悪役令嬢は「ボンバイエ!」と叫ぶ〜マリーの尊いお裁縫〜
さて、フレッド・クラスト辺境伯の屋敷に到着したマリーが最初に夫に求めたものは、ドレスでも宝石でも花でもなくお針箱であった。
「うふふ、うふふふふ、針がたくさん! 糸も艶のあるとても良い色だし、このガラスビーズの輝きは陽の光の中で踊る妖精のよう。なんて美しいのかしら」
この部屋は広くて日当たりが良いけれど、壁紙が所々禿げているし、調度品ときたら飾り気のない古い家具ばかりで、それも目立つ傷があって引き取り手のなかったため物置に死蔵されていた物だし、どう見ても新婚の令嬢……いや、新妻に似合うものではない。
たとえ名ばかりの妻だとしても、仮にも辺境伯夫人なのだから、本来ならばその地位にふさわしい物が用意されているはずなのだが。
マリーは、その美しさと愛らしさ、天真爛漫で無邪気な遠慮のなさで、貴族の姉弟はもちろん、王子の心すらとらえてきた令嬢なのだ。貧乏だったので安物の櫛でせっせと解いてきた金髪は、ふんわりと光ってお日様の光の結晶のようだし、瞳はよく晴れ渡った日の青空を切り取ったような鮮やかな青なのだ。
彼女には、粗末な家具や部屋は似合わない。
しかし美しいマリーは、明らかに嫌がらせとわかる粗末な私室で、キラキラと光を反射するビーズと共に踊っている。
彼女にとっては、おなかいっぱいにごはんが食べられて、寒さに震えずに眠れる部屋があるというだけで素晴らしい環境だったし、その上欲しかった物、つまりお裁縫セット(キラキラのビーズと絹の刺繍糸付き)までもらえてしまい、有頂天になっているのだ。
「嬉しいな、なにを作ろうかな、なににしようかな、キラキラの素敵なものをたくさん作るのよ、うふふ、うふふ」
本来ならば、その身をきらめく宝石で飾り、豪奢なドレスに身を包み、艶然と微笑んでいれば良いはずの美貌の辺境伯夫人なのだ。だが、今のマリーの笑顔はどんな宝石よりも美しく輝いていて、この部屋を王宮の舞踏会の会場よりも華やかな場所に変えていた。
そんなマリーの姿を、少し開いた扉の陰から見守る者がいた。
「ごく普通の針箱なのに、あんなに喜んで……控えめに言って、神々しいほどの愛らしさ……天使なの? 天使降臨なの? ああ、申し訳ございません奥方さま、家具職人と布団職人にすべての他の仕事よりも優先してこちらに来るように連絡致しましたが、なにぶん突然の依頼で対応に時間がかかるとのこと、もうしばらくお待ちくださいませ。ああ、あんな薄いお布団にマリーさまを寝かせなければならないなんて……本当に、こんなことをするのではなかったわ……なんなら旦那さまのお布団をはいでこちらに持ってきてしまおうかしら……」
マリーが喜べば喜ぶほど、メイド頭のレベッカの心はきりきりと痛む。彼女は胸をぐぐっと掴みながら苦悶の表情になった。
「わたしたちはなんてことをしてしまったのかしら、噂を鵜呑みにして、遥々やってきてくださった奥方さまに、こんな、こんな低レベルの意地悪を……バカバカ、わたしの大バカ! なにがメイド頭よ、調子に乗ってやることがこれ? バカバカバカ!」
「だから言ったでしょ、レベッカ」
背後から声をかけられて、レベッカは「ひっ」と小さく叫んで振り返った。
「いやだわ、メラニー、脅かさないでよ!」
「レベッカちゃん、自分を罵ってもなんの解決にもなりません。あと、旦那さまのお布団をはいじゃダメ。寒くなった旦那さまがこの部屋にやってきて、奥方さまを襲ったら大変でしょ」
メラニーはレベッカの襟首を掴み、ずるずると引きずりながら言った。
「それよりもあなた、いつまで奥方さまを鑑賞してるのよ。早くメイド頭としての仕事をなさいね。反省するのはやることをやってからよ。みんな困っているじゃない。っていうか、マリーさまを見たがって仕事をサボろうとするメイドが続出なのよ。メイド頭のあなたのせいよ、まったくもう」
どうやらしっかり者のメラニーが尻拭いをしているらしい。
「お待ちなさい、メラニー。さらっと流そうとしたけれど、襲ったらってどういうことなの? 襲うも襲わないも、奥方さまは、旦那さまの奥さまでしょうに」
