7話 紅き王女と消えぬ面影
厳かに鐘が鳴る中、静寂が葬儀の場を包み込んでいた。
燭台の淡い炎が揺らめき、亡き忠臣の棺を穏やかに照らす。
列席する者たちは皆、深く頭を垂れ、敬愛する忠臣の死を悼んでいた。
若き女王ゼノペアは、凛とした姿勢で前へと進み出る。
そして、列席する者たちに聞かせるように、はっきりと言葉を紡いだ。
「エゼルシアは、かつてこの大陸を統べた誇り高き王国だった。」
「しかし今や、その栄光は過去のものとなり、領土は旧都フェルムテを中心とする僅かな地域を残すのみとなった。」
「かつて誇った広大な統治権も、今や失われて久しい。」
女王の声は静かだが、その一言一言が堂々と響き渡る。
「もともとエゼルシアの支配下にあった貴族たちは、次第に独立の意志を強め、ついには中央の王権を否定し、それぞれが己の国を築いた。」
「己が覇を唱え、新たな体制を築くことを選んだのだ。」
「大陸に争乱をもたらし、戦火を広げたことで、今もなお、多くの無垢な民が血を流し続けている。」
「このような蛮行を、決して許してはならない。」
「周知の通り、エゼルシアは四方をセルヴァニアの領地に囲まれている。」
「セルヴァニアがエゼルシアの王権を封じるために、貴族たちが結託して築き上げた国家であることは、もはや疑いようもない。」
「王政の復活を恐れた彼らは、王の権力を削ぎ、抑え込み、徹底して王国の影響力を奪う政策を推し進めてきた。」
「そして、その結果が今のエゼルシアだ。」
「かつての威光は地に堕ち、政治も軍も貴族たちに奪われ、今や名ばかりの王国と成り果てた。」
「貴族どもが作り上げた"象徴としての王国"――それこそが、今のエゼルシアなのだ。」
ゼノペアは一歩、棺へと歩み寄る。
その手は静かに棺の縁に添えられ、炎のゆらめきが彼女の赤髪を照らす。
「だが……イゼオルドが蒔いた種が、芽吹こうとしている。」
「亡き忠臣が生涯をかけて築いたもの。それは決して無駄ではなかった。」
「セルヴァニアでも、王家の復興を求める声が高まりつつある。」
「長きにわたり王権を封じてきたその地が、王家のもとへと帰順する時も、そう遠くはない。」
「王家の復興を願い、王の名のもとに集う者たちがいる。」
「そして、彼らの願いは、イゼオルドの信念とともに確実に広がっている。」
「皆に愛された忠臣、イゼオルドは、生涯をかけて大義を果たし、その使命とともに逝った。」
ゼノペアは棺の前で静かに誓いを立てる。
「イゼオルドよ――。」
「そなたの志、そなたの願い、そしてそなたが命を賭して支えてきた王家――。」
「私が、必ず取り戻してみせる。」
堂々とした言葉が静寂の中に響き渡る。
亡き忠臣への、何よりの弔いの言葉だった。
葬儀を終え、ゼノペアは静かに自室へ戻った。
扉を閉めると、外の喧騒から切り離されたかのように、部屋は静寂に包まれる。
彼女は窓辺に立ち、遠くに広がる夜の闇を見つめながら、独り言を呟いた。
「エゼルシアは、イゼオルドが描いた筋書き通りに戦争へと進んでいる。」
「こうなることは、私が物心つく前にはすでに決められていたこと……。」
「分かってる。……この流れは、誰にも止められない。」
その事実が胸を締めつける。
ゼノペアは静かに手にしていたワインを口に運び、ゆっくりと喉を潤した。
グラスの縁を指でなぞりながら、しばし考え込む。
「もう……どうにもならないな……。」
ゼノペアは静かに目を伏せ、グラスの中で揺れる赤い液体を見つめた。
虚ろな言葉を、ため息とともに虚空へ吐き出した。
「もう後戻りはできない。」
ゼノペアは静かに目を閉じ、一度だけ深く息を吐く。
迷いを振り払い、覚悟を決めるようにゆっくりと瞳を開いた。
そして、薄く笑いながら静かに言葉を紡ぐ。
「……どうせなら、世界のすべてを…。」
ゼノペアは静かに呟き、窓の外に広がる夜空を見上げる。
「手にしたいな。」
自嘲するように笑いながら、ゆっくりと手を伸ばした。
まるで、彼方に輝く星々をその掌で掴み取るかのように――。
コン、コン――
静寂を破るように、扉を叩く音が響いた。
「ロアです。セルヴァニアの件について、ご報告に参りました。」
扉の向こうから聞こえてきたのは、聞きなじみのある落ち着いた声だった。
「……どうぞ。」
短く告げると、扉が静かに開かれる。
