第12話 ラップ第1号完成
ガストンには、完成前ではあるが、ラップについての契約書を交わす為に、男爵家に来てもらった。
小さな情報でも、外部に漏らさない為に、ラップについては手紙にも書いていない。
「これで契約が済んだんだな」
ガストンは、店にいた時よりも、小綺麗な服を着ている。
さすがに男爵家に来るのに、いつもの服じゃまずいと思ったと話してくれた。
「そう言えば、お髭も」
マリーゼは何か違うと思っていたのだが、服が綺麗になったせいかと考えていた。
「おお、床屋にも行ってきたぞ」
髭だけじゃなくて、髪もさっぱりしていた。割りと几帳面な人なのかもしれないなとマリーゼは考えていた。
「細かいあれやこれやは、その都度相談という事でいいでしょうか」
「ああ、それで頼む」
ガストンは、手持無沙汰なのか、何度も両手をモミモミしている。
「それでは、本題です」
「え?」
「嫌ですわ。まさか私が契約書の為だけにガストン様を呼んだとでも、お思いになったんですの」
「まさかラップのアイデアが浮かんだのか?」
「しっ」
マリーゼは、部屋の中でもラップと言う単語やアイデアの話をしないように心掛けていた。
「大きな声は出さないで下さい。私の優秀な兄からアイデアをもらったのですが、ラップをある方法で包めるようにすべきとのことですわ」
「優秀な兄貴みたいだが、それは可能なのか」
ガストンは、そんなアイデアが本当にあるのか、目で見ない事には信じられない。
「バランティノ商団の研究員と話して、お兄様のアイデアを実現する方法が思い付いて、既に実験を進めておりますわ」
「ほおっ、兄妹揃って商才があるんだな。それで、どんな方法を試してるんだ」
ガストンは早く続きを聞きたくて、先を急がせた。
「ガストン様、大変申し訳ないのですが、ラップを包めるようにする技術に関しては、お伝え出来ません」
マリーゼがガストンの店ではなくて、男爵家に呼んだのはこの話をする為だ。
「なんだと」
ガストンは目を見開いて、その後には目が鋭くなり、マリーゼを噛み殺しそうな声をあげた。
「落ち着いて下さいませ。私達が目指すのはラップを包めるように商品化して、利益をあげることではないですか」
「ああ」
ガストンはまだ疑わしいと言う目で、マリーゼをにらんでいる。
「ラップは私が手掛けている為、バランティノの研究に関しては、父のバランティノ男爵にもアイデアを解決する方法を話しておりません」
「何故だ?」
ガストンは、まだ納得いかないという声を出している。
「権益を守る為でもありますが、ラップを使えるように作り替える方法は、バランティノ商団の大切な財産なのです」
「俺の持ち込んだアイデアだ」
ガストンは、小娘にアイデアを盗まれると怒り心頭だ。
「もしも、ラップの包みを作る事を諦めるのであれば、バランティノ商団は今後一切、ラップのフタを売らないと約束しますわ」
「売らない?」
ガストンは、予想外の言葉がマリーゼの口から出てきて驚いた。
「何故だ?」
「ラップのフタのアイデアは、ガストン様の物だからです」
「つまり、ラップをフタにするアイデアは俺の物で、それを実際に使えるように作り替えるアイデアがお嬢ちゃんの物なんだな」
ガストンが理解してくれたようなので、マリーゼは返事の代わりにニコリと笑う。
「それで、俺が損する事は、今後あるのか?」
ガストンは両手を横に広げて、仕方ないと諦めのポーズを見せた。
「ラップのフタについて、ガストン様に不利益をもたらすことはないとお約束します。それが、こちらの契約書に書かれております」
マリーゼは、最初に交わした契約書とは別の契約書を用意していた。
「なるほど。ラップのフタ以外にも、今後、新商品が出たらバランティノ商団で売るつもりなのか」
「勿論、バランティノ商団でも売りますが、ガストン様のお店でも売っていただきたいです。あっ、その場合は売上の15%を、こちらにお支払い頂きますわ」
「本気か。新しい商品の販売にも、俺を入れてくれるのか」
「仲間ですから」
ガストンはせっかく散髪してきた髪をガシガシかいてから、両手を膝の上に置いた。
