異世界に転生したワタクシはカスハラを絶対に許さない
ここは『レスタガルド』。かつては巨大な世界を構成していたその残片との伝承はあるものの、真偽は定かでは無い。ただ、この世界がどのようなものであってもそこに住まう人々がいれば人それぞれの営みがあり、世界がどうなっているかということはその営みとは無関係、皆それぞれに生きている。
さてこの世界では時折り別な世界からの来訪者がある。彼らからすればレスタガルドは異世界だ。この物語はそんな彼らの目線に合わせ、異世界『レスタガルド』と呼ぶことにしよう。
レスタガルドは中世の北欧によく似た世界観を持つ。ただし違いがあるとすれば「弱肉強食」の考えが根強く広まっている点にある。とはいえ厳しい自然を生き抜くために、人々は協力し合い、助け合っている。そうでは無い者が多くいて、それが黙認されているだけのことだ。
レスタガルドのとある小さな町に『グラズヘイム』というレストランがある。もちろんチェーン店ではないが、個人営業ながらファミリーレストランほどの店構えだ。
この店で働くウェイトレスにリネア=ベルクソンという少女がいる。彼女は転生者で、死後この世界に突如現れた。転生直後は右も左も分からず苦労はしたが、今ではこうしてウェイトレスの職を得て、慎ましく暮らしている。
◆
「いらっしゃいませ」
お昼時。今日もグラズヘイムは多くの客で賑わっている。レスタガルドは魔物の討伐とやらで賞金を稼ぐ旅行者が多い。グラズヘイムはその立地からこうした旅行者が客として立ち寄るのだ。フロアではメイド服風のユニフォームを身に纏ったウェイトレスたちが、忙しそうにテーブルからテーブルへと動き回る。リネアもその一人。
「よぉ、ネェちゃん」
「はい。なんでございましょう?」
とてもガタイのいい大男がウェイトレスの一人に声を掛けた。大男は他に2人の男たちと一緒にボックス席に掛けていた。
「食後のコーヒーがまだ出てきてねぇんだがよ、どうなってんだよ」
「大変申し訳ございません。今キッチンへ確認して参りますので少々お待ちください」
声を掛けられたのはエイラ。背丈が150cm少々の小柄な身体、その体型を反映したのか声が小さく気も弱い。
「違ぁんだ、そうじゃねぇんだよ、ネェちゃんよぉ! 俺たちゃずーっと待ってんだ、コーヒーが来るのをよぉ。人に無駄な時間を過ごさせといて、その程度、ってぇのかぁ? オイッ!」
大男はバァンとテーブルを叩いて立ち上がる。
「ももも、申し訳ございません」
恐怖に震え上がり首を垂れるエイラの言葉はもはや声すらなってなかった。周りの客は唖然としてその様子を見守る。
その異変にリネアも気付いた。
(はぁ…一番小さくて気の弱そうなエイラを狙いましたか。まったく…カスハラのカスヤロウというのはどこの世界でもやることがカスなのですわ…)
そしてエイラの応援に回る。
「エイラ、代わりますわ。お客様、お待たせして大変申し訳ございません。ただいまコーヒーをお持ちしますので少々お待ちください」
「そうじゃねぇって言ってんだろがぁ! 客を散々待たせといて、まだ待たせるってぇのかよぉ! ああんっ⁈ 謝るてぇなら土下座でもなんでもして詫び入れろや! 客に対して態度がなってねぇってんだよ!」
大男の怒号はエスカレート、立ち上がりリネアの胸ぐらを掴んだ。他の客は驚き騒めくが、チラリとリネアが目線を移せばツレの二人はニヤニヤとこちらの様子を眺めている。
(なるほど…これが初めてじゃない、ってことですわね…)
リネアは表情を崩さず、毅然とした口調で大男に言う。
「お客様。店内での暴言暴行はご遠慮くださいですわ」
「なんだとテメェ。客に対してずいぶんデケェ口聞くじゃねぇか。いいか、昔からこう言うんだ。『お客様は神様です』ってな。俺たちゃ神なんだよ。神の言うことは絶対だ、神の言う通りにしなきゃならねぇんだよ、テメェら店員ってぇのはよ! 分かってんのかァッ!」
男は掴んだリネアの胸ぐらを締め上げ、床へ引きずり倒し馬乗り、いわゆるマウントボジションに。この体勢では逃げることはおろか、顔を殴られれば頭は硬いフロア、まともに喰らえば頭蓋が砕けかねない。