ゼノペアは手にしていたワインのグラスをテーブルにそっと置き、視線を扉の方へ向けた。
ロアは恭しく一礼し、敬意を表しながら口を開く。
「葬儀の場でのゼノペア様のお言葉、誠に感服いたしました。」
「イゼオルドも、さぞ喜んでいることでしょう。」
「やめて…。私は、ただロアが用意した言葉を読んだだけ。」
「あと、誰も見てないんだから、かしこまらなくていい。」
「…じゃあ、心優しき女王様に甘えて……。」
ロアは軽く息をつき、少しだけ肩の力を抜いた。
ゼノペアは無言のまま、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
「ゼノ、セルヴァニアの貴族派閥の統制が進んで、ようやく掌握の目処が立ったわ。」
「あと、2~3ヶ月ってとこね。」
「そう。」
ゼノペアは淡々と答えながら、ロアに視線を向ける。
「ねぇ、ロアはこの戦いについてどう思う?」
ロアは一瞬考え、静かに口を開いた。
「歴史的に見ても正当な戦いだと思う。王権の回復と、失われた領土の奪還――」
「そうじゃない。」
ゼノペアの声がロアの言葉を遮る。
その瞳には、どこか深い迷いが滲んでいた。
ゼノペアはどこか遠くを見つめながら静かに言葉を紡いだ。
「私は……これから流れる血と、私を慕ってくれる仲間を失うのが怖い。」
「もちろん、奴らが両親を殺したことを許したわけじゃないけど…。」
ゼノペアの瞳に、かすかに怒りと悲しみが揺れる。
「ただ、なんだかなあ……。」
言葉にしきれぬ感情を振り払うように、ゼノペアは肩をすくめる。
「復讐を誓った私に……まだ、人を思う良心があるなんてね。」
淡く笑いながら呟いたその声は、どこか苦しげで、それでいて寂しさを滲ませていた。
ロアはゼノペアの様子をじっと見つめ、静かに歩み寄る。
ソファへと腰を下ろし、背もたれに軽く身を預けながら、視線をゼノペアに向けた。
「どうしたの? 今日は随分と弱気ね。」
ゼノペアはふっと息を吐き、淡い笑みを浮かべながら答えた。
「今日は……そういう気分みたい。」
「疲れてるのかもしれない。」
ロアは軽く肩をすくめ、口元にわずかな笑みを浮かべる。
「イゼオルド様が亡くなってから、ずっとバタバタしてたしね。」
ゼノペアは視線を落とし、ワイングラスを軽く揺らす。
「ためらうなんて……私にも、まだ"人"の血が通っていたということね。」
自嘲するような口調だったが、その瞳には消えぬ迷いが揺れていた。
ロアは静かに微笑み、迷いのない声で告げた。
「私はゼノについていくわ。」
「ゼノに命を拾われてからずっと、そう決めているもの。」
ゼノペアはその言葉を聞きながら、しばし沈黙する。
ロアの言葉には、揺るぎない忠誠と、確かな覚悟が滲んでいた。
「ロアには敵わないわね。」
そう呟くと、迷いを振り払うように目を閉じ、深く息をつく。
「ためらうのは、今日で最後するわ。」
「いつまでも悩んでいたら、みんなに示しがつかないものね。」
「あら、そう? ゼノのそういう人間らしい部分も素敵だと思うけど。」
「でも、そうね…。」
ロアは穏やかに微笑み、優しく言葉を紡ぐ。
「これからも、私たちは二人で一人なわけだし。」
「ゼノが背負いきれないものは、私が背負うから。」
迷いなくそう告げるロアに、ゼノペアはふっと微笑んだ。
「ほんとにロアは、私のお姉ちゃんみたいね。」
ロアは優しく微笑み、迷いなく答えた。
「そうよ。血が繋がってなくても、ゼノは私のかわいい、かわいい妹よ。」
からかうような口調だったが、その声には確かな温もりがあった。
「まったく……ロアは私を甘やかしすぎよ。」
ロアはくすっと笑い、軽く腕を組む。
「いいのよ。私はゼノの努力もちゃんと知ってるし。」
優しく、それでいて揺るぎない声で続ける。
「それに、それが姉の役目でしょ?」
ロアの言葉で胸の内にある迷いが、少しだけ軽くなった気がした。
「そういえば、王として――そろそろ後継について考えてもいい頃じゃない?」
「まだ、いいよ。ロアは気が早すぎ。」
「そうでもないわよ、これから戦争までに残された時間は少ないんだから。」
「それに、ゼノは特段、相手探しにも時間がかかるでしょ。」
「もし、私が子を授かるとしても、私みたいな経験はさせたくない。」
「だから…戦争に勝ったら考える。」
「それに……私には、すでに心に決めた人がいるから。」
