5話 水上都市オメトリア
「見えてきましたよ!」
エメレイが指をさし、興奮気味に叫んだ。
「あれが、水上都市オメトリア!」
霧の向こうに、壮大な都市の姿が浮かび上がる。
大きな湖の中央に築かれたその都市は、堅牢な城壁に囲まれ、外界との境界を厳かに示していた。
対岸とつながる二本の巨大な橋が都市と陸地をつなぎ、堂々たる姿を誇っている。
城壁は水面から高く築かれ、まるで湖の上に浮かぶ要塞のようだった。
水面に映る城壁と灯火がゆらめき、幻想的な光景を描き出している。
二人は水上都市オメトリアの入り口近くへと歩みを進めた。
巨大な橋を渡るにつれ、城壁の威圧感が増していく。
近づくほどに、その頑丈な造りや高くそびえる門の荘厳さがはっきりとわかる。
門の前には、鎧をまとった門兵たちが警戒の目を光らせていた。
都市の賑わいとは対照的に、入り口周辺は張り詰めた空気が漂っている。
「……さて、無事に入れるといいがな。」
スタインが小さく息を吐き、門を見上げた。
「すごい……!」
エメレイが思わず息をのむ。
水上都市オメトリアの入り口近く、巨大な聖獣の像が堂々と街を見下ろしていた。
その姿は威厳に満ち、見る者を圧倒するほどの迫力がある。
磨き上げられた石肌は長い年月を経てもなお輝き、まるで今にも動き出しそうなほどの生命感を宿していた。
「これが……オメトリアを守る聖獣像……。」
高くそびえ立つその姿は、街の象徴として絶対的な存在感を放っていた。
門兵に関料を支払い、何事もなく水上都市オメトリアの内部へと足を踏み入れた。
城門をくぐると、広大な石畳の大通りが目の前に広がる。
通りの両側には市場や商店が立ち並び、活気あふれる人々の声が響いていた。
遠くには水路が張り巡らされ、運河を行き交う小舟が忙しなく動いている。
都市の中心には高くそびえる建物が見え、まるで水の上に浮かぶ巨大な迷宮のようだった。
「……さすがは水上都市です!名に恥じない壮観さですね!!」
エメレイが目を輝かせながら辺りを見回す。
「想像以上だな。」
スタインは静かに言い、群衆の中へと足を進めた。
エメレイは目を輝かせながら、活気あふれる街並みを見渡した。
「すごい! 本当に水の上に街があるんですね!」
「水上都市と呼ばれるだけはあるな。」
スタインは周囲の様子を冷静に観察しながら答えた。
市場には新鮮な魚や貝が並び、香ばしい焼き魚の匂いが漂っている。
カラフルな布を売る露店や、異国風の調度品を並べた商店もあり、歩いているだけで目を奪われる光景が広がっていた。
エメレイは楽しそうにあちこち見回していたが、ふと何かに気づいたように足を止めた。
「スタインさん! あれ見てください!」
彼女が指をさした先には、水路に沿って並ぶ小舟型の屋台があった。
「あれって……水の上で商売してるんですか!?」
「ああ。オメトリアでは、船の上で商売するのが昔からの伝統らしい。」
スタインがそう説明する間にも、屋台の舟は次々と移動しながら客と取引をしていた。
船頭が巧みに櫂を操りながら、まるで水上を滑るように進んでいく。
「すごい……! 一度乗ってみたいです!」
「そうだな。でも、遊びに来たわけじゃない。」
スタインは苦笑しながらエメレイを促す。
「まずは宿を探すぞ。」
「はい! でも……どこに泊まるんですか?」
エメレイが不安そうに尋ねると、スタインは懐から小さな紙片を取り出した。
「ギルドから紹介された宿がある。そこに向かう。」
「なるほど! じゃあ、迷わずに済みますね!」
エメレイは安心したように頷き、スタインの後を追った。
活気あふれる市場の喧騒を抜け、石畳の通りを進む。
水路の上にかかる橋を渡るたびに、都市の幻想的な景色が広がり、その美しさに思わず足を止めたくなるほどだった。
ようやく見つけた宿に入り、宿泊手続きを済ませると、二人は部屋の中で一息ついた。
スタインが荷物を整理している隣で、エメレイはボロボロの魔術書を広げ、熱心に目を走らせていた。
だが、どう見ても内容が難しすぎる。
彼女は眉間に皺を寄せ、何度も同じページを行ったり来たりしていた。
「……うぅ、やっぱり難しいですね……。」
ため息とともに、エメレイは頭を抱え込む。
「エメレイ、ちょっと寄り道するぞ。」
「え? どこに行くんですか?」
スタインは答えず、無言で部屋を出た。
不思議に思いながらも、エメレイは慌てて後を追う。
向かった先は、通りの一角にひっそりと佇む小さな本屋だった。
店の外には年季の入った木製の看板が掛かり、入り口には古びた本が山積みになっている。
店内には紙とインクの香りが満ち、どこか落ち着いた空気が漂っていた。
「本屋さんですか……?」
エメレイは首をかしげながら、スタインの後に続く。
店内はこぢんまりとしていたが、壁一面に本がぎっしりと並び、狭い空間に何本もの本棚がひしめき合っていた。
古びた革表紙の書物がずらりと並ぶ奥の棚には、比較的新しい魔術書が並べられている。
スタインは無言で棚を見渡し、慎重に何冊か手に取る。
「……これでいいか。」
スタインが選んだのは、歴史書と初級の魔術書だった。
