第7章
1990年3月17日に、長く感じた寮生活が、ようやく終わり・・・
ぼくは、迎えに来てくれた父の車に、一年間使っていた布団、毛布、衣類など、世話になったカビくさい所持品を積み・・・
一路、自宅へと向かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜になり・・・
ぼくは、初めて「自発的に」ロードワーク・・・すなわち、ジョギングに出かけた。
そのコースは、ぼくが川崎小学校に通っていたときの「通学路ルート」に、美絵子ちゃんのかつて住んでいた家の前を通過し、小学校の少し南のエリアを通過するコースを追加した、全長5キロほどの、アスファルトばかりの路面をゆくものだった。
ぼくの自宅は、シャープの工場の裏手にあるのだが・・・
家を出て北上すると、300mほど先に、最初の信号が出てくる。
ぼくはいつも、「左側通行」で走っていた。
右に歩道がなく、危険だったためだ。
・・・一度、こんなことがあった。
ぼくが、その信号を左折しようとして、信号待ちをしていた、当時のシャープの社員の男性たち数人が立っている目の前を横切って、少ししたところで、こんな声が、ぼくの耳に届いた。
「ねぇ、いまのさぁ・・・朝の『ジェミニの子』じゃない・・・?」
その中年男性は、ぼくが誰だか、暗いのに、ちゃんとわかったようだ。
「ジェミニ」というのは、ぼくが当時乗っていた、「イスズ・ジェミニ」のことだろう。
ぼくは毎日、農業大学校に車で通学するようになってから、この信号を右折して国道4号線に出ていたから、きっと朝、ジェミニで信号待ちする、ぼくの顔をおぼえてくれていたのだろう。
・・・なんとなく、うれしかった。
(あのおじさん、ぼくを気にして、おぼえていてくれたんだね♪)