音の出処、特定します。~外れスキルで異世界攻略したら現世の悩みも解決した件~
その夜も、音がしていた。
「……まただよ。っつーか、今度は何だ? 木琴でも叩いてんのか?」
斉藤圭吾は天井を見上げながら、狭いベッドで寝返りを打った。古びた六畳のワンルーム、天井も壁も黄ばんでて、エアコンのリモコンは壊れていた。安さだけが取り柄のボロアパート――鉄筋コンクリート造りなのに、なぜか音が響く。
いや、正確には「どこから鳴っているのか分からない」のだ。真上かと思えば隣かもしれず、壁の向こうかと思えば階下かもしれない。そんな音が、毎晩のように聞こえてくる。
足音、物音、甲高い笑い声、目覚ましのアラーム、ボールを転がすような音――そして今夜は、木琴みたいな「ポン、ポポン」という謎の音色。
「楽器持ち込み禁止って書いてあっただろ、管理会社……」
スマホで時間を見る。午前二時十三分。バイトは昼からだが、さすがに眠気と苛立ちで頭がおかしくなりそうだった。
このアパート、周囲の住人も正体不明だ。顔を合わせてもあいさつしないし、誰が何号室に住んでるのかすら分からない。住人同士が無言の壁で隔てられているような、不気味な空間。
「せめて、場所が分かれば……文句の一つも言えるのによ……」
呻くように呟き、のそりとベッドから起き上がる。
コンビニ行って、コーヒーでも買って気分転換しよう。眠れないなら、せめて目は覚まそう。そう思った。
外は真夜中の静寂に包まれていた。だがそれは、この男の耳には「安心」とは映らなかった。
脳内にはさっきまでの音が残響している。
(あれ絶対楽器だよな……いや、でも……木の床でビー玉転がしたら、あんな音になんのか?)
考えれば考えるほど、音の正体は分からなくなる。
そんなことを考えながら、横断歩道の白線をぼんやりと踏んだ、その時だった。
――プァァァァァァァァァン!!!
「え?」
クラクション。
眩しい光。
そして――
衝撃。
体が宙を舞い、夜空に線を描いた。
思考が、ふっと遠のく。
最期に聞こえたのは、地面に頭をぶつけた「ゴンッ」という、やけに響く音だった。
それが、斉藤圭吾がこの世界で最後に聞いた“騒音”だった。
真っ白な空間に、斉藤圭吾は立っていた。
いや、立っているというより――浮かんでいる、というべきか。重力もなければ、床もない。視界のすべてが白。目を開けても閉じても変わらない、不思議な空間。
「……あれ? ここ、どこだ?」
さっきの出来事は覚えている。車のライト、クラクション、空を飛んだ感触、地面に頭を打った音。
――死んだ?
その仮説に思い至った瞬間、目の前にふわりと誰かが現れた。
「おや、目覚めましたね。初めまして、斉藤圭吾さん」
白いローブをまとった、髭をたくわえた老人。神様テンプレそのままの見た目である。
「……誰っすか、あんた」
「“神”です。あなたは事故で命を落としましたので、転生するチャンスを差し上げましょう」
「……え、マジで?」
異世界転生――あまりにもテンプレすぎて逆に疑いたくなる展開。だが、圭吾は直感で“これは夢じゃない”と確信した。
「転生するにあたって、一つだけスキルを授けましょう。これはあなたに縁ある能力。拒否権はありません」
「スキル? それって、ゲームでいう“技”みたいな?」
「概ね正解です。あなたに授けられるのは……《音定位感知》というスキルです」
瞬間、目の前に青いウィンドウのような表示が浮かんだ。
【スキル:音定位感知(Sound Scan)】
周囲の音を三次元で知覚し、音源の位置・種類・強度を即座に把握する能力。
・視界外でも音源の方向を特定可能
