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2話 シチューの味と母の願い


「ここだよな……」


スタインは酒場の前で立ち止まり、看板に書かれた住所と依頼書の住所を見比べた。

何度も確認したが間違いない。

なんという偶然か、依頼者は御者が教えてくれたシチューがうまい店だった。

店外にもかかわらず、中から騒ぎまくっている男たちの声が聞こえてくる。

酒場に入るのはいつぶりか。酒を断ってから行くこともなくなった。

長年避けてきた分、入りづらい。気は進まないが、疑問の前には勝てなかった。


「あら!いらっしゃい!」


中に入ると、エプロンをつけた青色の髪の女性がスタインに笑顔を向けた。

店内は大いに盛り上がっている。

よくもまあ、昼間からこんなに騒げるものだ。

酔っ払ったおっさんたちを尻目に、スタインはカウンターにいる挨拶をくれた女性に尋ねた。


「ハンターのスタイン・アーボルトだ。指名を受けたクエストについてお聞きしたい。」

「クエスト? ああ!あなたが護衛の方ですね!」

「まだ受けるとは……」

「エメレイ! ハンターさんがいらしたわよ!」


女性はスタインの話を遮り、店とつながった裏部屋に向かって声をかけた。


「はーい!今行きまーす!」


元気な返事とともに、裏部屋から市場で見かけた少女が勢いよく飛び出してきた。


「おー!エメレイは今日も元気だなー!」


様子を見ていた、見るからに常連っぽいおっさんがカウンター席から少女に声をかける。


エメレイはおっさんに向かって笑顔を見せると、すぐにスタインの方へと駆け寄った。


「ハンターさん、よろしくお願いします!」


少女はスタインにそう告げながら、少し緊張した面持ちでお辞儀した。


「俺は…」

「じゃあ、私はこの人たちの相手をしないといけないから、お話は裏の部屋でお願いしますね!」

「えー!ここじゃダメなの?」

「お客さんの邪魔になるでしょ! ほら、エメレイ、ハンターさんをお部屋までご案内して。」

「えー!」


エメレイは不満げに頬をふくらませたが、しぶしぶ裏部屋の方へとスタインを案内し始めた。


「……しょうがないなぁ。ハンターさん、こっちです!ついてきてください!」


完全に置いてけぼりを食らったスタインは、不服そうなエメレイの後をついていく。


扉をくぐり、部屋に入ると――


「……すごいな……?」


スタインは思わず呆然とした。


床には紙くずや衣服が無造作に散らばり、机の上には食べかけのパンと皿が放置されたまま。

先ほどまでいた清潔な店内からは想像もできない。


「いつもはもっときれいなんですよ!今はちょっと忙しくて片付けられてないだけで!」


少女がこの汚部屋を見てほしくないのが伝わってくる。極力、ゴミは見ないようにしよう...


「……そうか。」


「そんなことよりもです!」


突然、勢いよく前のめりになり、目を輝かせながらスタインを見つめる。


「聞きたいことがあって! スタインさんはレセルトについて何か知ってるんですか!?」


「……いや、北東のある地名であることしか知らないな。場所さえも詳しくはわからない。」


「そう……なんですか……。」


期待していた答えが得られなかったのか、エメレイは肩を落として俯いた。


「断っておきたいが俺はクエスト受ける気はない。」


「……え?そんな……。]


「悪いがここに来たのは疑問を晴らす為だ。」

「俺がこの都市に来たのは昨日、どうして君は俺の名前を知っているんだ?なぜ俺をクエストに指名した?」

「そ、それは……。」

「聞いたんです。市場でレセルトって呟いていたのを聞いて、少し後をつけたら……馬車の人が名前を……。」

「……。」

「後をつけたのは悪いと思ってますよ! でも、この辺でレセルトを知ってる人が全然いなくて……何か知ってそうだったから、どうしてもレセルトについて聞きたくて……!」


エメレイは焦ったように言い訳をしながら、ちらちらとスタインの顔色を伺う。


「それで、彫刻の入った銃を持ってたから、もしかしたらハンターさんなのかなって思って……。ギルドで名前を伝えたら、同じ名前の人がいたから……それで依頼を……。」


動揺した少女は、悪気があったのか、視線を逸らしながら小さな声で答えた。


「そういうことか。」


「でも、依頼内容に嘘はありません!」


エメレイは必死に訴えかけるように言葉を続けた。


「レセルトを知っているハンターさんなら頼りになると思っただけで!」


少女の声から、切実さが伝わってくる。


だが、このクエストを受ける気はない。あまりにも無謀すぎるからだ。


「言った筈だ。依頼は断る。」


「お願いします!考え直してもらえませんか?私、どうしてもレセルト魔術学院に行きたいんです!」

「…エメレイといったか? 歳はいくつだ?」

「14です…14ですけど、もう立派な大人です!」」

「シンシアから出たことは?」

「……ないです。」

「魔物をその目で見たことは?」

「ないですけど……」

「ないですけど何だ?旅ができるとでも言いたいのか?」

「それは……」


言葉に詰まるエメレイを見て、スタインはさらに言葉を重ねる。


「エメレイ、君が思っているほど外の世界は甘くない。道のりもわからず、どのくらいかかるか見通しがつかない旅が続けられるほどな。今の君は体力もなければ生き抜く術もない。長旅をすれば、いずれ命を落とすことになる。」

