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3話 シンシアの門を越えて


宿屋の自室に戻り、ベットに寝そべっていたスタインは、あの親子のことが頭から離れなかった。


もし、このクエストを受けて旅をすることになれば――

あの親子が再会することは二度とないかもしれない。

クエストを受諾するということはあの親子を引き離すともいえる。

スタインは、あまりにも重すぎる決断に答えを出せずにいた。


「……どうするべきか……。」


親子の想いを思い出しながら、ぽつりと独り言をつぶやく。


「俺が決めることでもないのかもな……。」


そう呟きながら、夜は更けていった。

──そして、夜が明けると、スタインは依頼書を鞄に入れ、再び酒場へと向かった。


「いらっしゃいませ!」

「……あ……スタインさん……」


俺の姿を見た途端、エメレイはすっと目を逸らし、どこか辛そうな表情を浮かべた。

昨日の様子からして、今日は部屋に引きこもっているかと思っていたが、エメレイは店の手伝いをしていた。


辛いだろうに、それを周囲には見せず、普段通りに振る舞う。


ナターシャが言っていた「強さ」とは、このことなのだろう。

俺が思っているよりも数倍、エメレイは大人なのかもしれない。

話があると告げると、エメレイは少し戸惑いながらも、昨日と同じように裏の部屋へと案内してくれた。


「エメレイ、昨日は頭ごなしに否定してすまなかった。」


エメレイは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに視線を落とす。


「……いえ、大人はみんなそうですから……。」


その言葉に、スタインは言葉を詰まらせる。

彼女の諦めにも似た口調が、どれだけの大人に否定され続けてきたのかを物語っていた。


「考えたんだが、レセルトではなく、他の魔術学院ではダメなのか?」


エメレイは少しの間、唇を噛んだ後、小さな声で答えた。


「……平民で、中等教育を受けていない私には、入学資格がないんです。」


そう言って、彼女は机の上に置いてあったボロボロの本を手に取った。


「でも、レセルトは身分や学歴を問わず、魔術師を志す若者を歓迎しているって……この本に書いてあったんです。」


エメレイは、本を抱きしめるようにして胸の前でぎゅっと握る。

スタインは黙ってその姿を見つめた後、静かに息を吐いた。


「……そうか。」


シンシアにも魔術学院はあるらしい。

そこに行かないということは、やはりそういう事情があったのか……。


「エメレイ、その本を少し見せてくれないか?」

「……はい。」


エメレイは大事そうに抱えていたボロボロの分厚い本をスタインに差し出した。

「魔術中級基礎 下巻」と表紙に書かれたその本には、魔術にまつわる資料がまとめられていた。

学がない俺には書いてあることはさっぱり分からないが、最後のページだけは別だった。


そこには、レセルト魔術学院がこの本を手掛けたことが記されており、手書きで描かれたミロスガード大陸の地図があった。


地図には点と点が線で結ばれており、 2つの点は、レセルトとシンシアを示していた。


その線の横には、到達するまでにかかった日数がかすれた文字で書かれていた。


驚いた。

大陸地図を生きている間に見られるとは……。

しかし、それ以上に衝撃を受けたのは、レセルトからシンシアまで引かれた線の長さだった。

ミロスガード大陸のほぼ端から端じゃないか……。

スタインは想像以上の距離に、思わず息を呑んだ。


「あの……お母さんから聞きました。クエストのこと、考えてくれるって……。」


エメレイが不安そうに切り出す。


「……そのことなんだが」


スタインはゆっくりと息を吐き、慎重に言葉を選びながら続けた。


「俺、一個人としては、この旅には反対だ。」


エメレイの表情が一瞬、強ばる。


「しかし――二人の想いを無下にはできない。」


そう言って、静かに告げた。


「このクエストを受諾しよう。」


「えっ?昨日は……」


エメレイは理解が追いつかないのか、少しの間、唖然としていた。


「本当に!? 本当に依頼を受けてくれるんですか!?」


「ああ。ただし――命の保証はできない。それでも良いのならば、だがな。」

「はい、わかっています!」


エメレイは力強く頷いた。


「出発は明日の明け方でいいか?」

「構いません!」


スタインは無言で懐から一枚の紙を取り出し、エメレイに差し出した。


「じゃあ、これを。」

「これは?」

「旅に必要なものを書き出しておいた。出発までに家族との別れと準備を済ませておいてくれ。」


エメレイは紙を握りしめ、深く頷いた。


「……もちろんです。」


そう答えたものの、その声は少しだけ震えていた。

いよいよ旅立つのだという実感が、じわじわと押し寄せる。

今まで当たり前のように過ごしてきたこの家、この店、母の笑顔――。

それらとしばらく離れるのだと考えると、胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。


そんなエメレイの様子を察したのか、スタインは少しだけ間を置き、静かに言った。


「……ほら、ナターシャに伝えなくていいのか?」


スタインが促すと、エメレイははっと顔を上げ、裏部屋を飛び出し、店内へと駆けていった。


「お母さん!スタインさんがね、クエスト受けてくれるって!!」