「いいから、こっちに来て」
メラニーは、レベッカをマリーの部屋から引き離し、物陰に隠れると言った。
「あなたが仕入れてきた噂話によると、マリーさまは借金のかたにこちらに嫁いで来られた、お飾りの奥方さまなのよね」
「そうだわね」
レベッカは頷く。
「とすると、きちんと納得して嫁いで来られたかどうか、マリーさまのお気持ちを確かめないといけないわ。考えてごらんなさい、あんな、綺麗なガラスビーズを貰って喜んで、くるくる回るような女の子なのよ? 噂とは全然違うお嬢さまだったじゃないの。あんな子を売るような真似をする親って絶対におかしいわ。訳もわからずに辺境に嫁がされて、覚悟も無しに男性に迫られたら……いくらなんでもお気の毒だと思うわ」
「……それは由々しき事態ね……じゃあ……切っておこうかしら」
「何を切るのよ! あなたは時々、本当におバカになるからわたしは怖いんだけど!」
メラニーが顔を引き攣らせて叫んだ。
「切っちゃダメ。いいわね? それにね……レベッカは意外に人がいいからすぐに絆されちゃうけど、わたしたちはマリーさまについてまだまだ知らないことが多すぎるわ。先走らずに、しばし現状維持を務めながら観察をして、マリーさまのお人柄をしっかりと見極めましょうよ。あの奥方さまが見た通りの方ならば、その時にどうしたら一番お力になれるかを考えましょう」
「まあ……そう言われてみればそうかしら……もっとマリーさまのことを知らなくてはね。では、わたしはマリーさまのお部屋の観察を」
「およしなさいってば! それはもはや、犯罪に近いわよ!」
メラニーは、一見冷たいけれど実は愛情深い、一言で言うとツンデレなメイド頭にデコピンを食らわして「めっ!」と叱った。
「しっかりなさいな、メイド頭のレベッカ!」
「……ねえメラニー、なんであなたがメイド頭をやらないの?」
「めんどくさいもの。もちろん、お手伝いは惜しまないから、わたしの分までがんばってね、メイド頭のレベッカちゃん」
ふふっと笑うと「さあさあ、やることをやっちゃいましょうよ」と言うメラニーは「なんだかずっるーい!」というレベッカと共に業務に戻った。
さて、若くてバイタリティ溢れるカッパ娘のマリーは、旅の疲れなどまったく感じなかった。
何もしなくても食事をとれるという素晴らしい生活が始まったので、彼女は手に入れた裁縫道具を使ってさっそく仕事にかかっていた。
彼女は着古して布地の一部が薄く弱くなってしまったドレスに鋏を入れ、まだハリのある布を切り取って分けた。元々たっぷりと布を使っていたドレスだったので、淡い水色の絹地がかなりの枚数取れた。
マリーは「綺麗な布だから、花びらを縫って組み合わせると素敵な小物になりそうだわ」と考えて、布地を切り分けてちくちくと縫い始めた。
マリーへの対応で気持ちが混乱しているフレッドには放置されていたし、使用人たちはまだこの新しく女主人となった不思議な令嬢をどう扱ったらいいのかわからなかったので、マリーには時間がたっぷりとある。
森のベリーを摘みに行く約束も、残念ながらまだ誰とも取り付けることができなかったので、縫い物くらいしかやることがなかった。
途中で家具が交換され、部屋の改装のために客間に移った日もあったが、客間の豪華さに驚きながらもチクチクと針を走らせ続けた。
見違えるように女性らしい、レベッカによると「辺境伯夫人に大変ふさわしい部屋だと存じます」というレベルに整えられた部屋に戻ってびっくり仰天しながらも、やはりチクチクと丁寧に布地を縫い続けた。
いろいろな長さ太さの針をはじめとするお針箱の中身はどれも良い品で使いやすい。
今まで安物の針を使ってきたマリーは、あまりの使いやすさに自分の腕前が上がったような錯覚すら覚えて、縫い物が楽しくて仕方がなかった。
「やっぱり、曲がってない針は縫いやすいわね」
……まず、そこであった。
というわけで、マリーの手元には、花びらの形になり、朝露のようにビーズを散りばめた美しいパーツがたくさんできた。
「奥方さま、お食事でございます」
