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6話 揺れる波、揺るがぬ忠誠


早朝――


水上都市オメトリアの空が、ゆっくりと淡い朝焼けに染まり始めたころ。

船着き場にはひんやりとした朝の空気が漂い、静けさの中にも活気が混じり始めていた。


すでに何隻もの船が停泊し、乗客や商人たちが忙しなく行き交っている。

その喧騒の中、一際大きな商船の前に、スタインとエメレイの姿があった。


スタインの後ろでは、まだ眠たそうなエメレイが、半ば夢の中のようにふらふらとついてきている。


「……眠たいです……。」


エメレイは目をこすりながら、今にも倒れそうな足取りで歩く。


「しっかり歩かないと落ちるぞ。」

「ふぇぇ……。」


スタインの注意もどこ吹く風。

エメレイは大きなあくびをしながら、まぶたを擦るばかりだった。


スタインはそんな彼女を横目に、乗船の手続きを済ませる。


この船は、シンシアを発ってから二か月かけて辿り着いた水上都市オメトリアを出港し、さらに東の寄港地を経由する。

最終的な目的地は、北東に位置する貿易都市ネーレスカ――各地の商人や旅人が集う交易の要だ。

寄港を含めればおよそ30~40日の船旅となる。


「……長い船旅になりますね……。」


エメレイは、手続きを終えたスタインの隣で船を見上げながら呟いた。


「……ああ」


すでに船の甲板には多くの乗客が乗り込んでおり、積み荷の確認をする船員たちの声が響いている。

二人は商船に乗り込み、メインデッキに腰を下ろした。

やがて、船がゆっくりと動き出す。


しばらくするとエメレイは体を揺らしながら、不安げに眉をひそめた。


「……あれ、なんだか気持ち悪いです……。」


額にそっと手を当て、顔をしかめる。


「船酔いか?」


スタインはちらりと彼女の顔をうかがった。

さっきまで眠そうにしていた彼女の表情は、今ではほんのり青ざめている。


「……そうかもしれません……頭がぐるぐるします……。」


エメレイはぐったりとした様子で、壁に寄りかかった。

朝の澄んだ空気が心地よいはずなのに、船の揺れがそれを台無しにしていく。

胃の奥が不快に波打ち、全身がだるくなっていく感覚に耐えきれず、小さく息を吐いた。


「目を閉じて、深呼吸しろ。無理に動くと余計に悪化する。」


スタインは淡々と助言しながら、鞄の中から水筒を取り出す。


「ほら、水を飲め。少しは楽になるかもしれん。」


「……ありがとうございます……。」


エメレイはゆっくりと水を口に含み、喉を潤す。

けれど、船の揺れが収まる気配はなく、気分が回復することはなかった。


「……スタインさんは、平気なんですか?」

「慣れてるからな。」


何事もないように海を眺めるスタイン。

エメレイは羨ましそうに彼を見上げたが、すぐに視線を伏せた。


「うぅ……早く着いてほしいです……。」


彼女はしばらく目を閉じたまま、波の揺れに耐えようとじっと座っていた。

朝の柔らかな光が船を包み込みながら、静かに目的地へと向かっていく。


_____________________________________




豪奢な寝室の中で――


燭台の淡い光が揺らめき、絢爛豪華な寝室の静寂を優しく照らしていた。

天井には精緻な金細工が施され、壁には織物と紋章が飾られている。

空間を満たす香木の甘い香りも、この場に漂う重苦しい空気を拭うことはできなかった。


豪奢な寝台の上には、かつて剛毅で聡明だった男が横たわっていた。

贅を尽くした絹の寝具に包まれているものの、その顔色は青ざめ、すでに命の灯が尽きかけていた。

しかし、朽ち果てようとする肉体とは裏腹に、男の瞳にはまだ王家を見据える強い光が残っていた。


その前に立つのは、長髪の赤髪の女性。

