叙情文【なななぬか】
私は幽霊だ
そのことに気が付いたのは、つい最近で
その頃にはすっかり葬式も終わっていた。
水中の藻に絡んでいるかの如く
ぼんやりとはっきりしなかった私の視界は
水が澄み渡っていくかのように
ゆっくり、ゆっくりと明るく透明になっていく
『"喪"に服す期間がすぎれば、私に絡まっていた"藻"も過ぎ行くというのだろうか』
そんなくだらない大喜利のような引っかけをつぶやけば、ふふ、と一人で笑って、空しくなって黙る。
だんだんはっきりした意識のなかで気が付いたことがある。
はっきりした意識とはっきりとした肉体を持つ"生者"と、はっきりした意識もはっきりとした肉体も持たない"死者"とはおおはばに時間の流れの感覚が違うようだ。
それもそうか、体内時計も飢えも老いもないのだから。
すこし、これまでのことを話してみようか。
私は死後はまだ自分の肉体の中にいた。
しかし死んでいるので動かせないし記憶を司る脳も死んでいるので実に曖昧な記憶ではある。
私は自分の肉体の中に居ながら周囲の気配を感じていた。
もちろん、目もあかないし、感触もなにもない。五感の全てが停止している。
五感に囚われていないからこそ、周囲の様子はぼんやり見えていたし、聞こえていた。
見える範囲に死角はない。だが、無機質な物体は良く見えなかったように思う。
"命のあるもの"の存在だけを確認することができるのだと思う。
生きていようが、死んでいようが、だ。
私のこと切れた肉体は葬儀会場に運ばれて通夜が執り行われたのだと思う。
そのあたりは記憶が定かではないのだが、一般的な日本人の死後は大体その流れになるからそうだったのだろうという憶測も入っている。
この時点でもまだ肉体の中にいた私は肉体から離れるということも考えられないほどに、まだまだぼんやりしていた。肉体に囚われていた、とでもいうのだろうか。
しかし動けない体というものは実に拷問だ。
暇は人を殺す動機になりえるのかも知れないと思う程だ。
暇すぎて私は眠りについた。
死んでいるのだから眠ってはいるのだが、私は"就寝"したのだ。きっと肉体に囚われているので生前の習慣に引っ張られていたのだろう。そうして精神だけ就寝した私の肉体を、私の身内が何かを確認するかのように触れている。口元にそっと手をかざし、胸や首に触れたりしているのだ。
―寝息が聞こえたのだろうか?
どうやらそのようだった。通夜で棺に入る前の私の肉体はただただ普通に眠っている様子なのだ。死んでいるとは思えないくらいに普通なのだ。
そんな状態で私の精神-いや、魂か。魂も就寝しているのだから寝息が聞こえてもおかしくはないのだろう。もしかしたら、いびきのひとつもかいていたかもしれない。
さてそこからはずっと棺の中だ。
棺と言うものは不思議なもので
それまでなんとなく見えていた周囲の様子の一切が見えなくなってしまった。まっくらだ。きっと生者が棺に閉じ込められたとしても、全く同じ感覚だろう。
というのも、棺の扉が開けられたら、その開けられた部分だけ外が見えるのだ。
棺と言うものは、霊をも閉じ込めるのだろうか。本当に不可思議だ。
そして気づけば私は肉体から離れてふんわりと風に漂っていた。ああ、私は本当に死んでいるのだとこの時にじんわり実感したのだ。
気が付いた場所は・・・もう皆さんおわかりだろう。火葬場だ。さすがに肉体が骨塵と化せばおのずと解放されざるを得ないのだろう。
しかして、いつまでいたのか、いつからいたのか。
私はその火葬場をぷらぷら宙に浮いているだけでどうすればいいのやら解らない。
ただ・・そうだな、ずっと心地よかった。
温度も味も感じない海に漂っていて、視界に入るのはまばゆいばかりの美しい太陽と青い空だ。会社の事も家族の事も何もかもは心から喪われていたので、悲しみもなにもなかった。
飛び上がる程のよろこびもなく、まばゆい太陽への焦がれもなく、悲しみも苦しみも切なさも、なにもなく、本当に心の芯から心地よいのだ。
しかし、それは不意に終わりを迎える。
揺蕩う心地よさがまるで海の潮が引くかの如く自然と失われていった。
その時、あの心地よい波の中に音楽と、色と、香りがあったことを知る。
死して尚、失ってから気が付くことがあるのだなぁと感心していると、じわじわと落ち着かない感情がわいてきた。
先程まで何も考えず揺蕩っていたのに、今はまるで地に足がついていて、背後から何か迫ってくるような恐怖すら感じている。どういうことだろう?
不思議な事に、先ほどまで聞いていた音楽と、色と、香りがまるで思い出せない。いや・・・それを"感じていた最中"はそれらを認識していなかったのだから、それもそのはずか。記憶できていなかったのだから、思い出せるわけもない。
焦がれた。
思い出せない"それら"を必死に求めて、狂おしい程に焦がれた。切なくて苦しくて、置いていかれたような不安と焦燥に体が燃えてしまいそうだった。
ああ、哀しい。悲しくて哀しくて切なくてたまらない。
ふ、と香りがした。
心をくすぐる甘く優しく温かい香り。さきほどの香りだ!