・極微細音も解析可能(例:衣擦れ、心音、呼吸音)
・戦闘補助、偵察、嘘の見抜きなどに応用可能
※戦闘能力はなし。直接攻撃不可。
「……え、これ……地味すぎね?」
「ええ、地味です。そして実際、異世界の一般的な評価では“外れスキル”扱いです」
バッサリ言い切る神様。
「いやいや、そんなクールに言われても! もっとこう……炎を出すとか、剣術チートとか、そういうの無いの?」
「あなたは“音の出処”に強い執着を持って亡くなりましたから……これは、因果応報というものでして」
「……マジかよ」
思い返せば、確かに“音の出処さえ分かれば”と何度も考えていた気がする。だが、それがスキルに直結するとは思ってなかった。
「まあいいか……とりあえず、やってやるよ。異世界で、人生やり直すのも悪くない」
「頼もしいですね。では、あなたを異世界・エルステリア王国の辺境に転送します。転生特典として、言語理解と初期装備もつけておきました」
神様が手をかざすと、光が圭吾の身体を包み始めた。
「お元気で、“音を聴く者”よ」
「いやその称号、ダサ――」
叫び終える前に、視界がぐにゃりと歪んだ。
気づいたときには、森の中だった。
「……マジで、来ちまったな」
手には革のバッグと木の杖。服は見たことない素材のローブ。耳に集中すると――
小鳥のさえずり、木の葉が揺れる音、風が草を撫でる音、どこか遠くで川が流れる音……。
不思議と、それぞれの音が「どの方向」「どれくらいの距離」にあるのか、はっきりわかる。
――これが、《音定位感知》の力か。
「……うわ、気持ちわりぃくらい聞こえる。でも、なんかスゲェ……」
圭吾の異世界生活が、静かに始まった。
「――あ、こっちだ。右上、二十メートル先、枝の上にいる」
「は、はいっ!? ど、どこですか!? 見えませんけど……!」
「いいから、弓を引け。三歩前進、そこから撃てば命中する」
――ズバァンッ!
枝に潜んでいた獣が、音もなく落ちた。
木の葉を踏む音、爪が幹を掴む音、それらすべてを圭吾は“聞いていた”。それも、正確な方向と距離つきで。
「す、すごい……! 本当に見えない相手を……!」
「いや、俺は“見て”ねえ。“聞いてる”んだよ」
旅を始めてから三ヶ月。圭吾のスキル《音定位感知》は、ただの「外れスキル」ではなかった。
隠れた敵の位置を即座に把握し、罠の動作音から仕組みを解析し、心音の変化で嘘を見抜く。町では情報屋に、戦場では偵察役に引っ張りだこ。
やがて、王国に巣食う“沈黙の魔王”の情報が舞い込む。
空気を振動させない、不気味な空間。音が一切存在しない魔城。
誰もが「音が聞こえないなら、何も分からない」と諦めていた。
「逆だ。何も“聞こえない”ってことは――そこに“何かがある”ってことだろ?」
圭吾は一人、魔王城へと潜入した。
魔王城の中は、異様だった。
鳥の鳴き声も、風の音も、足音すら存在しない。
圭吾は思わず自分の耳を疑うが――
「……やっぱり、だよな。俺の靴音、消されてる。でも、それ以外が……」
“何も音がしない空間”は、スキルの逆利用で逆に際立っていた。
一点だけ、完全に「無音」の存在がいる。
呼吸も心音も衣擦れもない、そこだけが“真空”のような違和感。
「あそこだ。中央玉座の後ろ、完全に気配を消して――」
――ズズッ……
音もなく動いた“それ”が、音もなく攻撃してくる。
だが、圭吾は“音のない音”を聴き取っていた。
「なるほど……お前、周囲の音を打ち消してたのか。全部、自分に気づかれないために」
圭吾は腰に下げた短剣を抜き、正面に振るう。
手応え。
――ズバッ!