メイドが呼びにくると、マリーはダイニングルームに向かう。そして、フレッドと一緒に大きなテーブルにつくと ワクワクしながら待つマリーの前に、スープや前菜から始まって、美味しいものが次々と運ばれてくるという至福のひと時が始まるのだ。
「まあ美味しい! これはとても美味しいわね」
好き嫌いのないマリーは、なんでも美味しがってよく食べる。
淑女のマナーとしてはまったくなっていないのだが、リスの餌袋のように口に食べ物を詰め込んで、大喜びでもきもきと食事をするマリーの姿は料理人たちを喜ばせた。
フレッドは彼女のことを柄にもなく微笑ましい気持ちになって見ていたが、はっとして「そうだな、お前にはマナー教育が必要だった」と約束を思い出した。
「ごめんなさい、わたしったらお食事のマナーもできていないわよね」
「仕方がないのだから、気にするな」
「フレッドの食べ方は、とても上品ね。そうだわ、あなたの真似をすればいいのね」
「……好きなようにしろ」
少し赤くなったフレッドは、ぶっきらぼうに言ったが、そんなことなどまったく気にしないマリーはにこにこしながら彼の真似をしようとがんばった。
マリーはフレッドが食事をする様子を見て、食べ物を小さく切って少なめに口に入れようと努力する。フレッドに「リスにそっくりな顔になるな」とアドバイスをもらったからだ。
しかし。
「何これ、すごく美味しいいいいい!」
熱々のチェリーパイに冷たいミルクアイスが添えられたデザートの前では、元のリス顔になってしまうマリーであった。
そして、料理人たちは『いかにマリーをリスにするか』に全力を注ぎ、彼女のツボを押さえる美味しい料理を次々と投下して、フレッドを苦笑させるのであった。
チクチクを続けてパーツがたくさん出来上がると、マリーはその組み立てを始めた。レベッカに頼んでコテを借りると、花びらの形がふんわり立体的になるように整える。
そして、花の形に纏めると、よく糸でくくり縫いをして、可愛らしい花の飾りを作り上げた。いくつかをまとめて、用意してもらった飾りのない櫛に縫い付けると、淡い水色の花飾りが出来上がった。
「レベッカ、レベッカ」
マリーが呼ぶと、待ち構えていたようにメイド頭が部屋に現れた。
「レベッカにございます、奥方さま」
「見てちょうだい、髪に飾るアクセサリーが出来上がったのよ」
「左様でございますか」
ポーカーフェイスのレベッカが、にこりともせずに言ったが(あまりにもマリーに萌えすぎて、顔の表情を緩めると、そのまま床に崩れ落ちてしまいそうになるためである)マリーは気にしない。
「わたしの髪を、レベッカみたいにまとめてもらえない? 自分だとうまくできないのよ」
「……承知いたしました」
新たに部屋に置かれた、今度こそ辺境伯夫人にふさわしい豪奢なドレッサーの前にマリーが座ると、レベッカはブラシで女主人の金髪を解き、サイドを素早く編み込みにすると後ろに持ってきてひとつにまとめてからさらに細かい三つ編みを作り、ふんわりとしたお団子に絡めた複雑な髪型に結い上げた。
「まあ、とても素敵な髪型だわ! レベッカは器用で、なんでも上手にできるのね、すごいわ」
「これがわたしのお役目にございますので」
クールに応えるレベッカであるが、その内心は『むふんむふんむふんむふん! マリーさまにお褒めいただいたわ! ああ、太陽のかけらのような尊い御髪を結わせていただけただけでこの上なく幸せなのに、マリーさまのために考案したこの、髪型を素敵と! 素敵とおっしゃっていただけて!』と、大変な鼻息であった。ポーカーフェイスが使えなかったら、間違いなく不審者だ。
「この櫛を、お使いすればよろしいのですね」
仕上げに、マリーの手作りの髪飾りを刺すと、散りばめられたビーズがキラキラと光った。
「わあ、可愛くできたわ。レベッカ、どう?」
「お針箱をこのように有効利用されて、旦那さまもお喜びになると思われます」
(大変大変お可愛らしいですうううううーっ、マリーさまの可愛いおててで縫われた水色の小花が金の髪にくっついて、もうもう可愛いの無限大が止まりません!)