あわててその香りの元を探すと、白い煙が細長いタスキのようにヒラヒラと風に揺られながら空を駆け上っていく。私はその白い煙に近寄り眺めた。
遠目には白いタスキ、白い布のように見えたが、それは美しい螺旋を描きながら風にのぼっていく。ゆらゆらと、ひらひらと、蝶が舞う如く、リボンがくるくる回るように。そして色も実は白ではなく、光だと気づいた。眩しく光っているから白に見えるだけだ。
そっと触れようとすれば、煙と同じように散ってしまう。のぼるそれを遮るように手をかざせば、手を貫通して上に上にのぼっていく。
まるで子供の様にそれと戯れている間、たのしくて、先ほどまでの不安も忘れてしまった。
しかし、やがてスゥ・・と煙が消えるように消えてしまった。香りももう何も残っていない。
また先ほどのいやな感情に襲われそうになったが、私は思い出すことで我慢できた。さきほどまでの良い香りの白い煙、白い光。私に寄り添うようにくるくる回っていた、あの光。
幽霊になってからはじめてできた"楽しい思い出"が私の支えとなったのだ。
それでも追いかけてくるような焦燥と恐怖を背後に感じながら、私はまたどうすればいいのか途方に暮れてしまった。死んだあと、どうすればいいのかなんて誰も教えてくれなかった。
さっきの白い煙、白い光。あれがまた現れてくれれば救われる。あの甘く優しい香りにずっとずっと包まれていたい。もしもう二度と現れないとしたら?私は永遠に一人で迫ってくる恐怖と焦燥から逃げ続ける事になるのか?幽霊である私にはもう終わりはないというのに!
背後から迫ってくる昏い何かがそっと私の肩に手をかけようとしたまさにその時、音楽がきこえた。
これは、あの揺蕩っていた時に聞こえていた音楽ではないだろうか?とても自然に耳に入ってくる心地よい音だ。間違いない、あの時の音楽だ!
私はそっと目を閉じ耳を澄ませた。どこから聞こえてくる?どこに行けばいい?
だんだんと音が近づいてきて、そっと目を開くと音楽が私の目に映って見えた。”音”が見えるなんておかしなことだが、たしかに間違いなく音が見えるのだ。
まるで小川のごとく、細く長く幾重にも絡まって流れている。そうだな、例えるなら見た事のない音符が楽譜に書かれていて、その楽譜も五線譜とか決まっている訳ではなく、音が流れるたびに線が増えたり減ったりして動き続けている。その楽譜の色は白・・・いや、光って白に見えるだけの、光の色だ。
その光の楽譜は何本もあるのだが、どれも同じ方向に向かって流れているようだ。まるで道を作っているように見えた。
はっとした私は迷うことなく、その楽譜の道をゆく。ずっとずっと心地よい音楽が聞こえる。抑揚はすくなく、ゆっくり、しかし時に早く、穏やかに流れる小川から激しい滝までのすべてを表すかのように。私はたのしくなって同じように口ずさむ。なんどもなんども、同じフレーズを口ずさむ。
楽し気に歩む私の周囲に、甘く優しい香りの煙たちもいた。ああ、なんと美しい。
いつまでもいつまでも、こうしていたい。
どれだけ歩いてきただろう。音楽はどんどん大きくなって、私はずっと笑っていた。
こんなに笑えたことがこれまでにあっただろうか?何のしがらみも恐怖も焦燥も感じず、ただただ楽しく笑顔でいられたことがあっただろうか?全ての人に感じてほしい!全ての人に分け与えたい!
やがて白に見えていた楽譜と煙が色づき始める。青色、赤色、黄色。それからどんどん色を重ねて増えては消えたり合体したり。瑠璃色、丹色、涅色、銀鼠色・・・とても言い表せない様々な色が混ざり合って、しかし決して醜くなく、主張しすぎず、見事に微妙高潔に華やいでいる。
ああ、光って白に見えていただけと思っていたが、これらは最初からこんなに素晴らしい色をしていたのだと気が付く。いままでは、これまでは、私の目が曇っていたために"正しい色"を見れていなかったのだ。肉体から、恐怖から、焦燥から離れた私はきっと素直な心でこれらを見ている。
私は"自分の変化"を自覚して、泣いた。
私はもう私ではない。
これまでの肉体に囚われていた私ではない。そしてそれが・・・嬉しい。嬉しいと思う私の感情に、また泣いた。悲しくて切なくて嬉しくて、安心して・・・泣いた。
そんな私を心配してなだめるかのように、花がふりはじめた。
楽譜たちと同じように、とても言い表せない美しい色とりどりの花。その花の色の美しさといえば、地球上のどんなに高価な宝石でも出せないだろう。
楽譜の道が示す先は、眩しすぎて見えない。しかし目がくらむこともなく、不安もない。
眩しすぎて見えないその光の中から、花が舞い降りてきている。はやくおいで、けれど、ゆっくり、一歩ずつ確実にふみしめて、おいで。そう言っているような気がした。
きっとあの光の中に行けば、私は完全に私ではなくなるのだろう。
そして私は完全な私になるのだろう。完全な私は、今生の私ではないから、しばしのお別れだ。
きっとまた太陽がぐんと近くなる季節に出会えるだろう。不完全な私と残してきた人たちに。
これは私が死んでから、四十九日の物語。