第15話 パナムの危機
陛下との謁見から、1日でまた王宮にくる事になるなんて思わなかった。
2回目のせいか、王宮の様子をゆっくり目にすることが出来ている。
やはり昨日は、何故、陛下に呼ばれたのか分からず不安で、周りが見えなくなっていたらしい。
「昨日の今日で参内するとは、そなた達は真面目なようだな」
昨日は、腹に一物ありそうな態度を見せていた宰相の態度が、少し和らいでいる。
「昨日は妹が、始めての拝謁で緊張しておりましたが、宰相閣下のお陰で何事もなく帰ることが出来ました」
「そうか、えへん。無事に終わることを祈っておるぞ」
どうやらヨーク卿は、宰相のお気に入りらしい。
「ありがとうございます」
ヨーク卿のお礼に合わせて、マリーゼも頭を下げる。
「バランティノ男爵家、ヨーク卿とマリーゼ嬢が謁見に参りました」
「通せ」
玉座の間の赤い絨毯を進んでいくと、昨日はいなかった重臣達が左右に控えていた。
「お兄様、私帰りたいです」
「玉座の間の扉を開けてから、帰るなんて許されないよ」
はあああっ
マリーゼは心の中でだけ大きなため息をつく。
「祝福の地をおさめる万民の父であらせられる陛下に拝謁いたします。バランティノ男爵家のヨークとマリーゼでございます」
マリーゼが緊張していることを察したヨーク卿が、2人分の挨拶を同時に行って、陛下のお言葉を待つ。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。さあ、用意した椅子に座ってくれたまえ」
「ありがとうございます。陛下」
「それで、何か解決策は思い付いたのだろうか」
早速話しが始ったのでヨーク卿が持参した、各種幅の長さが違うラップを運んできた、外箱の上に置いた。
「それはなんじゃ?」
「こちらは最近、ホイットニー商団で売り始めた、ラップと言う食料を保管する為の容器のフタでございます」
「ほお、なるほどな。雨で兵士の食料が腐り易くなっている為の解決策か」
「さすがでございます。そのような使い方も良いかと存じます」
「他にあるのか?」
左右に並ぶ重臣達からは、早く話を進めよと急かす声が聞こえる。
「このラップは、元々は包帯として作られたものです」
「包帯?」
「はい。ホイットニーではフタとして発売致しました。
兵士が国境で泥水が隊服の裾から入ってくるとのお話でした。
その為、このラップを裾に巻き付ければ泥水が入ることを防げないでしょうか」
「おお、それはいいな」
懐疑的だった左右の重臣達から、興味深げな声が漏れる。
「陛下、私からもよろしいでしょうか」
ラップによって雰囲気が良くなった為、マリーゼも緊張が解けてきたようだ。
ヨーク卿が箱の底から出して脇に置いてあった物を、マリーゼは自分の目の前に置き直した。
「それは何じゃ」
陛下が、身を乗り出して覗き込む。
「大きな桶に泥水を作り試したのですが、この丸い草網みの輪っかに足をのせて歩くと、泥水の上を沈まず歩く事が出来ました」
実は使用した草には浮遊魔法薬が染み込ませてあるが、ホイットニー商団の研究所の秘密なので、外部には漏らせない。
「なんと」
これには陛下ばかりか重臣達も感嘆の声をあげて、試してみたいと声があがった。
「この僅かな時間にこれだけの物を考案した、そなたたち兄妹の功績には必ず報いよう」
「陛下のお陰で、遠く戦地で苦労している兵士の方々の力になれるのです。大変光栄でございます」
マリーゼは深くお辞儀をして、忠誠の気持ちを表す。
「私も妹と同じ気持ちです。また妹が言った通り遠く離れておりますので、実際の状況が分かりかねます。
まずは庭で、桶に泥水を用意してこの履き物とラップを試して頂ければと存じます」