気高く、美しく――そして、どこか深い悲しみを湛えた瞳で、忠臣を真っ直ぐに見つめていた。

彼女のすぐ背後には、桃色の長髪を揺らす女性が控えていた。

一歩下がった位置から、静かなまなざしで忠臣の姿を見守っていた。

静寂を破るように、燭台の炎がふっと揺れた。

その一瞬、忠臣は最後の力を振り絞り――ゆっくりと口を開いた。


彼の声は、かすれながらも重々しく響く。


「……かつて、この大陸は真の王によって統べられていた。」

「そなたたちが生まれる前、この大陸は王家の下、皆、平等であった。」

「先々代陛下は慈愛の王であり、争いを望まぬお方だった。 」

「だからこそ、多くの者が陛下を慕い、エゼルシアは平穏を享受していた。」


その声には、遠い日々を思い起こすような懐かしさが滲んでいた。

長年、胸の奥に押し込めてきた想いが、堰を切ったように止めどなく溢れ出していく。


「だが、平穏とは脆いものだ……。」


彼は目を閉じ、過去の記憶を振り返る。


「陛下が病に伏せられた時、不運にも大陸は未曾有の天災に見舞われ、大規模な飢饉が発生した。」

「起きてはならないことが重なった…。」

「疲弊しきった民は王に救いを求めたが、すでに陛下は病で身動きの取れぬ状態だった。」

「陛下は、王権勢力の筆頭であったかつての左大臣スラマに内政を託された。」

「しかし、スラマは王権を支えるべき立場にありながら、一部の貴族と結託し、王の名を騙って民を虐げる圧政を敷いた。」

「 救いを求める民を切り捨て、無慈悲に見殺しにしたのだ。」


忠臣は、深く息を吐くと、衰えた手で布団を握りしめた。


「スラマは、数多の王権派の貴族を葬り去り、その血で貴族勢力の力を肥え太らせた。」


彼の声には、怒りと悔恨が滲む。


「王家は次第に民の信頼を失い、王権は形骸化し、そしてついには簒奪者どもの手に落ちた。」

「奴らにとって、このエゼルシアとは、ただ亜人族から己を守るための砦に過ぎなかったのだ。」


忠臣の目は、遠い過去を見つめるかのようにわずかに揺れる。


「当時、私はまだ若く、力もなかった。 スラマの暴虐を阻むどころか、己の命すら常に狙われる立場であった……。」


燭火がかすかに揺らめき、忠臣の影がゆらゆらと壁に映る。

その姿は、彼がいかに苦難の時代を生き抜いてきたかを物語っていた。


声に怒りが滲む。


「亜人族が滅びた今、人の結束は儚くも崩れ去り、人は己の欲に溺れ、同胞同士で争うようになった……。」

「陛下は……もはや動くこと叶わぬ身となっても、なお民を案じ、ただ己を責め、嘆き続けておられた。」


「私は臣下として、長きにわたりその無念を背負い続けてきた……。」


「旧都を奪還し、国内の王権勢力を立て直し、そして拡大させた。」

「そなたの父君を暗殺した逆賊、スラマ一派を追放するために――私は一生を費やした……。」


そこまで語ると、彼は静かに目を閉じ、肩で息をする。

彼の瞳には、遠い過去の戦いの光景が映っているかのようだった。


「だが、その間に貴族どもは己の国を持ち、エゼルシアを喰い尽くした。」

「もはや、この国は旧都フェルムテを除き、大陸のすべての領土を失った……。」

「王は、正統なる血統を継ぐ者でありながら、その名ばかりを残す飾りとなり果てた。」


「貴族どもは王を敬うどころか、己が王を気取っている。」

「あれだけの恩義を受けておりながら、奴らは……エゼルシアを、陛下を踏み躙った。」

「王への忠義を忘れ、国を、民を、自らの私物とした。」


忠臣の瞳に、燃え尽きかけた光がなお消えず、かすかに揺らめく。


「……断じて許すことはできない。」


彼はゆっくりと目を閉じる。


「陛下を侮る愚か者には、必ず報いを受けさせねばならん。」


「私はこの命を賭して、忘れ形見であるそなたにかつてのエゼルシアを取り戻させる。 」

「それこそが、私が歩んできた道の答えだった。」


彼は微かに笑うように息を吐いた。


