに来るカタストロフィを恐れて目をつぶる。
フーセンが「PAN!」と弾ける音が響きわたると同時に、全身を暖かな光が覆っていく不思議な感覚を英雄は感じた。
「おおっ! 成功だなっ!」
「よしっ! やったぁ!」
ノゾムとサエの歓声が聞こえ、英雄は目を開いた。
「な、なんなのさ、いったい! まさか、ただのドッキリなんて言ったらさすがに怒るからね!」
やや興奮気味に言った英雄は、自分の視界がやけに緑がかった色合いなのに気がついた。
あと、口の中にあるはずのガムもなくなっている。
自分の格好がついさきほどまでのものとはどこか違う、と感づいた英雄は慌ててジーナに設置されている鏡をのぞき込み、そこに映っていた自分の姿に大声をあげた。
「な、なんだ、これっ!?」
ペパーミントグリーンのスーツが体を包みこみ、銀色に輝くプロテクターが肩、膝から下、肘から先、そして胸元を覆っていた。
胸にはディフォルメされたPとMの文字が彫り込まれ、腰の両脇には楕円形のプロテクター、顔には大きな薄緑色のプレート状のゴーグルがはまっていて、その両端はレシーバー&インカムとおぼしき装置となって耳を覆い、その左側からはウイング状のアンテナが斜め後ろに向かって飛び出していた。
そこにはもう、ついさっきまで着ていた制服の面影はなかった。
「こ、これはいったい……?」
もういちど自分の格好を確かめて、英雄がたずねる。
「おめでとう、数破くん。これで君も名だたるヒーローへの仲間入りができたんだぞ、ハッピーバースデー!!」
「はあ……でも、僕の言いたいことはそういうことではなくて……サエちゃん、これ、どうなってるの?」
「簡単に説明するとね、さっき渡した制服は、おじいちゃんとアタシが開発した特殊繊維GUMでつくりあげた変形強化服なの」
「変形……強化服……?」
「強化服ってのがどういうものかは説明しなくても分かるよね?」
「この場合は特撮ヒーローが着てるような物だってのは分かるけど……」
「つまりパワーやスピード、ヒーローとしての素質に欠かせないものを補ってくれるのが、その強化服、その名もPMスーツなのだよ」
ノゾムの説明に、
「PMスーツ……?」
「うん、パワーマネージメントスーツみたいな意味合いかな。それで、さっき渡した特殊なガムがお兄ちゃんのDNAと反応して、フーセンが破裂→消滅時に発する超音波信号によって学生服からその強化服へと変形するようにプログラムされてるの。ここまでは理解OK?」
サエの説明に狐につままれたような表情のまま、英雄がうなずく。
そんな英雄の様子をまったく気にしていない様子で、サエは続ける。
「それでね、この画期的な変身システムを、
ハイパー
アーマー
チェンジ
コントロール
アクション
の頭文字5つをとって、HACCAって言うの。ちょっと、こじつけっぽいけどね」
ここで話がいち段落して、ようやく割り込む隙を見つける。
「ちょっといい、サエちゃん?」
「ん? なに?」
「ここまで用意されてるってことは、DCスクエアとかいうのと僕が戦うのは決定事項なの?」
「そう、そのとおり! 彼らが怪人軍団で襲い来るというのなら、こちらは正義のヒーローで迎え撃つというわけだっ!!」
英雄の問いにはサエの代わりに、ノゾムが大声で答えた。
「いまこの瞬間から、君は正義の特別風紀委員となって、学園と女生徒たちを守るべくDCスクエアの怪人たちと戦うのだっ!!」
続けて言いはなった彼女の瞳はアブナイまでの真剣味を帯びていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! そんな無茶ですよ、いくらなんでも! ただの高校生が強化服を着たからって、すぐさま活躍できるわけないでしょう!」
英雄は思わず声を荒らげたが、
「シッ、なにやら校庭の方が騒がしい」
ノゾムは指を唇に当てて、彼の言葉を遮り、どこから出したか双眼鏡を手に持ち、窓に駆け寄って外へと目をやった。
「くっ、ウワサをすればなんとやら……どうやらDCスクエアが現れたようだ」
ノゾムは英雄へと向きなおった。
「数破くん、早速で悪いのだが出動だっ!」
「え? えーっ?」
「返事は『はい』ッ!」
「は、はい、委員長!」
勢いに飲まれて思わず返事をしてしまう。
(あっ……!)
答えてしまってから大後悔したが、もう遅い。
「うむ、いい返事だ。だが、数破くん、これから変身後においては私のことはその……総司令と呼んでくれるとありがたいのだが……」
ノゾムが気づいたように付けたす。
「へ?」
「本来ならば、このような事は言い出した私が責務を全うすべきなのだが、いかんせん私は皆の期待に応えられるほど運動神経がよくないのだ……そこで涙ながら、私は総司令として君の活躍を見守らせてもらうことにするよ」
(自分がヒーローできないからって、総司令ってのもどうなんだろう……)
英雄はただただ、あきれるしかなかった。
「分かってもらえるだろうか?」
「わ、分かりました、委員長……いえ、総司令!」
もう半分ヤケだった。
「うむ、思った以上の順応性だ。やはり、君にはヒーローとしての資質がある」
ノゾムは満足したようにうなずくと、
「では、出撃だ!」
快活に叫ぶ。
「じゃあ、行ってきます……」
力なく言って出て行こうとする英雄に、ノゾムが追い打ちのように声をかけた。
「君の活躍はサエさんの用意した撮影用ドローンを介して見守らせてもらうよ。細かい指示のやり取りは耳の通信機を通じて行うことにしよう。ああ、それからヒーローのお約束として、正体は誰にも知られないようにしてくれたまえ」
(ええ、絶対に知られたりはしませんッ!!)
英雄は思った。
「いいかな?」
「はっ、はいっ!」
押し切られるように返事をすると、英雄は校庭へと向かうべく部屋を出ていくのだった。