リネアはグラズヘイムのウェイトレスの中ではそこそこ背丈のある方だが、それでも馬乗りになられれば大男の体格との差は歴然、体積比でゆうに2倍はあるだろう。その体格差が余計に男を大きく見せ、グラズヘイムのスタッフも他のお客も、口も手も出せず固唾を飲んで事の推移を見守るだけ。
大男はその状況の有利さを分かっているのだろう、ニヤニヤとリネアを見下ろす。
しかし…不思議なことに、リネアの表情は変わりなく大男を見上げ、むしろ余裕すら感じられる。
「嬢ちゃん、俺を怒らせた罰だ。形が分からなくなるほどそのカワイイ顔をブン殴らせて貰うぜェ! ウラァッ!」
リネアの顔目掛けて振り下ろされた拳。
しかし。
(やれやれ、ですわ)
それは顔まで達することはなかった。落ちてくる拳目掛けて伸びたリネアの右手は拳を躱して手首を掴み自分の顔の右横へ引き落とす。拳はズンっ、と重い音を立てフロアに達した。
「ああん?」
大男は何が起こったのか理解できない顔。しかし拳が目標を殴れなかったことはわかったのか2発目のためにそれを引き抜こうとするが、手首は掴まれたまま。強引に引き抜こうと腕を伸ばした、その時。
「お覚悟あそばせ」
リネアの左掌底が真っ直ぐに伸び切った腕の肘関節へ。
バキィッ
「グ アアアアッ⁈」
手首を掴まれているので力の逃げ場はない。関節が外れたか骨が折れたか、大男の右腕はあり得ない方向へ曲がっている。
「ふんっ。よいっしょー、ですわ」
リネアは大男をブリッジで持ち上げ…いや、その勢いからすればバウンドさせて、と言っても過言ではないだろう、ともかくその巨体をポンっと浮き上がらせると体の間に脚を入れ、巴投げよろしく投げ飛ばす。しかし手首は掴んだままなので大男はビターンと仰向けでフロアに落ちた。
「グアァッ⁈」
「よっこいしょ、ですわ」
リネアは立ち上がるとパンパンと手をはたき
「お客様が神様ならワタクシたち従業員は人なのですわ。アナタが神だというなら人を愛し、慈しみ、大切にして欲しいのですわ。それができないアナタは神などではありません」
大男を蔑み見下ろしキッと睨みつける。
「アクマ、ですわ」
大男は腕の激痛に顔を歪めるが、リネアは意に介さない。
「相手がアクマだというなら容赦は要りませんわ。まだ何かご要望がありますのなら承りますが、ですわ」
大男は周りに聞こえるほどの歯軋りをさせながら立ち上がり、リネアを睨みつけた。
「ギ、グギギギギ…クッソォ…憶えてやがれ」
「アクマの言葉を憶えていられるほどヒマではありませんわ」
「チッ。行くぞ」
「ヘ、ヘイッ!」
大男は子分たちを連れて店を出ようとした、が。
「あらあら。お待ちになってくださいまし」
リネアは男たちの行く手を塞ぐ。
「お忘れ物、ですわ」
ピラッとリネアが大男の鼻先に出したのは…伝票だった。
「またのご来店、お待ちしておりますわ。今度は、ちゃんとお食事にいらしてくださいまし、ですわ」
と、リネアはニコッと営業スマイルで頭を下げると店内を見まわし、
「グラズヘイムへお越しのお客様の皆様、大変お騒がせいたしました。引き続きお食事の方、お楽しみください。今後もレストラン『グラズヘイム』をお引き立て下さいますよう、よろしくお願いします、ですわ」
と、にこやかに一礼をした。
◆
子供の頃。物心ついた時には父はおらず、母が女手一つで私を育てていたが、ふと気がつけば私はひとりぼっち。いつの間にか母には男ができたようで、私を捨ててどこかへ消えてしまった。
身寄りのない私は、行く宛て無くフラフラと夜の街へ出てみると、それを面白がったのかいわゆる水商売の女性が拾ってくれた。以来、そうした女性の元を転々と世話になりながら生きていた。
一方でそんな暮らしなら生活は荒む。身を寄せている女性が働きに出ている間、夜の街に繰り出してはケンカばかりをしていた。無敵だった。挑む者全てを叩き伏せた。
調子に乗っていればやらかすもので、ヤクザの情婦に手を出し、酷い目に遭った。立ち上がれないほどに叩きのめされ…そのヤクザに小さなビルの一室まで連れられた。事務所、というヤツだ。ああ、ここで最後か、もう間も無く東京湾の海底に沈むのだな、と思ったのだが。そうでは無く、何を思ったかこの事務所の主、すなわちヤクザの親分の元へ預けられることになった。
