0・婚約破棄された侯爵令嬢
「エギル! 俺は貴様との婚約を破棄する! 貴様が俺の愛するグルヴェイグに日夜呪いをかけていたこと、気づかれていないとでも思っていたか? 貴様のように性根の腐った醜い女などだれが愛するというのだ!」
魔術学園の卒業パーティ、幼いころからの婚約者であるミステルティン王国のゲイル王太子殿下に言われて、私は反論出来なかった。
彼の言葉は真実だ。
確かに私は日夜グルヴェイグ嬢に呪いをかけていた。
貴族子女が通う魔術学園に強い魔力を見込まれて特待生として入学した平民のグルヴェイグ嬢は、ゲイル王太子殿下に寄り添って勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
彼女の澄んだ瞳に映る私は、殿下のおっしゃる通り嫉妬と憎悪に歪んだ醜い顔をしていた。
「ですが王太子殿下、エギル嬢は……」
「黙れ!」
殿下の側近が彼を止めようとしたのは、私の実家フォルセティ侯爵家がミステルティン王国の重鎮だからだろう。
そう、私と殿下の婚約は政略的なもの。
殿下から私に対する愛情はひとかけらもない。私は──初めて出会ったときから彼を愛していたけれど。
黄金を糸に紡いだような眩しい髪に空を溶かしこんだような青い瞳、私の愛しい王子様は嫌悪に満ちた表情でこちらを見ている。
私は唇を噛んでグルヴェイグ嬢、いいえ泥棒猫の売女を睨みつけた。
たちまち殿下に怒鳴りつけられる。
「なんだ、その目は! 俺のグルヴェイグを汚らわしい瞳に映すな! だれかこの女を監獄塔に連れていけ!」
衛兵に取り囲まれても、私はグルヴェイグを睨み続けた。
だってもう、それしか出来ない。
フォルセティ侯爵家は武人の家系だが、私には武勇の素養はまるでないのだ。グルヴェイグを呪っていた呪術にしても、魔力濃度の薄いダンジョンの外では護符や防御魔術に阻まれてしまう。それでも呪わずにはいられなかった。
──私はそのまま王都の隅にある監獄塔へと運ばれた。
両親と弟が来て、グルヴェイグに謝罪すれば釈放してもらえるよう手を回したと言われたけれど、私はそれを拒んだ。平民の彼女に頭を下げて、そんな条件を取り付けてきてくださった三人には悪いと思う。
思うけれど、
婚約者を奪った女を憎むのは罪なのですか?
婚約者を奪った女を呪うのは悪いことなのですか?
他人の婚約者を奪うのは正しいことなのですか?
私がゲイル王太子殿下と未来の王妃の不興を買い続けるのは、いずれフォルセティ侯爵家を継ぐ弟にとっても良くないことだとわかっていた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私は殿下に恋しているの。
生まれて初めての恋だったの。だれにも渡したくなかったの。
処刑されるのならそれでもいい。だけどあの女の行為を認めることは出来ないの。
泣きながら首を横に振る私の言葉に、両親と弟は頷いてくれた。
幸い、このことでは侯爵家が罰せられることはなかった。
いくら私でも、実家に直接的な被害が及べば彼女に謝罪して自害する。
肌寒い牢の中、私は彼の顔を思い浮かべる。黄金の髪に青い瞳の……ん?
ゲイル王太子殿下のことを思い出していたら、妙なイメージが邪魔をした。前髪に赤いひと房を持つ、彼よりも遥かに美麗なイケメンの面影だ。前髪に赤いひと房を持つ人物と家系は知っているが、直接の面識はない。
というか、イメージとかイケメンとかってなに? いや意味はわかる。わかるんだけど……この世界の言葉じゃないような気がする。
グルヴェイグを呪うため既存の呪術ではなく禁忌とされている古代魔術を研究していたころがあったから、そのときに古文書かなにかで見た言葉かしら。
首を傾げながら、私は鏡の破片を覗き込んだ。
自害したり牢番を襲ったりするのに使うかもしれないからと、家で使っていた鏡を持ち込むのは止められた。だから手のひらに隠れるくらいの小さな破片を持ち込んだのだ。
黒い髪に紫の瞳、食事も採らず眠りもせずに呪いの研究をしていた莫迦な娘はやつれ果てていて、死人のような顔をしていた。目の下には大きな隈がある。
魔術学園に入学してゲイル王太子殿下がグルヴェイグに夢中になるまでは、そうじゃなかった。
美男美女の両親と侯爵令嬢としての恵まれた暮らしのおかげで、美人だと言われたこともあったのよ。
自嘲の笑みを漏らして鏡を隠す。
もしかしたら、いつかゲイル王太子殿下が私に会いに来られるかもしれない。罵られてもいい、乱暴されてもいい、もう一度だけ彼の顔を見ることが出来たら……って、だから浮かんでくるその面影はだれだ。
殿下が下級魔物だとしたら、ダンジョンのボスである竜くらいレベルが高い顔なのよねえ? いや殿下もイケメンよ?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──そして十年が過ぎ去った。
私は死んだ魚のような目をしている。
この十年、ゲイル王太子殿下は一度も私を訪ねてきてくださらなかった。
足繁く通ってくれていた両親と弟も一年ほど前から顔を見ていない。隣国へ侵攻しようとした彼……国王ゲイルを止めてフォルセティ侯爵家は滅ぼされたのだ。私は門番の噂話を盗み聞きしてそのことを知った。だれも教えに来てはくれなかった。
涙は涸れた。泣きじゃくって声も嗄れた。
もう生きている意味などないのに、私は今日恩赦を受ける。
隣国に救援要請を受けたレーヴァティン帝国がミステルティン王国軍を打ち払い、ついでにこの国を制圧したからだ。帝国軍は釈放される私に支度金として銀貨三十枚までくれた。
釈放されたとはいえ、もちろん監視はつけられているだろう。
監獄塔に入れられていたからといって愛国心がないとは限らないのだから。与えた銀貨三十枚を持って帝国の敵になる可能性もある。
ほら、あの男が怪しい。帝国の密偵ではないかしら。密偵を見破ったら賞金首の捕縛を依頼されるのよね。
……あ。
イベント内容を思い出して、私は気づいた。
この世界ってもしかして、前世でプレイしたオープンワールド系のRPG『YoursAge』と同じじゃね?
十八歳で投獄されて、十年間獄中生活で現在二十八歳。実家も滅ぼされたアラサー元令嬢が転生者だったと気づいて、これからどうすればいいのよ!