ロアの動きが一瞬止まる。
「えっ!!…そうなの!」
驚きに目を丸くしながら、思わずソファから身を乗り出す。
「そんな話、今まで……。」
「いったい誰なの? 難攻不落と呼ばれたゼノをたぶらかした男は。」
ニヤリとした笑みを浮かべながら、ゼノペアをからかうような口調で尋ねる。
ゼノペアは静かに呟く。
「……スタインくん。」
「……誰それ??」
ロアの首を傾げる声を聞きながら、ゼノペアはゆっくりと遠い記憶を辿る。
「イゼオルドは、私を護るために身分を隠して、私を孤児院に預けたでしょ。」
「スタインくんは、その孤児院で共に育った幼馴染。」
「はぁ……。」
ロアは呆れたようでいて、どこか諦めにも似た微笑を浮かべた。
ゼノペアはそんなロアの反応など気にも留めず、言葉を続ける。
「私は母上を目の前で殺され、絶望の底に沈んだ。塞ぎ込み、壊れていた。」
「異国の地に置き去りにされ、服はボロボロ。変装のために亜人族の烙印を押され、"人"ですらない扱いを受けた。周囲の視線は冷たく、避けられ、罵られる日々。次第に私は感情を失い、ただそこにいるだけの存在になった。髪は手入れもできずにぼさぼさ。放置された髪には虫が湧き、他の子どもたちからも"化け物"と呼ばれ、遠ざけられた。」
一瞬、ゼノペアの瞳が揺れる。
「でも、そんな私に唯一手を差し伸べてくれたのが――スタインくんだった。」
「彼は、化け物扱いされていた私を気にかけ、何度も話しかけてくれた。私が答えなくても、反応しなくても、決して諦めることなく。」
「自分も空腹で痩せ細っていたのに、少しでも多く食べさせようと、ご飯を分けてくれた。私の代わりに身の回りの世話をし、うつむく私を笑わせようと必死になってくれた。」
「誰もが避ける中で、彼だけは私を"友達"として見てくれた。」
ゼノペアは、わずかに微笑む。
「ある日、彼は私の手を引いて孤児院を抜け出した。見せてくれたのは――どこまでも広がる、美しい花畑。」
「風に揺れる無数の花々。太陽に照らされた色とりどりの世界。」
「孤児院の暗く狭い空間しか知らなかった私にとって、それは"命の輝き"そのもののように感じられた。灰色の世界に閉じ込められていた私に、初めて"色"を取り戻してくれた。」
「そして思った。"この人のために生きたい"と。」
静かに瞳を閉じ、ゼノペアは続ける。
「それから私は、いつもスタインくんのそばにいた。彼と過ごすうちに、少しずつ自分を取り戻していった。孤独だった私にとって、彼は唯一の光だった。」
「けれど――十五の誕生日に、すべてが終わった。」
「イゼオルドが私を迎えに来たの。突然だった。」
「気づけば、私は強引に連れ去られていた。別れの言葉も言えず、彼のプレゼントも受け取れないまま。」
「何が起きたのかもわからず、私はただ泣き続けた。」
「私を連れ去った馬車の中で初めて――私は"エゼルシアの王女"であることを知った。」
「そしてスラマという男が、父上を病に追いやり、殺したこと。」
「それだけでは飽き足らず、母上までその手にかけたことを――。」
「だから、孤児院に身を隠す必要があったてね。」
「私はぐちゃぐちゃになりながら"家族"を奪われたことを知った。」
静かな室内に、彼女の言葉が重く響いた。
「その後は、ロアに出会って知っての通り、イゼオルドの容赦のない鍛錬の毎日だった。」
「それでも、私はスタインくんのことを、一度たりとも忘れたことはない。」
ゼノペアが語り終えると、ロアは少しだけ目を細め、静かにため息をついた。
「悪いことは言わない。」
「……ゼノ、諦めなさい。」
「はっきり言って、拗らせすぎよ。」
「しかも、相手は平民で、最後に会ったのは15のときなんでしょ?」
ロアの言葉に、ゼノペアは不機嫌そうにそっぽを向く。
「……嫌よ。」
「孤児院に行くときに烙印を押されたことは知ってたけど、そんな出会いがあったなんて初耳よ。」
「どうして今まで話してくれなかったの?」
「ロアとは、こういう話することなかったし……それに、恥ずかしいから。」
ロアは軽く肩をすくめ、呆れたようにため息をつく。
「あなたねぇ……。」
「でも、ゼノを救ってくれたスタインくんには感謝してもしきれないわね。」
「……そうよ。」
それ以上は何も言わなかった。
ただ、静かにその名前を噛みしめるように、心の中で繰り返した。