第3章
ぼくの母校、農業大学校には、当時、「農業科」「園芸科」「畜産科」・・・そして、「生活科」という、4つの学部があった。
いずれも二年制となっており、ほとんどの学生が、この学校を、2年で卒業してゆく。
その「上位版」というべき学部があり、名前を「研究科」という。
普通の四年制大学でいうところの、「大学院」といった位置づけになるのだろう。
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・・・ぼくが所属していた「農業科」は、稲・麦・大豆・小豆といった作物を専門に勉強し、実際に、畑や田んぼで栽培し、秋には、収穫したそれら農作物を、祭りのバザーで安く売ったり配布したりする、ということもやっていた。
農業の「いろは」も知らなかったぼくは、毎日汗まみれで、農作業や、落ち葉さらいや草刈りといった「環境整備」にいそしみながら、自然に触れる喜び、農業の魅力・すばらしさというものまで、肌で感じるようになっていく。
高校時代の・・・
タバコや酒、パチンコ・競輪・競馬、女遊びといった、いわば「オトナのたしなみ」とはまったく無縁な、まじめでお堅い、おぼっちゃん連中とは、まったく毛色が違う、そんなワイルドで、しかし率直な学生たちに、大いに刺激され、影響を受けながら、ぼくはだんだんと、自分なりの「学生生活の楽しさ」「新しい喜び」というものも味わうようになっていった。
「半寮生活」で、夏休みに帰宅していたぼくは・・・
お盆に美絵子ちゃんと再会したのちには、また学生生活に変化が訪れた。
寮の「自習室」で、美絵子ちゃんに関する『美絵子メモ』を記述するようになり、ますます美絵子ちゃんに対する、熱い想いというものが強く大きくなっていったのである。