「ここにサインすればいいのか」
「はい」
マリーゼは、上手くいって良かったと、内心ドキドキが止まらなかった。
「また何かアイデアが浮かんだら、相談にのってくれるか?」
ガストンが、小さなお嬢ちゃんだと思っていたマリーゼが、実は凄い人物じゃないかと思い始めた瞬間だった。
「いつでも大歓迎ですわ」
◇◆◇
「ガストン様、いらっしゃいますか」
マリーゼが、ガストンの怪しい店にズカズカ入ってきた。
「おお、久しぶりだな。ラップの開発の進展はどうだ」
ガストンとは、時々会って新しいアイデアについて話しをしていた。
「完成しましたわ」
ガタンっ
「いてぇ」
ガストンはマリーゼの言葉に驚いて、座っていた椅子から滑り落ちた。
「まあ、大丈夫ですか」
マリーゼはガストンの側に近付いて、手を差し出す。
「いや、大丈夫だ。マリーゼ嬢に助け起こされたら、転ばしてしまうオチが見える」
ガストンは膝に手を置いて、「よっこらしょ」と立ち上がる。
「それで、本当にラップが完成したのか?」
「はい、この間の壺とハサミをお願いしますわ」
「おうよ」
ガストンは店の奥から、砂糖漬けの壺とハサミを持って戻ってきた。
「これでいいか」
カウンターに壺を置くと、ガストンは壺のフタを開けた。
「はい。それでは」
マリーゼはガストンの見ている前で、ラップを取り出して、壺の大きさより少し大きめに切ると、上に被せた。
「ガストン様、ラップで壺の口を塞いでみて下さい」
ガストンは言われるがままに壺の頭を押さえて、ラップで口を塞いでみた。
「あっ、なんだこのラップ。俺が渡したのと、手に触る感触が違うぞ」
「壺のフタになっておりますか?」
マリーゼは、ガストンの返事を待った。
「ああ、ああ、完璧だ。俺が想像していたのは、まさしくこれだよ」
最初は分厚くて、上にのせるしかなかったラップが、壺の上から口をピッタリと塞いでいた。
しかも薄いので、壺の上には真っ直ぐ敷かれているのに、縁をピッタリ包んで離さない。
「マリーゼ嬢、あんた本当にやりとげてくれたんだな。ありがとう」
ガストンが、初めてマリーゼにお礼を口にした。
「こちらこそですわ」
マリーゼは何だかくすぐったいような、誇らしい気持ちに包まれる。
「それでは、ガストン様、ここからなのですが、この状態のラップをまずは発売致します」
「おお」
「ガストン様には、ラップに付与魔法をかけて頂けますでしょうか?
出来れば全部並べていっぺんに付与するか、薬品を作って頂ければ、バランティノ商団で作りますわ」
「え?」
ガストンは何を言われているのか分からなかった。だってラップは完成している。
「まあ、ガストン様、忘れてしまったのですか?」
「俺が何を忘れてるって?」
マリーゼの言葉に、ガストンはさらに困惑してしまう。
「食品を保存できるフタを作るとおっしゃったではないですか」
「ああ、確かに」
ガストンは、マリーゼと出会った時の事を思い出す。
「それでは普通のフタとしてのラップと、付加価値のあるラップを売り出しましょう」
「食品が腐らない時間停止、もしくは安定の魔法か、薬品を使うのか」
ガストンは、魔法道具屋だ。
時間停止(食べ物を腐らないように保存する魔法や薬品)にする事は確かに出来る。
だが、いつもは目の前の食べ物を、時間停止させて一週間~一年、保たせるためのものだ。
「この砂糖漬けは、保存魔法を掛けてあるのですか?」
「ああ、この薬品を薄めて垂らして混ぜてある」
「ふ~ん、ガストン様の魔法道具は便利ですわね。その薬品を研究所に持っていってラップに付与出来るか試したいのですが、ガストン様がご指導いただけますか?」
マリーゼは、トントン拍子に話を進めていった。
「ああ、マリーゼ嬢のいう通りにする。俺は何でもいう通りにするからな」
ガストンは、このお嬢様に付いていけば大丈夫だと確信したようだ。
「では、保存薬品の契約について、話し合いましょう」
マリーゼもガストンも、ラップから始まったこの出会いによって、もっと大きな波に飲み込まれていく事を今はまだ知るよしもなかった。