どういう風の吹き回しかこの親分は、私を拳法の道場へ叩き込み稽古をつけさせ、稽古がない時は自分の付き人として、私を使った。用心棒として役立てようという腹づもりだろう。歯向かえば殺されると思い、そうでなくても行く場所の無かった私は無我夢中で稽古と付き人の役に勤しんだ。
ところでこの拳法の道場というのが曲者で、表向きは空手のような拳技蹴技を教えているのだが、ケンカに明け暮れていたせいか私は飲み込みが早く、いつの間にやら奥義とも言える関節技、しかもかなり危険な技までをも叩き込まれるようになった。
あらゆる技を習得し終えた頃、親分に呼ばれ、こう言われた。
「力は暴力を振るうためのものではない。大切なものを守るためのものだ」、と。
そして――――
親分から仕事に就くよう、仰せつかった。仕事先は組が背後にあるレストランだった。ここでホールの仕事、すなわちウェイターとして働くことから始まった。
ウェイターから始まった仕事も年を経ていつの間にやらマネージャーの地位に。当時齢37。そして事件が起こった。
客には色々な人がいる。その大部分は食事を楽しみにきてくれる客。帰りがけに「美味しかったよ。また来るよ」と言われれば、自分が料理をしたものでなくても嬉しいものだ。しかし、そうではない者もいる。初めから料理を食べに来たのではなく、難癖を付けにくる者。いわゆるカスハラ、というものは私の店にもあった。ただトラブルがあっても私が出ていけば収まるのが普通だ。サービス業ゆえに拳法の技を奮うこともなく。
そうでは無かった事例――――相手はまだ20代前半、イキリたがる年頃だ。女連れであったから尚更だったのだろう。何が気に入らなかったのか、私に土下座を付けという。事を穏便に済ませたい私はその言葉に従い地に膝を着く。頭を下げたところで――――この男、イキるにも初心者だったか、私を頭を土足で踏み付けた。ただしその力加減を誤ったのだろう、私の頸椎、すなわち首の骨が折れた。現代も死刑に絞首刑が使われ続ける理由に、執行から死亡までが一瞬、首を通る神経が切れてしまえば痛みも苦しみも感じることがないからだそうだがまさにそうで、私もあっという間に呼吸が止まった。
幽体離脱というのは本当にあるもので、私はホールの天井から亡骸になった自分を見下ろしていた。やがて背中を何かに引っ張られるようにその光景から遠ざかって行く。最後に見た景色は――――私を踏み付けた男が従業員総出で撲殺されたシーンだった。
ところで私は…男、だぞ。
◆
しばらくの記憶が無い後、私はこの『レスタガルド』と呼ばれる世界へと顕現していた。か弱き女性の体を受肉して。しかし雀百まで踊り忘れずとでもいうか、身に付いた拳法の技能はこの体でも引き継いだ。しかもさすが異世界転生、ちょっとした魔法のおまけ付きで。おかげで弱肉強食のレスタガルドでも生き延びることができ、今このようにグラズヘイムでウェイトレスとしての職を得ている。まるで人生のやり直しのようだが、これはこれで悪くないとも思う。しかし…異世界に転生したワタクシはカスハラを絶対に許さない、ですわ。
◆
「リネアさま〜!」
ランチ帯のお客様がひと段落して休憩タイム。控室に入った途端、エイラが抱きついてきたのですわ。
「さっきはありがとうございまっしゅ〜」
仕事中はオドオドしつつもしっかり喋るのですが仕事を離れると元気いっぱいで妙な喋り方になるのですわ。
今は先ほどのことがあるので分かるのですが、どうにもワタクシはこの娘に気に入られているようで、彼女はことあるごとにこうして抱きついてくるのですわ。
「ウェヒィィィッ⁈」
気に入られていること自体は悪い気はしないのですが、この世界『レスタガルド』に来てからというもの、こうして女性に抱きつかれるとなぜだか拒絶反応。全身に鳥肌が立ってしまいますの。生前は年上のお姉様方相手にブイブイ言わせていたのに…前世の因果が今報い?かしら…
「あの、エイラさん、落ち着いて。大したことではないのですわ」
ワタクシの胸に嬉々として顔を埋めるエイラを引き剥がしたところへ
「いやいやいやー。あんな大男ブン投げておいて大したことないはないわー」