「ここまで頑張った労いだ。」
「え!? 私にですか!?」
エメレイは驚き、思わずスタインを見上げる。
「夢を叶えるための勉強になるだろう。」
それだけ言うと、スタインは代金を支払い、本をエメレイに手渡した。
「で、でも……! こんな立派な本、もらっていいんですか!?」
「遠慮するな。どうせそのうち必要になるだろうからな。」
ぶっきらぼうな口調だったが、その言葉にはどこか優しさが滲んでいた。
エメレイは受け取った本を大切そうに抱きしめ、しばらく見つめた後、嬉しそうに顔を上げる。
「……ありがとうございます! 大事にします!」
彼女の瞳には、喜びと感謝が宿っていた。
「次は市場に行くぞ。」
「はい!」
エメレイは大事そうに本を抱えながら、スタインの後について歩き出す。
水上都市オメトリアの夜の灯りが、二人の影をゆるやかに照らしていた。
市場に向かう道すがら、エメレイは新しい魔術書を大事そうに抱えながら、何度もページをめくっていた。
「うわぁ……! これ、すごくわかりやすいです!」
「そうか。なら良かった。」
スタインは淡々と答えながら、周囲を警戒するように視線を巡らせる。
街灯が水面に映り込み、ゆらゆらと揺れる光が幻想的な景色を作り出している。
行き交う人々は減ったものの、まだ遅くまで営業している店がちらほらと見受けられる。
「この本さえあれば、私でもちゃんと魔術が学べそうです!」
エメレイは本を抱きしめるようにしながら、嬉しそうに言った。
「夜ふかしはするなよ。明日も朝早いんだからな。」
「はいはい、わかってますよ~!」
エメレイは軽く笑ってから、また魔術書に目を落とす。
スタインはそんな彼女の様子を横目で見ながら、何も言わずに歩を進めた。
賑やかな通りを進んでいくと、広場の一角で楽器を奏でる人々の姿が目に入った。
数人の楽師が円を作り、それぞれの楽器を手にしている。
竪琴の柔らかな音色が水面に響き、笛の軽やかな旋律が夜風に乗る。
太鼓の穏やかなリズムが心地よく響き、街の喧騒の中に調和をもたらしていた。
「わぁ……!」
エメレイは思わず足を止め、目を輝かせる。
「こういうの、初めて見ました!」
「都市ならではの光景だな。」
スタインは腕を組み、遠巻きにその演奏を眺めた。
演奏を聴きながら、踊る者もいれば、歌いだす者もいる。
子どもたちが手を取り合いながら楽しそうに回る姿も見えた。
奏者の一人が、弦楽器を奏でながら歌い始める。
その歌詞はオメトリアの歴史を語る詩のようだった。
「すごいですね……こんなふうに音楽で物語を伝えるなんて。」
エメレイは目を輝かせながら、演奏に耳を傾ける。
「この都市の文化なんだろうな。昔から、詩と音楽で歴史を語り継いできたんだろう。」
スタインは穏やかに言い、ふと懐から小さな硬貨を取り出して、楽師たちの前に投げた。
銀貨が木製の器に落ちると、楽師の一人が軽く会釈しながら笑顔を見せた。
「スタインさん、こういうの好きなんですか?」
エメレイが興味深そうに尋ねると、スタインは少し考えてから答えた。
「昔はよく聴いた……。」
それ以上の言葉はなく、スタインは再び静かに演奏に耳を傾けた。
記憶の中で微笑む彼女の姿が、音楽に溶けて消えていく。
水の都に響く音楽が、旅の疲れをそっと癒してくれるようだった。
水上都市オメトリアの市場は、昼間の活気そのままに賑わっていた。
露店が並び、新鮮な魚や果物、薬草などが売られている。
「スタインさん、何を買うんですか?」
「主に食糧だな。乾燥肉、硬焼きパン、保存の利くチーズや果物、それとコトルの魔力補充。」
スタインは手際よく露店を回り、必要なものを購入していく。
「へぇ、意外とバランスよく買うんですね。もっと干し肉ばっかりかと思いました。」
「ずっと干し肉だけじゃ栄養が偏る。果物は腐りやすいが、数日は持つ。」
そう言いながら、スタインはリンゴを数個選び、エメレイに一つ手渡した。
「今のうちに食っておけ。宿に戻るのはもう少しかかるからな。」
「じゃあ、いただきます!」
エメレイはリンゴを受け取り、かじりながら嬉しそうに歩く。
スタインはさらに簡易テントの修理用具や、予備のロープ、靴などを買い足した。
「意外といろいろ必要なんですね。」
「旅の装備は命綱だからな。万が一の時に備えるのは基本だ。」
補給を終えた二人は宿へ戻り、部屋の扉を開けた。
エメレイは荷物を置くなり、ベッドの上に座り込んだ。
手にしたばかりの魔術書を開き、興奮冷めやらぬ様子でページをめくる。
「へぇ……こんな魔術があるんですね!」
目を輝かせながら読み進めていたが――
「……ん……」
次第にまぶたが重くなり、いつの間にか本を抱えたまま、ゆっくりと身体を横たえた。
スタインはその様子をちらりと見やると、静かに溜め息をつく。
「よく動いたからな……無理もないか。」
窓の外から月明かりがそっと差し込んでいた。
静かな夜、都市の水路を流れる水音が、ゆるやかに響く。
スタインは荷物の整理を終えると、灯りを落とし、銃を手元に置きながらベッドにもたれかかった。
――明日から、また旅が続く。
彼は軽く目を閉じ、夜の静寂に身を委ねた。