「あら! そうなの!! やっと……、やっとね!」

「うん!!」


店内に出ると、ナターシャは自分のことのように喜んでいた。


「あ、スタインさん!」


ナターシャはすぐにこちらへ振り返り、感謝の言葉を口にした。


「エメレイのクエストを受けてくださり、本当にありがとうございます!」


ナターシャは、スタインに向かって深々と頭を下げた。


「命懸けの旅になる。エメレイと出発までの時間をどうか大切に。」


スタインは静かにそう言った。


ナターシャは、ふっと微笑んだ。


「そうね……。今日はちょうどお客さんもいないし、もう店を閉めようと思います。」

「俺はギルドにこのクエストの受諾申請をしてくる。」

「エメレイ、明け方、この酒場の前で待っているぞ!」

「はい!!」


エメレイは力強く頷いた。


家族の時間に水を差すような野暮な真似はしたくなかった。


スタインはそそくさと店を後にし、ギルドへと向かった。


「行っちゃった……。」

「エメレイ、スタインさんも命懸けなのは同じことなのに、旅に付き合ってくれたことを、忘れちゃだめよ」

「……わかってるよ。」

「スタインさんの言うことをちゃんと聞くのよ。」

「……うん。」

「……スタインさんがクエストを受けてくれて、良かったわ。」


そう言いながらも、ナターシャの顔には寂しげな表情が浮かんでいた。


「ねぇ、お母さんは私がいなくなって……寂しい?」


エメレイがそっと尋ねると、ナターシャはふっと微笑みながら答えた。


「そうね……でも、行ってらっしゃい。」


「……うん……。」


エメレイは寂しさを隠すように、ぎゅっと拳を握る。


「エメレイ、身体には気をつけるのよ。」

「お母さんこそ、足が悪いんだから無理しないでね。」

「本当はついて行きたいけど、エメレイのためにも稼がなきゃね!」


ナターシャは明るく笑ってみせるが、エメレイはそれを見て余計に不安になる。


「お母さん! 本当に無理しちゃダメだからね!」


「わかってるわ。」


ナターシャは少し遠くを見つめるように言った。


「お母さんはね、お父さんと一緒に店を開くのが夢だったの。」


エメレイはその言葉に、少しだけ目を丸くする。


「お父さんは死んじゃったけど、エメレイのおかげで、諦めずに店を開く夢を叶えられた。」

「今度はエメレイの番。お母さんは大丈夫だから、楽しんできなさい。」


「……うん。」


エメレイは震えた声で頷いた。


「ほら、そんな顔しないで。明日なんでしょ? 準備しなくちゃ。」


ナターシャは微笑みながら、娘の背中を優しく押した。


明け方、酒場の前で二人を待つために早めに出たというのに――

エメレイとナターシャはすでに待っていた。


「二人とも、早いな。」


スタインが声をかけると、エメレイは元気よく笑顔を見せた。


「なんかソワソワしちゃいまして、早めに待っていました!」

「おいおい、ちゃんと寝れたのか?」

「大丈夫です!」


その返事に、スタインは小さく苦笑した。


「エメレイ、準備はできてるか?」

「はい!」

「最初は水上都市オメトリアを目指す。」


目的地を告げると、ナターシャが一歩前に出て深く頭を下げた。


「スタインさん、エメレイをどうかお願いします。」

「―― ああ。2回も言われたら、もうその言葉は忘れられないな。」


ナターシャは少し寂しそうに微笑んだ。


「エメレイ、おいで」


ナターシャは、エメレイを優しく抱きしめた。


「帰ってくるのよ……。」


「……お母さん……。」


しばらくの間、エメレイはナターシャの腕の中で泣きじゃくっていた。

俺は大人びているエメレイが、年相応に泣いているのを見て、どこか安心した。


「エメレイ、涙のお別れは嫌よ。」


ナターシャが優しく囁くと、エメレイは袖で涙を拭い、ぐっと顔を上げた。


「うん!」


そして、泣き腫らした目のまま、とびっきりの笑顔をナターシャに向けた。


「行ってきます!!」


そう言って、スタインと共に歩き出す。


ナターシャは、旅立つ二人の背を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「……エメレイ、今度は私が支えるからね……。」


辛いときに、自分を支えてくれたエメレイ。

その姿を思い出しながら、ナターシャは静かに涙を滲ませていた。



ナターシャと別れたエメレイは、どこか寂しげだった。

これはしばらく続きそうだな……。



「止まってくれ。」


スタインは足を止め、エメレイに振り返る。


「もうすぐ、シンシアを出る。関所を出る前に、約束したことを言ってくれ。」


エメレイは少しの間、目を伏せた後、静かに口を開いた。


「……魔物を決して軽んじないこと。」

「スタインさんの指示を必ず守ること。」

「いかなる状況でも、自分自身の命を最優先に考えること。」


しっかりとした口調だった。


「大丈夫そうだな。」


スタインは頷く。


「その約束を常に頭の片隅に置いて行動してくれ。」

「シンシア周辺は魔物も多いんだ。迂闊な行動は死に直結する。慎重に進むぞ。」


「はい!」


エメレイは力強く頷いた。


「じゃあ、行くぞ!」


そうして、俺は魔術師になることを夢見る少女、エメレイと共にレセルトまでの、途方もない旅をすることになった。


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