と、同じく休憩を取っていたウェイトレス仲間のアストリッド。
「そ、そうかしら?」
「まぁこういう時に店長が入ってくれればいいんだけど、ウチの店長はヒヨるからねー」
「…そうですわねぇ…」
アストリッドも見てるだけで何もしないのですが…確かに間に店長に入って欲しいところなのだけど、店長をはじめみんな、レスタガルドの弱肉強食の掟にビビり上がって見て見ぬフリ。いつも仕方なくワタクシが間に入ることに。危険手当くらいは付けて欲しいのですわ…
◆
陽が傾き始めてディナーの時間帯。近くに宿屋はいくつかあれど、酒場はあってもお食事はできないのでグラズヘイムは夕食時も大盛況。しかし、こういう忙しい時に限ってやって来るのは招かれざる客、なのですわ…
「いえ、確かにこちらのセットで注文をいただいていますが」
「ボクはこんなの頼んでないよ。どこをどう聞けば注文を間違えるのかな? 初歩中の初歩からなってないんじゃないかな、この店は」
絡まれているのはアストリッド。チラチラとワタクシの方を見ては「なんとかして」と目で訴えてくる。やれやれ…他のお客の手前、さっさと厄介な案件は片してしまいましょう、ですわ。
「お客様、いかがなさいましたか?」
17番テーブルへ赴き、声を掛ける。しかし…このお客、なんだか様子が変、ですわ。
黒いマントに黒い帽子。魔法がある世界ゆえに珍しい服装ではないのですが、ワタクシが声を掛けた途端、ニヤリと口元が歪んだような。
「キミかな? ボクの仲間を痛めつけたウェイトレスってのは」
「何のことでございましょうか、ですわ」
「昼頃、2mほどの大男が来たろ? 彼はボクが主催するパーティー『ドレッドノート』の一員なんだよ。これから大事なクエストがあるというのに、無抵抗な彼の腕を折っておいてタダで済むと思うかい?」
そちらの事情など知ったことではありませんわ。それにドレッドノートとは勇敢な者という意味、ですわよね? カスハラする輩には到底不釣り合いな名ですが、それはさておき。
「無抵抗って…」
人を投げ飛ばして馬乗りになるのが無抵抗、とは。
「ふーん、口ごたえするんだ、お客様相手に。客を大事にできない店なんか潰れてしまえばいい。そして客に暴力を振るうような店員にはお仕置きが必要だよね!」
黒マントの男は立ち上がると杖を構えて何やらブツブツ言い始めた。魔法の呪文詠唱ってヤツですわ。こんなところで攻撃魔法を使うとは正気の沙汰ではありませんわ。
「喰らえッ!」
1mとない至近距離で杖から光球が飛び出す。しかし。
パシュゥゥゥ…
ワタクシはそれを前に翳した右手で掴み消す。
「な…んだと…?」
カスハラ黒マントは目ん玉ひん剥いて驚いていますが。
「まさか…幻◯殺し…」
「そんなワケありませんわ。ちゃんと表紙のタイトル確認しやがれですわ。ここは学◯都市ではありませんのよ?」
「それじゃ…これは」
「魔術師というのはテメェがそれを喰らうとは夢にも思ってないから自分の魔法に対する防御なんて考えちゃいませんもの。だから!」
言って分からない手合いには体で覚えて頂きますわ。
そのビックリ眼のアホ面へササッと近寄り、左手で杖を弾き上げ
「喰らいやがれですわ! わからせパァァァァァァァンチッ!」
ゴオッ
鳩尾目掛けてへ右ストレート。
ドオッ
「グハァッ」
見事命中、ですわ。
「何の落ち度も無いのに言い掛かりを付けられては堪りませんわ。同じモノを味わえば受けた者の痛みが分かるのではなくて? カラダにも。ココロにも」
「な…何なんだ、これは」
「ワタクシは相手の放った魔法を吸収して拳に乗せてお返しできますの。気持ち利子が付きますけど。詠唱無しでイケますよの?」
ゴゴゴゴゴ…
何やら不穏な効果音。
「…それで…アナタの放った魔法。これ何ですの?」
「…超巨大爆発」
「え? それヤバ」
黒マントの鳩尾から発した白い光球は瞬く間に巨大に膨れ上がり…
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…
グラズヘイムが…吹き飛んでしまいましたわ…お代を頂きそびれました。
…まったく、カスハラヤロウに関わると、碌なことがありませんわ…ふぅ…