「…道のりなら……わかります。」


意気消沈したエメレイは、テーブルに置かれた一冊のボロボロの本を大事そうに抱えた。


「この道で行くと、1年かかることも……この本に書いてありました。たとえ、命を落とすことになっても…覚悟の上です!」

「大口を叩くな!」

「…………すまない。言い過ぎた。」


心が痛まないわけではない。

エメレイを見ていると、胸が締めつけられる思いだ。

レセルト魔術学院、きっと、彼女の夢なのだろう。

だが、それでも――彼女が死んでしまう未来だけは、見たくなかった。

あまりにも簡単に、頭の中にその結末が浮かんでしまったからだ。

命を懸ける――その言葉の重さを、本当に理解しているとは思えなかった。

彼女の「覚悟」は、恐怖も痛みも知らぬままの理想に過ぎない。

若さゆえの衝動で年端もいかない彼女が、その身を投げ出す決意を下すには、まだ早すぎる。

大人が止めるべきだ…。君はまだ、人生というものを、ほんの少ししか味わっていないんだ。



「どちらにせよ、アイアン一人で護衛は無理だ。」


言い聞かせるように言葉を続ける。


「エメレイ、旅はできないんだ。」


「……生きて帰れるかわからない旅だってことは、私だってわかってます。」


エメレイの肩が震える。


「それでも私は……それでも私は……夢を、あきらめたくないんですっ!!」


彼女は必死に声を張り上げ、涙をこらえるように拳を握った。


「スタインさんがダメなら、ほかのハンターさんにかけあって……!」


「残念だが、そのクエストは誰も受けない。諦めてくれ。」


今にも泣きだしそうなエメレイは、現実から逃げるように奥の部屋へ行ってしまった。

非情な言葉だ。大人げないことは分かっている。


正直、あのぐらいの歳の子とどう接したらいいのか、分からない。

そう考えながらも、「どう接すればいいか分からない」と言い訳して、結局何も変えようとしない自分に嫌気がさす。――あの人なら、もっと上手く、もっと優しく、やれただろうか?

ふと頭に浮かんだ記憶に、スタインは小さく息を吐いた。



「様子を見に来たけど、どうやら話は終わったみたいね。部屋、汚くてごめんなさいね。」


スタインが振り向くと、そこには店のカウンターの内側にいた青髪の女性が立っていた。


「店主が店を抜けて大丈夫なのか?」

「みんな顔なじみだから、きっと大丈夫よ。名乗るのが遅れたわね、私はナターシャ・フォリト」


そう言ってから、少しだけ表情を和らげる。


「お察しの通り、この店の店主で――エメレイの母親よ。」


やはり、そうか。


店内のカウンターにいたときから、髪色や態度からそんな気はしていた。

それに、店員らしき人も彼女以外見当たらなかった。


「本当に、エメレイに旅はさせられないの?」


ナターシャの声は穏やかだったが、その奥には母親としての苦悩が滲んでいた。


「無理なものは無理だ。」


スタインは迷いなく答えた。


「やっぱり……そうなのね。」


ナターシャは静かに息を吐いた。

すでに答えが分かっていたのだろう。


「ごめんなさいね、もうお帰りに?」


「……いや、せっかくだ。シチューを頂きたい。」


そう言ってから、少し間を置き、続ける。


「それと、彼女について少し話を聞かせてくれないか?」


ナターシャは驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「わかったわ。そこの席に座って、少し待っていて。」


彼女はそう言うと、エプロンの裾を直し、厨房へと戻っていった。

しばらくすると、テーブルに熱々のシチューが運ばれてきた。


海鮮の風味が立ち上り、食欲をそそる。

こんなに具沢山なシチューは見たことがない。


スプーンですくい、ひと口――


濃厚な旨味が口いっぱいに広がり、思わずもうひと口、さらにもうひと口と運んでしまう。


これは……まさに絶品だ。


シチューに夢中になっていると、向かいの席にナターシャが腰を下ろし、安心した表情を浮かべた。


「口に合ったみたいで良かったわ。」


彼女は微笑みながら、そっとカップを手に取った。

美味いと聞いていたが、ここまで美味いとは――。

御者が教えてくれていなければ、食べ損ねるところだった。 ありがとう、御者。

心の中で感謝しながら、スタインはシチューを味わい続けた。


「なんで、彼女を止めないんだ?」


ナターシャは静かに微笑んだまま、淡々と答えた。


「エメレイを信じてるから。帰ってくるって。だから、旅に行くことを応援してる。」

「止めるべきだ。旅をすれば、命を落とすぞ。」


その言葉にも、ナターシャは表情を変えず、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「エメレイには自由に生きてほしい。夢を掴んでほしい。」

