19・巻き込まれ転生者でした。
決闘は途中で終わり、ゲイルは王宮奥の塔、貴人を軟禁する塔へ戻された。
本来なら侯爵令嬢である私もそちらに連行されるはずだっただろう。
私が平民の入る監獄塔に投獄されたのは、グルヴェイグの考えだったのかな。まあ、今はもうフォルセティ侯爵家滅びてるから、元令嬢で平民なんだけどね。
家族や領民のことで、ゲイルやグルヴェイグに恨みがないといえば嘘になる。
前世の記憶が戻ったからといって、今世の私が消え去ったわけじゃない。
でもグルヴェイグはファヴに倒されちゃったし、ゲイルもあの様子じゃ長くない。同じアラサーとは思えないほどやつれた顔には死相が出ていた。
もういないグルヴェイグはともかくとして、ゲイルはこれまでのことを悔やみ続けて欲しい。
レーヴァティン帝国に服従するか、服従を拒んで処刑されるかはわからないが、死ぬまでずっと自分の愚行を反省して欲しい。
……とはいえ、他人の心なんてわからない。わかっているのは、ゲイルを殺したとしても父母や弟は戻ってこないということだけだ。
なんだか泣きたい気持ちになって、私はファヴの胸に顔を──あれ? 同じベッドで眠っていたはずのファヴがいない。今夜は、帝国兵士やメイドにも宣言して、最初から同じベッドで眠ったのだ。
『料理』目当てなだけで、愛されてないことは百も承知だ。
それでも明日の朝目覚めたとき、すぐに彼の顔が見られることが嬉しかった。
スコルとハティはベッドの下に入ろうとしていたが、体が大き過ぎてベッドを持ち上げてしまっているのを指摘したら諦めてくれた。
私としても、ウフーン、なとき下にスコルとハティがいるのは嫌だ。
二匹の聖獣はレギン様の寝室で眠っている。想い人を喪った(だれが倒したの)弟を慰めてやってくださいと言って、ファヴが押し付けたのだ。
ないのはファヴの胸だけではなかった。
ベッドも部屋もミステルティン王国の王宮もない。
真っ白な空間が広がるだけだ。自分の体があるのかさえよくわからない。
「え?」
声は出せるようだけど……まさか、いつの間にか私死んだ?
これから新しい世界に転生するの?
『そういうわけではない』
耳もないのに、だれかの声が聞こえてくる。
姿も見えないのに女神の声だとわかった。この世界の地母神アングルボザ様だという確信があった。
……これからなにか使命を与えられるのではないかという、中二病ハートが疼く。
『そういうわけでも……いや、頼みごとがないわけではないな』
お約束だけど、声に出さなくても気持ちが向こうに伝わっているようだ。
『そなたはずっと、なぜ自分がこの世界に転生したのかを不思議に思っておったであろう? まずはその疑問に答えよう』
「は、はい!」
襟どころか、シャツも体もないけど襟を正して女神様の言葉を待つ。
『そなたはただの巻き込まれ転生者じゃ』
「え?」
『わらわは不倫を憎んでおる。たとえ異世界であろうとも、配偶者のいる存在に手を出した人間の魂を呼び寄せて罰を与えているのじゃ』
「グルヴェイグのことですか?」
スコルとハティが言ってたっけ。
女神様は間違いを犯した人間を罰するために魔物に転生させるって。
『いかにも。あの娘は前世で不倫をした。相手に配偶者がいないと騙されて関係を結んだものまでは罰する気はない。その証拠にわらわは、牡馬にも八本脚の子どもにも害は与えておらぬ』
あー、うん。攻略サイトのコラムで北欧神話のエピソード読みました。
『そなたの前世の神話と、この世界のわらわ達は同一ではない。しかし似通っているのは事実だ。似ているものは引かれ合う。そなたがあのゲームに嵌っていなければ死んだときあの娘の近くにいたからといって、この世界に巻き込まれ転生はしなかったかもしれぬ』
ふーん。もしかしてグルヴェイグって、あのときの合コン参加者のだれかだったのかな。
職場の先輩じゃないよね?
あの人は不倫とかする人じゃなかった。
『うむ。不倫などせぬのが正しい。配偶者がいるとわかっている相手に粉をかけるものも、配偶者と可愛い子どもがいながら、ほかの相手に手を出すものもクズじゃ!』
「……ですよねー」
声だけでも圧が凄くて、ほかに返しようがない。
いや、私も不倫は悪いと思うよ。
悪いと思うけど……前世の記憶が戻る前の自分のゲイルへの想いに自信が持てないから、ちょっと不安な気持ちになってしまう。
『それはどうしようもなかろう。そなたの前世の記憶が蘇ったのは、言ってみれば同じ転生者であるあの娘と接触させたあの男のせいじゃしな』
「はあ。……考えても仕方がありませんよね」
『それとも前世の記憶を消して、帝国の第一皇子から離れたいか?』
「それは……」
前世の記憶が消え去ったら、私は生きていけないと思う。
今世の人生と同じ量の記憶のおかげで、家族を喪った悲しみに押し潰されないで済んでいるのだ。調味料を入れ過ぎたスープに水を足したような状態なのだ。
それにたぶん、前世の記憶がなくなったら生活魔術『料理』は使えなくなる。存在すら知らないんだからどうしようもない。だけどもう舌は美味を覚えているから、この世界のなにを食べても美味しく感じないだろう。今世の母の手作りスープとかなら別だろうが、それはもう二度と食べられない。
……前世の記憶がなくなって生活魔術『料理』が使えなくなったら、ファヴは離れて行くんだろうなあ。
なんなら『YoursAge』でのファーストプレイと同じように、ダンジョンで殺されて厄介払いされちゃうかもしれない。
『まあどちらにしろ、わらわにはそなたの記憶をどうこうする力はないのだがな。神が前世の記憶をどうこう出来るのは、生まれるときに残したままにするかどうか決めるときだけじゃ。本人が思い出してしまってはどうにも出来ぬ』
「消せないんですか!」
なら、なんで聞いた!
『帝国の第一皇子と別れる気もなさそうで安堵した。どんな世界でもときどき産まれてくるのじゃ、あのように神の想定を超えた異能者が。あの娘への罰はまだまだ繰り返すつもりじゃったのに、あやつの力で存在自体を消滅させられてしまった。巻き込まれ転生者とはいえ、そなたは人間じゃ。そなたが人間なら、帝国の第一皇子も人間でい続ける。神殺しにも世界の破壊者にもならぬであろう』
「……女神様、私への頼みごとってもしかして……」
『帝国の第一皇子の世話を頼んだぞー』
「えっと、スコル様とハティ様は……」
『あれはあれで好きにするだけじゃろう。どこにいようと、あれらが存在するだけで所属するダンジョンは世界に調和していくから問題ない』
「そうですか……」
『あれらのためにいろいろと面白いものを用意しておったな。わらわと子ども達にも今度奉納するが良い。わらわは酒のつまみになるものが良いぞ。あのピリ辛チーカマは絶対に入れておくように』
甘党のファヴに不評だったピリ辛チーカマの材料はヴェノムフライフィッシュ──などと思いながら目覚めると、彼の腕の中だった。
窓の外は明るくなっているようだけど、まだ目覚める時間ではない。
私はファヴの胸に顔を埋めた。結局のところ、巻き込まれだろうとなんだろうと、この世界に転生した以上この世界で生きていくしかないのだ。