「だが……その願いも、ついには叶わなかった。」


「私の体は衰え、もはや戦う力は残されていない。 」

「かつて剣を振るい、策を巡らせ、血と汗にまみれながら貴族どもと戦い続けたこの身も――力尽きる。」


彼は最後の力を振り絞り、目の前の王に視線を向ける。


「ゼノペア・アムネリア・オルフェリア……。」


その名を呼ぶ声は、静かで、それでいて重く響いた。


「そなたにこの無念を託さねばならぬこと……それこそが、このイゼオルドの不徳の極みだ。」


彼の視線が少しずつ霞んでいく。

しかし、その目には最後まで王家への忠誠と誇りが宿っていた。


燭火がふっと揺れ、静寂が部屋を包み込んだ。

揺らめく燭火が、彼の皺深い顔を淡く照らす。


「貴族どもは己の領地に執着し、互いに争い、民を苦しめ続けている。」

「……犠牲になるのは、いつの時代も無知な民だ。」

「奴らは守るべき存在であるはずの民に、無意味な血を流させている。」


「王が再び大陸を束ねなければ、真の平穏は決して戻ることはない。」


彼は、横たわったままかすかに拳を握る。


「王とは断じて飾りではない。 王こそが、民を導く道標であり、国の柱なのだ。」

「そなたが真に王となるのであれば、生半可な覚悟では務まらぬ。 王冠は、ただの象徴ではない。」

「ゼノペア。誇りも、責任も、これから流れる血の重みも――そのすべてを背負う覚悟があるか?」


「――無論だ。」


赤髪の女王は、揺るぎない瞳で忠臣を見つめ、力強く答えた。


寝台の上、忠臣イゼオルドはわずかに息を整えながら、最期の言葉を紡ぐ。


「陛下や父君の代わりにはなれなかったが、そなたたちには私のすべてを授けたつもりだ。」


その瞳には、かつての王とその息子であった先代王――忠誠を誓い、共に歩んできた主君たちの面影が映る。 そして、今目の前にいるのは、その血を受け継ぎ、未来を担う者たち。


長髪の赤髪の女王――ゼノペア・アムネリア・オルフェリアは、一歩前へと進み、深く頭を下げた。

彼女の瞳には、強い決意と哀しみが滲んでいる。


「亡き祖父と父上に代わり、心より礼を言う。」

「イゼオルド、お前の長年にわたる忠義、誠に見事であった。」

「祖父も、父上も、これほどの忠臣を持てたことを誇りに思うことだろう。」


「そして、私からも伝えねばならぬ。」

「私がこうして王として即位できたのは、ひとえにお前の尽力によるものだ。」

「何よりも、幼き頃より幾度となく、政敵からこの身を守り続けてくれた。」

「貴殿から受けた数多の恩義、決して忘れはしない。」

「その忠誠と献身に、心からの感謝を捧げる。」


静かで、しかし芯のある声だった。


イゼオルドは微かに笑みを浮かべ、疲れた目を細める。


「……私には、過ぎた言葉だ……。」


「ゼノペアよ……。陛下に似て、心優しきそなたに、これから始まる戦の口火を切らせることになるとは……。」

「この愚かな臣下を、どうか許してほしい……。」


女王は何も言わず、ただ静かにその謝罪を受け入れた。

その瞳には、揺るがぬ決意と、消えることのない悲しみが滲んでいた。


その視線が、ゼノペアのすぐ隣に立つ長髪の桃色の髪の女性へと移る。


「ロア、ゼノペアを――その命に代えても支え、護るのだ。」


静かながらも、その言葉には確かな信念が宿っていた。

王を支える者としての責務、覚悟、そのすべてを託す言葉。


ロア――桃色の髪の女性は、凛とした態度で深く頷いた。


「心得ております、お義父様。」


その声には、一片の迷いもなかった。


イゼオルドの目が、安堵の色を帯びる。

忠義を捧げた王家は、確かに次の世代へと引き継がれていく。


燭台の炎が静かに揺れ、彼の意識がゆっくりと遠のいていく――。


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