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バベルニア帝国の怪物たち2

「あっはっは!いやあ笑ってすまない!でも想像するとおかしくて!」


膝蹴りのくだりは、フェデルト先生のお気に召したようだ。

庭を横切る回廊を歩きながらずーっと笑っている。


「ああ面白かった。今日はいい日だ。朝から愉快なことばかりある」


「はは……た、楽しんで頂けてよかったです」


うーん、ホントに変わった先生だ。暴力事件を「愉快なこと」だって。


「それにしても、フォールス・オブスティナに限ったことじゃないが聖フォーリッシュ王国は余所者に厳しい国だ。人間も文化も自国至上主義――おっと失敬、こんな話は次期王太子妃の君に聞かせるべきじゃなかったね」


先生のいうとおり、聖フォーリッシュ王国の人たちは聖フォーリッシュ王国が世界で1番優れていると思っている。海もあれば山もあり資源も豊富で、温暖なうえ災害も少ない。ハイドロの森や大峡谷に囲まれた複雑な地形のおかげで戦火に巻き込まれた歴史も近年なく、おまけに精霊や聖女までいる。


こんなに優良条件がそろっていれば『選ばれし国』と思うのも無理はない。ただ、そのせいで外国に対してやけに上から目線なのはいただけない。


(もっと他の国と仲良くするように、わたしが見本として頑張らないといけなかったんだろうなあ。リリベルやクレデリア様くらい影響力があればできたんだろうけど……)


「そういえばライラ嬢、朝の授業はどこの教室かな?」


気を遣ってか、先生が話題を変えてくれた。


「いえ、授業はなくて……借りていた本を図書館に返そうと思って早く来ました」


胸に抱いていた本を見せると、フェデルト先生は「感心だねえ」とのぞきこむ。


「『初期中央世界の構造と背景』『大陸宗教の不可視な遍歴』……ひょっとしてバベルニア帝国について調べているのかね?世界歴史学の課題?」


おおすごい。見ただけで主題を当てられてしまった(変な先生って思ってごめんなさい)。


「先生、お詳しいんですね。授業とは関係なく個人的に調べてます。あの、母がバベルニア出身なのでちょっと気になって」


ふんふんと頷いた先生は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「バベルニアは秘密の多い国だろう?今も昔も外でも中でも戦争ばかりして、古い本にも記述があまりない。100年前の『大火災』で前王都も焼け落ちてしまったし、貴重な資料の多くは行方知れずだ」


バベルニア帝国は、戦争と血の歴史を繰り返している強大な軍事大国だ。かつて統治していた西方諸国をもう一度配下におくべく西進政策を諦めていないと聞く。


過激な国だけど東西戦争のときに結ばれた協商があるから、聖フォーリッシュ王国にはそこそこ友好的なはずだ。たとえバベルニア王家からなんの親書も送られず、3人いる王位継承者から外遊ひとつなくて――ちっとも相手にされてないような関係でも。


「ライラ嬢、興味があるなら――」


歌うように柔らかな先生の声。

ふいに雲が横切って、陽射しがさえぎられた。


「――『バベルニアの怪物』は、すでにご存知かな?」


バベルニア帝国の旧国旗に描かれた、いにしえの怪物たち。


複眼の黒烏『強欲』、三又(みつまた)頭の白鰐『暴食』、(さそり)の尾をもつ山羊『淫欲』、有角の大熊『怠惰』、孔雀の尾羽根をそなえた金獅子『傲慢』、そして燃える赤狼『憤怒』。


怪物たちは、世界創造のときどこからか現れた。


原初の大聖典(カノン)によれば、彼らはそれぞれの名にまつわる欲望を人間たちに吹き込んだあと、バベルニアの地下深くで眠りについたといわれている。血の匂いや争いの気配がすると目が覚めて、地上に出てくるとも。


「本で読みました。バベルニアだけは怪物たちが眠っているから、神々が豊かな自然や資源を与えてくれなくて、今みたいな厳しい環境になったって」


――そのかわりバベルニアの血脈に連なる人間には、怪物の寵愛を受け、その力を使える者が現れる。


「興味深い伝説ですよね」


「伝説だろうか」


え、と思わず声がもれた。


ほんの少し前を行く先生が、急に遠く感じられた。

弾んだ声音だけが、薄暗い回廊に響く。


「伝説というと、まるですでに『終わったもの』のようだ。ひょっとしたら、これから――今この瞬間から始まるかもしれない。怪物の、新しい物語が」


わたしはその場に立ち止まった。


「先生」


雲が切れ、太陽がふたたび現れた。

円柱の並んだ回廊を光が包む。


「うん、どうかしたかい?」


振り返ったフェデルト先生は、いつもどおりの先生だった。紳士的で機知に富み、人当たりがよくてちょっぴり――ミステリアスな先生。


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