レベッカがツンデレのポーカーフェイスに生まれついたのは、神の慈悲であったと言えよう。
「うふふ。あ、それからね」
合わせ鏡で髪につけたアクセサリーの確認をしていたマリーは、ドレッサーの引き出しを開けて、中からまた小花を取り出した。ピンがついていて、髪に刺さるようになっている。
「これはね、レベッカの分なのよ。お仕事中でも使えるように、小さなお花にしたの」
「わた、しの……」
ビーズがふんだんに使われた花は、小さくても輝いて、存在感に溢れている。
「使ってもらえる?」
「……奥方さまが、そうなさりたいのなら……」
「じゃあ、後ろを向いて屈んでちょうだい」
マリーはレベッカのお団子に花飾りを刺すと「あら、可愛いわ」と喜んだ。
「あの、奥方さま、ありがとうございます。他に用事は……」
「もう大丈夫よ。忙しいところをありがとうね、レベッカ」
「それでは、失礼いたします」
メイド頭は頭を下げると、マリーの部屋を辞した。
そして、いつものようにつんとすました顔で廊下を歩き、曲がった途端に。
「くんぬあああああああ! 尊い! 尊過ぎて困る!」と叫んだかと思うと、その場に倒れ伏した。
「あらやだ、レベッカったらなにやってるの?」
「もう可愛いが凄い怖い神かなあれは天使降臨に神も一緒にこんにちわかな手作りのお花だけでもかわゆさヤバみなのに尊いお指でわたしの髪につけてにっこりとか死ぬのわたし殺されるの天罰なのかしらこれはかわゆ死なのねもうダメ」
「本当にダメね。まあ、ここまで我慢したのは偉かったわね」
「メラニーわたし死ぬこのお花ヤバみ神からの賜り物いくら払えばいいの全部貢ぐからわたしの財産全部天使に捧げて祈るから」
「いやいや、向こうはお給金をくれる人ね。レベッカはもらう人ね。貢ぐ必要はないわね。貢ぐのはむしろ旦那さまのお仕事だから取っちゃダメね」
「……鼻血出そう」
「部屋に行こうか。メイド頭は体調不良で今日は休みますってみんなに言っておくわ。ほら、立って。わたしはレベッカを担げないから自力で部屋に戻って」
「腰砕けになってるの」
「そんなことでは、マリーさま付きにはなれ……」
「立てたから! 大丈夫だから!」
すっくと立ち上がったレベッカは「動揺してごめんなさいね、メラニー。もう大丈夫よ、仕事に戻るわ」と無表情に言うと、その場を立ち去った。その後ろ姿を見たメラニーは「あら、可愛い花飾りね。マリーさまは器用でいらっしゃるのね」と少し羨ましそうに呟いた。
その後。
「マリーさまが可愛い、まさかわたしの分まで作ってくれたなんて、もう、尊過ぎて死ぬ!」と床にうずくまるメラニーの姿をはじめとして、メイドたちがことごとく頭に花をつけてもらってはのたうち回る、というある意味異常な事態となった。
さらにその後。
「クラスト辺境伯にお使えする身でありながら、そのような見苦しい姿を晒すとは……皆、精神力が足りていないぞ!」とメイドたちに喝を飛ばした家令のロバートが、「ま、まさか、刺繍入りのポケットチーフを、作ってくださっていたとは……くはっ!」と廊下に倒れているところを発見された。彼の胸にはビーズの飾りがついた、淡い水色のポケットチーフが入れられていて、意識を取り戻したロバートによるとマリーが直々にポケットに差し込んだとのことだった。
