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『嫉妬』の庭師は休憩中

授業のはじまる鐘が聞こえ、本から顔をあげた。


「……もうクレデリア様たち、行っちゃったかな」


四阿(あずまや)から身を乗り出して空を見れば、うっすらと雲が広がり始めている。ホロウ君の天気予報は当たりそうだ。すこし風も出てきたが、おなかに腹巻を2枚も巻いたわたしに死角はない。


(もうちょっとだけ時間をつぶしたら図書館に行こう)


手元のページに目を落とす。バベルニア帝国旧国旗が、かすれた写し絵のなかではためいている。


「あのハンカチって、やっぱり……『憤怒』の怪物がモデルなのかな」


お母様のシュミというわけでもなさそうだし。飛躍した考えかもしれないが、ひょっとしたらお母様の実家は『憤怒』の怪物と縁があったのかもしれない。


(お父様に手紙……いや、これ以上の面倒はさすがに怒られそう。バベルニア出身だし、いっそボアさんに聞いてみようか。世間話できるような間柄でもないけど……)


吐息がもれた。


「…………お母様がいればなあ」


お母様が生きていたら、今も元気にいてくれたら、こんなことすぐ聞けるのに。なやみごともうれしいこともぜんぶ話せるのに。


わたしはギュッと眉根を寄せた。

丸まった背中をのばすように大きく息を吸い、本を閉じる。


もうやめよう。そこまでして調べることでもない。ちょっと気になっただけだ。ひょっとしたら記憶違いで赤い狐だったかもしれないし、あのハンカチだって知らない子に貸してあげて返ってこなかったんだから。


――結局自分とは関係ないことに逃げてるだけ。


フェデルト先生の言葉を思い出し、鉛の玉でも呑んだように胸のあたりが重くなる。


大きな式典。


「……もう来週か……」


ふわりと、鼻先に甘い草の匂い。


「なにが来週?」


声は出なかったけど、地味にビックリした。


「わ、お、おはようございます」


いつの間に現れたのか、向かい側のベンチに今にも滑り落ちそうなポーズで庭師さん(愛称ジャンキー・ガーデナーさん)が腰掛けていた。あいかわらずのボサボサ頭に、不健康そうな顔色。猫のようなペリドットの瞳が、眠そうに半分まぶたに隠れている。


「おはよ」


彼がしゃべると、くわえたまんまの火のついていない煙草がピコピコ動く。


「元気?」


「え、わたしですか?げ、元気です」


「そっか、オレは元気ない。朝めし食った?」


「食べました」


「オレは食べてない」


「えぇ……」


なんで聞いてきたんだろう……と思いながら、なにかないかとポケットを探る。そうだ、いい物があったんだ。


「あの、頂きものなんですがお菓子食べます?」


眠そうな目が、ちょっと明るくなった。「マジで?やった」


キャラメルの箱を見せると、いそいそ寄ってくる庭師さん。野良猫を餌付けしている気分だ。


「あ、それってでっかい護衛の旦那がくれたろ。あの人、自分より小さい生き物にはお菓子くれるんだ。オレは20歳越えてから、お菓子もらうの辞退してる」


「そ、そんな基準だったんですね」


なんと大雑把な。それだと人類の7割くらいにはお菓子をあげないといけないんじゃないだろうか。破産しないか心配だ。


キャラメルをポイと口に放り込み、庭師さんはちょっとだけわたしをのぞきこんだ。「なんか疲れてる?」


「それとも、なんか――イラッとくることあった?」


「いえ、そんなことは……」と否定しかけたが、思い当たる節がめちゃくちゃある。


「まあ、朝からいろいろありまして……身分が上の人に絡まれたり、見ちゃいけない感じのケンカを見かけたり、フェデルト先生はなんか変だし」


「アイツはいつも変だよ」


はたと思い出した。今まで聞くタイミングがなかったけれど。


「そういえば、庭師さんはお知り合いなんですよね。フェデルト先生とも、護衛のボアさんとも」


「ワタシワカラナイ」


とってつけたようなカタコト。


「い、今しらばっくれるんですか?大分手遅れだと思いますけど……ローグさんともお知り合いでしょ?」


「うーん」と顔をそらし、「えーと」と頭をかき、「まあいーか」と庭師さんは肩を竦めた。


「うん、知り合い。仲間。ただそんだけ」


「仲間って……ローグさんは王子様、ですよね?」


「そうだよ、オレは将軍」


「はあ」


「そんで暗殺者」


「……ふーん」


「でも暗殺する相手と仲良くなっちゃったし、侵略戦争も大体終わってヒマだから庭師になった」


「…………」


この人と話していると『カーテンに目つぶし』ということわざが頭をよぎる。あとは『プディングに縫い針』とか『蛙にお祈り』とか。


「……えっと、キャラメルもうひとついかがですか?」


「気が利くじゃん。オレが将軍に戻ったら、アンタを国の王妃にとりたてよう」


「あはは、ありがとうございます。でも王妃は……もう十分かなあ」


「成人の式典がユウウツ?」


たぶん最初から分かっていたんだろう。庭師さんの声は、ぶっきらぼうだけど優しい。「なんか心配事?うまいもん食い過ぎてドレスのサイズが大きくなったとか?」


「いえ、ただ」


ため息といっしょに、ひどい本音がこぼれる。


「出たくないなあって」




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