『強欲』な侍女は上機嫌
「腹巻だ。毛糸の」
なに、急に。
「は、はい、ちゃんと着てきました」
「靴下も分厚いものか?」
「はあ」
「よし」と、ボアさんは満足げだ。
「なら安心だな。今日は夕方から雨が降って気温が下がる。腹が冷えるだろうから、授業中少しでもトイレに行きたくなったら恥ずかしがらずに手を挙げて先生を」「待て待てオイ待てッ!!!」
ボアさんはきょとんとフォールスを見下ろす。
「どうかしましたか」
「ど、どうかって」
「もう話は終わったと思ったんですが」
まるで興味のなさそうなボアさんに、フォールスの顔が紅潮する。
「なんだ、その態度はッ!俺は忠告に来てやったんだぞ!外国人がデカい顔で我が国の学び舎をうろついていると痛い目にあうとな!」「顔がでかくてすみません。身体がでかいもので」「言葉のあやだ!と、とにかく舐めた真似すれば厳罰も辞さな」「いや、大丈夫です」「食い気味で拒否!?お前が大丈夫でもこっちが大丈夫じゃな」「はいはいすいませんでしたホント」「なにコイツめちゃくちゃめんどくさそうな対応してくるッ!!!」
「ライラ――!!ボア――!!」
ボアさんが小さくこぼす。「ほら、みろ。さっさと通さないから面倒なのが増えた」
面倒なの――アーチの向こうに、満面の笑みを浮かべたアバリシアさんがいた。
侍女服のスカートがめくれるのもかまわず、砂埃を上げて駆けてくる。かと思えば、近づくにつれて表情が険しくなって、小走りだったのが全速力になったかと思えば、到着する直前で地面を蹴り、ものすごい勢いで膝が華麗にフォールスの頬へ――キマッた―――ッ!!キマッてしまった!アバリシアさん渾身のフル助走顔面膝蹴りッ!!!
木の葉のごとく吹っ飛ばされるフォールス。悲鳴を上げる騎士団見習いの人たち。ズザザッ!と見事な着地をみせるアバリシアさん。
「よォ、ライラ!晩メシはなに食いたい?」
「第一声がそれですかッ!!??」
フォールスを介抱する取り巻きを見もせず、アバリシアさんは意味不明なタイミングで夕ごはんの話をしだす。
「いやあ、よかったよかった!チビが大喜びしてンぞ!心配してたからよォ!今夜はゴチソウだな!今から食堂に行って酒かっぱらってこようと思ってンだよ!ライラはいつものリンゴ酒でいいよな?」
アバリシアさんはわたしの頭をわしわしと撫で回す。
彼女の言動がぶっ飛んでるのはいつものことだけど今日は特に分からない。自分ちの侍女が公爵令息に膝蹴りをかます言い訳を必死で考えているわたしには、もうなにも分からない。
「往来で騒ぎを起こすな、アバリシア」
あんなに下手に出ていたボアさんは、もうフォールスに目もくれない。アバリシアさんはニヤリと口角を上げ、ボアさんのたくましい腕に擦り寄った。
「なんだよ、可愛くねェな。せっかく絡まれてンの助けてやったのに。それよりどんな手品を使ったんだ、ボア!この一月なーんの音沙汰もなかったのに、さっきの気配は絶対――」
「あ、あ、あのときの暴力女ッ!!」
裏返った声は、地面でのびているフォールスだった。わなわなと震える指先が、アバリシアさんを指している。え、ふたりは会ったことがあるの?
「お、おまへはライラ・ウェリタスの使用人らったのか!」
フォールスが聖騎士団員の意地をみせたのか、アバリシアさんが上手く手加減したのか、それともふかふかペチコートで威力が軽減されたのか、幸い鼻血は出ていない。足元が芝生だから目立った傷もない。頬はあとですごいアザになりそうだし、顎と首を痛めているみたいだけど元気そうだ。よかった(よくない)。
アバリシアさんは、「アァ?」と地面にへたり込んだままのフォールスを睨みつけた。彼を囲む見習いたちがその視線の鋭さに身を縮こませる。フォールスはハンカチで口をおさえ、もごもごと言い募った。
「わ、わ、忘れたとは言わさんぞ!一月前に、町で……」
アバリシアさんが、ポンと手を叩く。「あ」
お、思い出したのかな。
「忘れてた。チビがな、夕方から寒くなるから腹巻もう1枚持っていけってよ。はいこれ」
「え、う、うん。ありがとう……」
「んで、ライラは肉と魚どっちがいい?」
「オイ無視するなッ!!」
「アバリシア、本当に見覚えはないのか。一応公爵令息だぞ」
見かねたボアさんが口を挟むと、狂犬メイドはちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。
「コイツなァ、下町でぶつかったとかなんとかインネン付けてきやがったからよォ、ちっと泣かしてやったンだよ。別にアタシからケンカふっかけたわけじゃねェ」
ちっと泣かした。公爵令息を。
「俺を誰だと思ってる!!聖騎士団の長、オブスティナ公爵家の」「ンなことよりボア、お役御免は目前だ。今夜こそ酒に付き合え」「いやだ8時には寝る」「ジジイかよ。ゴチャゴチャ言わずに部屋来い。なんもしねェから」「いやだ」「だから無視するなってばッ!!!!」
我慢できずフォールスが叫ぶ。
いたいけな子羊に詰め寄る狼みたいなアバリシアさんは「うるせェな、すっこんでろ」とドスをきかせて、指の骨をバキバキと鳴らした。
「それとも、また泣かされてェのか。なら歓迎するぜ。祝砲がてら誰でもいいからしこたま殴りてェと思ってたところだ。抜けた歯でネックレス作ってやるよォ、公爵サマ」
この人ね、いい人なんだよ。このセリフからは伝わらないだろうけど。
わたし、殿下の婚約者じゃなくなったらアバリシアさんと島流しの刑かもな。ホロウ君、無人島でも付いてきてくれるかな。
わたしが白目で現実逃避していると、背後の正面口がざわついた。ことの成り行きを見守っていた学生たち、なかでも女学生たちが黄色い声を上げている。
「はい、そこまで」
語尾にハートマークが付きそうな甘い声音。長い髪をサラリとかき上げて現れたのは、アメシストの瞳が怪しい白皙の美貌。
「朝から賑やかだな、若人諸君」
もうひとりの元郵便配達員、ルクス・フェデルト先生だった。