ヨーク卿の言葉にしたがって、泥水に沈まない履き物と、裾を汚さないラップの実験が順調に進んだ。
ついで、ラップはフタ以外にも、食べ物を直接包んで持ち運べると、提案したところ受け入れられた。
実は草網みの履き物は、雨の多く降るヴェネルスの書物に泥水の上を歩ける履き物として、作り方が載っていた。
しかし乗る人間の体重やバランス感覚で、簡単に沈んでしまうと書かれていた為、そこに浮遊魔法薬をプラスして成功させたのである。
これで2人の兄妹は、国王陛下の期待にこたえて、難題を解決してみせたことになる。
◇◆◇
「やっと終わったわ。検証もしたし、失敗しても男爵家のおとり潰しはないですわよね」
男爵家に戻り、ヨーク卿の部屋でマリーゼはテーブルの上に突っ伏してうめいている。
「ああっ、さすがにそれはないと信じたい。だが何かあった時に責任を追及してくるのが、王宮と言うものだ」
ヨーク卿は、互いに運を天に任せようと達観している。
勿論、問題が起きた場合には、自害してでもマリーゼの命は助けて頂くつもりだ。
とにか2人とも疲労困憊していた。
「お疲れのようだね」
侍女に案内されて、マーティン▪コルドバ伯爵がヨーク卿の部屋を訪ねた。
「やあ、マーティン、訪ねてくれて嬉しいよ」
「お久しぶりです。マーティン様」
ヨーク卿とマリーゼは、立ち上がってマーティンを出迎えた。
「君達の活躍を聞いて、ねぎらいにやってきたんだよ」
マーティンは、持参した蜂蜜酒を小さな樽のままテーブルに置く。
「おおっ、これはもしかして、コルドバ伯爵領の名産かい」
伯爵領の蜂蜜酒は貴重で、お金を出しても買えないと評判である。
「ああっ、今年は特に味がよくてね。グラスを頼めるかな」
マーティンの指示で、侍女のクロエが、テーブルの上に空のグラスを3つ置いた。
「私も頂けるんですの」
マリーゼは酒に強くはないが、貴族のたしなみとして、ワインや果実酒を一杯くらいは飲める。
「ああ、一杯なら平気だろう」
マーティンが、空のグラスに半分くらいの蜂蜜酒を注いでいく。
「そういえば、君達の解決したパナム領の自衛は完遂したんだが、長雨続きで今年の小麦の植え付けが、出来ないって話だ」
マーティンはパナム辺境伯とは懇意にしており、援助するつもりだが、領土の主要作物が丸ごととなれば話は別だという。
いくらマーティンがパナム辺境伯と仲が良くて援助をしたくとも、コルドバ伯爵領の資金を全てマーティンが好き勝手に出来るものではない。
「どこの領地でも起こり得る話ですよね。対策や備蓄はしてあるのでしょうか」
「ああ。パナム領の主要作物の一つがパナ豆なんだが、パナ豆を備蓄して、領地の人間は去年の備蓄豆を食べてきたらしい」
「素晴らしい領主様のようですわ」
マリーゼは、父親であるバランティノ男爵が、ヨーク卿に言い聞かせていた事を思い出す。
平常時ではない異常時に備える事が領主の資質であり、その為にもホイットニー商団は服飾以外の取引も手掛けている。
取引先や原料の問題で服飾がダメになっても、他の商材で穴埋め出来るように備えているのだ。
ただし、男爵家やマリーゼの悪評が立つと、商団全体にダメージを負ってしまう事もある。
また他領地とはお互いに取引をし合う仲でもあり、貴族にとって、他領地の危機は他人事では済まされない。
「ただ、元から懇意にしているならいざ知らず、他の領地の貴族の助けを求めているかどうか」
ヨーク卿の意見はもっともだった。
他国との戦争であれば、互いに助け合うのは当然だが、食料問題で他領主の助けを借りると言うことは、領主の手腕を疑われる行為なのだ。
もっと大きな問題が隣のスヴィタニア帝国。
パナム領が危機におちいれば、帝国が黙って見過ごすはずがない。それはすなわち、リュシオン王国の危機を示している。