さらにさらにその後。
フレッドが、拗ねていた。
メイドにも使用人にも、マリーの手作りの小物が手渡されたと知り、拗ねていた。
「だいたい、針箱を買ってやったのはこのわたしだぞ? いや、別に、なにか欲しいと言うわけではないが、このわたしを差し置いて他の者に手作りのものを配るというのは、少々問題なのではと……ロバート、なにがおかしい?」
「いいえ、なにもおかしくございませんが」
「……そんな、いかにも手作りのポケットチーフを業務中に使うな」
「あげませんよ?」
「だっ、誰が、欲しいなどと! もっと上品なものを使えと言っているだけだ!」
フレッドはめちゃめちゃ拗ねていた。
「気に入っておりますし、業務に支障もございませんので」
「使用人が皆お揃いのものを身につけるとか、ま、間抜けに思えるだろう!」
「皆が心をひとつにしてこのお屋敷で働けるということで、良き事だと存じますが」
フレッドがぐぬぬと唸っていると、扉がノックされた。
「フレッド、今忙しい? 入ってもいい?」
「かまわん、入れ」
あいかわらずぶっきらぼうな主人に、ロバートはやれやれ、とため息をつく。
「それじゃあ、失礼するわね」
フレッドがいくら素気なくしてもまったく応えない、タフなメンタルを持つマリーが、ドアを開けると飛び込んできた。
「遅くなっちゃったけど、やっとできたのよ、フレッドの分が!」
「俺の分だと?」
マリーは、執務室の椅子に座るフレッドの隣に駆け寄って、ポケットチーフを差し出した。
「あのね、フレッドがたくさんドレスを買ってくれたから、擦り切れて穴が開いたドレスは処分したの。でね、いい生地だったから、まだ使えそうなところを切り取って小物を縫ったのよ」
「ふむ、そんなことをしていたのか」
惚けてみせるフレッドのことがおかしくてたまらなかったが、ロバートはこらえた。
「それでね、フレッドにはポケットチーフを縫ったんだけどね。フレッドの名前を入れていたから、一番最後になっちゃって……ほら、ここのところがそうなの。刺繍の中に『フレッド』っていう隠し文字があるのよ」
マリーが見せた刺繍は、様々な色の絹糸を使って美しく刺されている上に、見事な花のデザインで名前が浮き上がる手の込んだものだったので、フレッドもロバートも感心した。
「これは……なかなか素晴らしい刺繍ですね。奥方さまは大変な腕をお持ちでございます」
ロバートに褒められたマリーは、嬉しそうに礼を言った。
「図案は、わたしが考えたオリジナルなのよ。フレッド、使ってもらえるかしら?」
「……お前がどうしてもと言うのなら」
「どうしても! じゃあ、はい、どうぞ」
マリーが彼の胸ポケットに形を整えたポケットチーフを刺した。
「とてもよく似合うわ! それじゃあ、お邪魔してごめんなさいね」
ひらひらと手を振り、マリーはあっという間に部屋を出て行った。
「ようございましたね、旦那さま。それはなかなか縫えるものではございません」
「……まあ、な」
「奥方さまは、旦那さまのポケットチーフには、特別に力をお入れになっていて、お渡しするのが最後になったのですね」
「……ふん」
なんでもなさそうに、フレッドは鼻を鳴らした。
しかし、彼の胸を飾るのは、それから何年もの間、このポケットチーフであった。
FIN.