窓の明かりを見上げて
午後の「世界宗教学」授業が終わり、わたしはなんだか吹っ切れた気持ちで寄宿舎内の小道を歩いている。吹っ切れたというか、一周回ってヤケクソというか。
(わたしが「怒らない」って言ったときのローグさん……あんなにホッとした顔しなくてもいいのに。わたしってそんなに怒りっぽく見えるかなあ。なんだかちょっとモヤモヤするよーな、しないよーな)
でも実際怒れないよな、と脱力する。だってわたしを好きだと言ってくれて、わたしだって――彼を好きだから。
わたしがすすめた騎士物語を夢中で読むローグさんを思い出し、「やれやれ」と笑みがこぼれた。
(わたしが学術院にいられるうちにいっぱい紹介して読ませてあげたいな。そうだ、よその国に行けば聖フォーリッシュでは禁書になってる本も読めるかも。大衆恋愛文学とか原初の大聖典とか)
聖団の権限により禁書扱いとなっている大聖典。他の書籍で引用箇所を拾い読みするくらいしかできないから一度は全編読んでみたかったんだ。それに空想の冒険本とか喜劇恋愛物とかも。そう考えると外国に放り出されるのも悪いことばっかりじゃないって思えてきた。聖フォーリッシュ王国で人気の身分違いや国を越えた悲恋話なんて、もうおなかいっぱいだ。
「あ、いいにおい……」
どこかからお肉を温める匂いがする。つられて、目の前に迫った上級寄宿舎を見上げた。
(明かりがついてる)
当たり前だけど、他の部屋にも最上階にあるわたしの部屋にも、煌々と明かりが灯っていた。なんて素敵なんだろう。誰かが待ってくれてるってなんてうれしいことだろう。
(そうだ、ホロウ君たちの紹介状を急いで用意しなくちゃ。それから、クラージュ殿下にもお手紙を。なんとか内密に会う時間を頂かないと)
もうお父様の返事を待っていられない。ローグさんと話す前に、まずはクラージュ殿下へ自分の気持ちを伝えておきたい。自分勝手でダメなとこばかりだけど、せめて最後くらいちゃんと決着をつけなくては。
「よしッ!」
気合を入れて、あと何回使えるか分からない部屋までの階段をゆっくり上がった。
「ただいま帰りました!」
扉を開けた途端。
「おめでとーッ!!」
パンパンパンと軽快な破裂音が響き、ホロウ君が景気よく鳴らしたクラッカーを宙に放り投げた。色とりどりの紙くずにまみれ、わたしは目をまん丸くするしかない。
「!?なになにどうしたの!!??」
「えへへ、ビックリした?」
熟れたリンゴみたいに頬を赤くしたホロウ君。とろけるような満面の笑みだ。「さあ入って入って!パーティーをはじめよー!」となんだか調子っぱずれな声で叫んでいる。いつもとは正反対に、アバリシアさんの方がちょっと困ったような雰囲気で笑っていた。
「おかえり、ライラ。そいつな酔っぱらってンだよ。さっきからうるせェし、めんどくせェの」
ホロウ君が「なんだよう!」と食って掛かった。
「アバリシアのくせにナマイキ!ボクうるさくないし、めんどくさくないよ!こんなに素晴らしい日なのに、みんなちーッとも分かってない!ね、ライラ!ライラは分かるもんね!」
う、うん、わたしも分かんないぞ。
「ボアも、フェデルトも、グラティアも、今日くらい一緒にパーッとやればいーのにさー」
アバリシアさんが後ろで「ゲッ」とかなんとか言うのを聞きながら、わたしは頭をひねる。ボア……ボアさんのことだよね?フェデルトって先生のこと?グラティアってだれ?
「えっと、ホロウ君とりあえず落ち着いて。ボアさんといつのまにそんなに仲良くなったの?」
ホロウ君はぷくっと頬を膨らませた。かわいい。でも本人は気分を害しているみたいだ。
「あんなのと仲良くなんてないよ!朝話したじゃん!ボアしょ……えっとー、ボアさんとアバリシアはフーフだよ!だからボクもしょーがなく、ちょっとしゃべってるだけ!」
「フーフ……?」
アバリシアさんを振り返れば、彼女はワインをラッパ飲みしながら明後日の方角を見ている。フーフって……え、え?え!??ふうふ、夫婦ってことッ!!???
「えええええッ!!?でもでもそんなこと一言も!」
「わーいシャンパンシャンパン札束のプール」
「ホロウ君しっかり!変な幻覚見てるよ!!??」
完全に呂律の回っていないホロウ君は、ポヤポヤと幸せそうに寝そべっている。お料理の並んだテーブルの上に。
「あのねーアバリシアがねー殴り合いでお金儲けする地下闘技場にいたとき、助太刀に入ったボアさんを気に入ってねー、王子サマに頼んで勝手に結婚したの!書類上で勝手に!そんで撤回できないように教会も役所も爆破したの!よくある話だよね!」
「ないよッ!!そんな話きいたことないよッ!!??」
「なつかしいなー闘技場……すっごい儲かったのに王子とボアに潰されちゃって。うーん思い出したらムカついてきたぞ!そもそもルクス・フェデルトを信用したからああなったんだよね!あんな詐欺師が、統一教会の元大神官だなんて世も末だ!軍団で会ったが100年目!絶対ゆるさないぞ!ぜーったいッ!」
なんだかすごい話をしてる気がする。
アバリシアさんは「あーあ、アタシ知ーらね」とか言いながらテーブルから避難させた料理を食べはじめた。
「ライラ、ほっといて食おうぜ。そいつもな、カワイコぶってごまかしてっけど、中身はまあまあ悪党だから。ニコチン中毒野郎に暗殺されなかったのがフシギなくらいだから」
「わあーたのしーい!!天井がグルグルしてメリーゴーランドだ!!」
混沌。
今のわたしの部屋ほど、混沌とした場所はないんじゃないだろうか。
窓際で立ったまま鍋ごとシチューを食べる侍女とテーブルの上で大笑いする執事。いろんなツッコミが間に合わず、わたしは白目で宇宙のなりたちについて思いを馳せる。
「オーイだいじょぶかライラ!こんなんがもうすぐ当たり前になっから今のうちに慣れとけよ!ほれ、お前もいい加減にして水飲んどけ!ったくもーペラペラしゃべりやがってよォ」
「やだやだ!まだメリーゴーランドのる!別にいいんだもん!しゃべっていいんだもん!だってライラはボクらの仲間だもん!」
ホロウ君はテーブルから起き上がり、からっぽのグラスを元気よく掲げた。
「ライラお嬢様は侯爵令嬢で!未来の王太子妃様で!ボクらの仲間!最後の仲間ッ!!!」




