第6話 誘拐犯
気が付くとマリーゼは、真っ暗な中で椅子に縛り付けられていた。
「気が付いたようだね。お可哀想に」
ガシッ
「いたっ」
男は、マリーゼの足を軽く踏んづけた。
「記者さんには、もっと酷い事をしてやらないとな。カスタム卿に暴力を振るわれたって書いてやろうか?それともカスタム卿の愛人にでもなったことにしようか」
そう言うと、男はマリーゼの顔をペタペタと叩いた。
「手を出さないで」
アンがそれを止めようと割って入ろうとしたが、男に突き飛ばされて、壁にぶつかり倒れてしまう。
「アン、大丈夫?アン」
アンは気絶したのか起き上がろうとしない。
何よこの男。マーガレットのファンね。こんな狂暴だったなんて。誰か助けて!助けて!助けて!
恐怖からなのか叫び声も出ない。
マリーゼの頭の中では、いろいろな情報と感情がいりまじり、冷静な判断が出来そうにない。
「よく見ると、あんた可愛いツラしてるな」
脂汗をかいている男が、マリーゼに顔を寄せてきた。
「いやあ」
「黙れ」
男は叫ぶマリーゼに驚いたのか、慌ててマリーゼの口をタオルでふさぎ頭の後ろでしばった。
「んんんっ」
「驚かせやがって。これでもう声も出せないだろ」
男の手がマリーゼのスカートの中に入り、足の内側をさすり始めた。
「ん~」
マリーゼは人に触れられた記憶のない足の内側に触れられて、嫌いな虫や爬虫類が肌の上をうごめいている感覚におそわれる。
「ん、ん、ん」
手首を椅子の後ろに、腰を縄で縛られていたが、足は自由だった。
アンは目の前の男に何度も何度も蹴りを入れ続けた。
「この暴れる┅┅ぐうっう」
男は辺りどころがわるかったのか、股間を両手で押さえて、マリーゼから距離をとった。
「くそ、もう許さないぞ」
男は両手を顔の横でうごめかして、マリーゼに接近してくる。
「んう、んう」
マリーゼは近付くなと、スカートがめくれるのも気にせず両足を上げて空を蹴りまくる。
ガシっ
「掴まえたぞ」
男はマリーゼの両足を掴んで、足の間に男の体を割り込ませた。
ドカン
蝋燭の灯りと共に、勢いよく扉が開かれて、背の高い黒髪の若い男が現れた。
(マーティン様?)
男が振り向きマリーゼの足の間から体が離れた瞬間、マリーゼは男の後ろからお尻目掛けて蹴りをいれた。
しかし椅子に縛られているので、男は少しよろめく程度だったが、扉から入ってきた男は、その瞬間を見逃さなかった。
「クズ野郎」
見るからに上品な男の口から、似つかわしくない言葉がとびでた。
黒髪の男はマーガレットのファンを何度も殴りつけて気絶させると、手慣れた様子で縛り上げて部屋の外へと引きずり出した。
何故、マーティン様が?
「大丈夫ですか?マリーゼ」
男はマリーゼにそう呼び掛けた。
兄の友人のマーティン様が、私を助けに来て下さるなんて。
マーティンは、長い黒髪を1本に縛っている。
細身で長身だと思ったが、近くで見ると肩幅も広くガッシリしていた。
少し神経質そうに見えるのは、肌の白さや高位貴族の生まれによる上品さが見せているのかもしれない。
何故なら、マーティンが笑うと神経質に見えていた様子は消えてしまう。
その笑みに、こちらまで穏やかな気持ちにさせられる。
マーティンは、急いでマリーゼの口を縛っているタオルをほどこうとしたが、慌てているせいでなかなかほどけない。
それでもマリーゼの髪を引っ張らないように、慎重にタオルをほどいた。
「マリーゼ」
「マーティン様、ぐすん」
ホッとした途端、涙がこぼれてしまった。
「よく頑張りましたね」
マーティンは、マリーゼの様子を見て、大きな怪我が無いことに安堵した。
「マリーゼ。今日のことは誰にも言ってはいけませんよ」
マーティンは真剣な表情で、マリーゼに話しかけた。
「でも、でも、ファンの男を、犯人を見逃すのですか?」
「見逃す?この事件には絶対に黒幕がいます。何故なら、ここの持ち主は舞台女優のマーガレットでした」
そう言うと、マーティンは部屋から出ていってしまう。
一体どうなっているのかしら?マリーゼは助けられたのは良かったけれど、状況が飲み込めていなかった。
しばらくすると、マーティンが戻ってきて、上衣をマリーゼにかけた。
「まずは、ここを出て我が伯爵邸に行きましょう」
マーティンはマリーゼに優しくそう囁くと、手早く縄を解き彼女を抱き抱えた。
「マーティン様?」
「歩けないでしょう?」
確かに足に力が入らない。
それに今更ながら、縛られたせいか体が痛くなってきた。
マリーゼは、大人しく彼に抱かれる事にして身を委ねた。
涙はいつの間にか止まったのに、先程から胸の鼓動が激しいわ。
マーティンの腕の中で揺られていると、胸がドキドキして頬が熱くなってきた。
(きっと殺されると思った時の恐怖で、心臓がドキドキしているのね)
マリーゼは、心の中で自分にそう言い聞かせていた。
「あなたは男爵令嬢です。なのにどうしてマーガレットのファンに捕まり暴行を受けているんですか?」
この人は私が、今回のゴシップを書いた記者だと知らないのかしら?
「マーガレットとカスタム卿の不倫の記事、実際には匿名の物語ですが、それを書いたのは私ですわ」
「知っています」
彼はそう言って、マリーゼを抱き抱える腕の力を強めた。
マリーゼが、ゴシップ記事を書いていると知っていたの?
ゴーン、終わった。
マリーゼは心の奥、いや頭の中で残念な音が聞こえた気がした。
(きっと、とんでもない女だと思われたわ)
マーティンに抱き上げられた時には、いっせいに花が咲いた気分だった。
なのにゴシップ記事を書いていることを知っていると言われただけで、咲いた花びらが散り始めた気がする。
暴露記事コレットは、私のワークライフだけど、マーティンにバレたくなかったみたいですわ。
母の死をマリーゼのせいだと言われて、自分でもそうだと思い込んでいた。
侍女に嫌がらせをされるのも自分の何かがいけないのだと思っていた。
けれどコレットの暴露記事を読んでいく内に、イジメられるのが当たり前だと思っていた自分を解放してあげることが出来た。
今は自分でネタを探し歩いて記事を書いて自信を持ってやっていたのに、何故かマーティンには知られたくなかったと思う自分がいる。
マリーゼの心中を知らないマーティンは、マリーゼを連れて馬車に乗り込むと、自分の屋敷へと向かった。