「それに旅は不可能じゃない。可能性が少しでもあるのなら、私は夢に向かってひたむきに走るあの子の背中を信じる。」

「……馬鹿げてる。それで死んだら元の子もないぞ」

「あの子が旅で命を落とせば、あんたはずっと後悔することになる。」


スタインはスプーンを皿の縁に置き、低く呟いた。


「私は後悔しないわ。」

「エメレイのこと、少し話すわね」


ナターシャは静かに語り始めた。


「エメレイが生まれてすぐに……家が燃えてね。隣家からのもらい火だった。」

「主人はその火事で亡くなってね、シンシアに引っ越してきて家を建てたばっかりだった。」

「私の親とは、主人と結婚するときに縁を切られていてね。頼れる人は誰もいなかった。」


ナターシャは静かにカップを置いて、カップの淵を撫でるように指を滑らせた。


「それから何年も、その日の食い扶持を得るだけで精一杯だった。エメレイには、たくさんの不自由を強いたと思う。」

「それでも、エメレイはずっと私に優しかった。その優しさに何度も助けられた。」

「この店を開くときもたくさんの人の優しさに助けられたわ。」

「エメレイは店の手伝いも家事も何一つ文句も言わずにやってくれてね。」

「その頃にはすっかり、エメレイは店の看板娘で、店として魅力は何にもないのに、お客さんが心配して顔を出してきてくれる。」

「みんながエメレイの成長を見守ってくれていた。そのシチューもエメレイがお店に出そうって言ってくれたのよ。」


彼女はそう言って、懐かしそうに微笑んだ。

酒場なのにシチューがあるのは変だと思っていたが、そういう経緯があったからだったのか。

ナターシャはゆっくりと話を続けた。


「ある日、お客さんが魔術書を忘れていってね。その日から、エメレイは魔術師になるって意気込んで毎日、毎日、魔術書を擦り切れるまで読んで、熱心に勉強してた。」

「それなのに、私は酒場のこともあって、ほとんどかまってあげられなかった。」

「親としてできたことは、ほんの少しのことだけ。」

「魔術学院に通うことが、エメレイが私に言った、たった一度のわがまま。」

「私は、そのわがままを叶えてあげたい。」

「―― だけど、クエスト依頼も今回を入れて7回目。」

「やめさせるべきなのは分かってる。私、あの子に甘いから……」

「ううん……違う。私が耐えられないから、あの子の夢を潰したくない。応援してあげたい。」

「ダメな。母親よね。」


ナターシャは苦笑しながら続ける。


「エメレイは少しずつ物を買って、準備してるみたいだけど……」


彼女は少しだけ視線を落とし、そして、穏やかに言った。


「本人だってきっと分かってる……」



ナターシャはエメレイについて語ってくれた。二人の行き場のない思いがそこにはあった。


「スタインさん、私からもどうかお願いします。エメレイに旅をさせてあげてください。」

「確かにエメレイは知らない事ばかりです。でも、誰だって最初は初めてです。」


彼女の声は穏やかで、それでいて揺るぎない信念があった。


「それに、エメレイは見かけによらず、ずっと、ずっと強い子ですよ。」


スタインはナターシャを見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。

これまでずっと即答してきた。


「無理だ。」

「馬鹿げてる。」

「死ぬだけだ。」


でも――


「……一晩、考えたい。」


ナターシャは少し驚いたようだったが、すぐに安心したように微笑んだ。

もはや、報酬額が少ないことなど、どうでもよかった。

ナターシャが身を粉にして働いた金だということは、このゴミだらけの部屋を見れば察しがつく。

彼女は娘の夢の為に、ずっと働き続けているのだろう。

スタインは止まっていた手を動かし、シチューを最後の一口まで食べ切った。


「とても美味しかった。いくら払えば?」


スタインが尋ねると、ナターシャは優しく微笑みながら首を振った。


「お代はいりませんよ。」


「……そうか。」


それ以上何も言わず、スタインは静かに席を立つ。

すると、ナターシャも立ち上がり、エメレイがいる奥の部屋を少しだけ見つめた。


「エメレイをどうか、よろしくお願いします。」


ナターシャは深々と頭を下げる。


スタインは一瞬だけ彼女を見つめたが、それ以上は何も言わず、足を向けた。


酒場の扉を開け、夜の冷たい空気が頬をかすめる。

ナターシャに見送られながら、スタインは静かに酒場を後にした。

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