見えない魔王の肉体が、そこにいた。
「“音がない”ってのは、“音を消してる奴がいる”ってことなんだよ。バレバレなんだよ、スキル的にはな!」
見えない魔王が、絶命の声すらあげずに崩れ落ちる。
異世界に平和が戻った。
圭吾は、王城の謁見室に立っていた。
王様が深々と頭を下げ、言った。
「英雄よ。そなたには“いかなる願い”も叶えて進ぜよう。宝、城、地位、女――何なりと申せ」
……圭吾は一瞬、考えた。
そして、静かに言った。
「俺は……“音のある世界”に戻りたい。俺の音の悩みは、まだ終わってねぇんだ」
その願いは、神々の耳にも届いた。
「……あの男、異世界で魔王を倒しておいて、願いは“帰還”だと?」
「しかも“音のある世界”に、だそうです」
「前代未聞だな。だが、彼には確かに資格がある――《音定位感知》を極めた“聴き手”だからな」
どこか神々の集う空間。
人智を超えた存在たちが、圭吾の願いについて話し合っていた。
だが結論は、すぐに出た。
「――まあ、いいだろう。あれもまた一つの“音”の運命」
「ん……っ」
まぶたの裏に、街灯の明かりが差し込んでいた。
冷たいアスファルトの感触。頬にあたる夜風。遠くから聞こえる車の走行音。ビニール袋が風でこすれる音。
すべてが、懐かしい。
「……あれ、ここ……って」
見覚えのある道路。横断歩道の真ん中。さっき車に轢かれた場所――
でも、身体は無傷。服もそのまま。腕時計は、事故前と同じ時間を示していた。
「……戻ってきたのか? 俺……現世に……?」
独り言を呟いたその瞬間。
《音定位感知(Sound Scan) 起動》
脳内に、あのスキルのウィンドウが浮かび上がった。
――持ち帰ってきた。異世界の力を。
「マジかよ……チート、持ち帰りかよ……!」
脳が音の方向と種類を自動で解析していく。
街路樹の葉の揺れ、遠くの踏切の音、コンビニの自動ドアの開閉音。すべてが立体的に把握できる。
そして――
あの、アパートの方向から聞こえる“ポン、ポポン”という例の音。
「……よし」
圭吾は立ち上がり、アパートへ走り出した。
アパートに戻ったのは深夜三時を過ぎた頃だった。
表札も郵便受けも錆びきった、いつものボロアパート。誰とも目を合わせない住人たち。だが、今の圭吾の耳には――すべての“音の位置”が明確に届いていた。
「……この音、やっぱり……」
例の木琴のような「ポン、ポポン」という不気味な音が、再び響いてくる。
だが、もう迷わなかった。
「隣だ。205号室……お前か」
鼓動が高鳴る。手のひらに汗がにじむ。
だがそれすら、脳内のスキルは“心音反応:正常・緊張”と判断していた。
躊躇せず、圭吾は205号室の扉をノックした。
「……どなたですか?」
中から出てきたのは、地味なスウェット姿の若い男。イヤホンを首にかけている。
「夜分すみません。実は……ずっと前から、夜中に木琴みたいな音が聞こえてて……もしかして、それ、出してませんか?」
「え? ああ……これ?」
男はイヤホンを軽く引っ張って見せた。
「アプリでリラクゼーション音流してるんスよ。木製のチャイムみたいな。めっちゃ音小さいけど、響いてました?」
――間違いない。音の周波数と方向、一致。
「……すっごく、響いてました」
圭吾は苦笑しながらそう言った。
男も恐縮したように何度も頭を下げ、「今日からヘッドホンに変えます」と約束してくれた。
ドアが閉まり、アパートの廊下に再び静寂が戻る。
「ふぅ……やっと、言えた……」
力が抜けたように、その場にしゃがみ込んだ。
異世界の魔王よりも、こっちの方が手強かった気がする――そんな感想が、脳裏をよぎった。
部屋に戻って、カーテンを閉める。
耳に集中すると、遠くの車の音も、人の寝返りの音も、今は“あって当然の音”に思える。
だがその中で――“騒音”は、もうない。
静寂の中に、確かな“安心”があった。
「異世界じゃ魔王倒した。現実じゃ騒音トラブルを倒した。……俺、今が一番充実してる気がする」
そうつぶやいて、圭吾はベッドに倒れ込んだ。
静かな夜が、ようやく訪れたのだった。
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