『怠惰』な護衛は大真面目
朝ごはんをたっぷり食べて、身支度を整え、上級寄宿舎のラウンジに足を踏み入れる。窓から入る風はほんのすこし雨の香りがするけどさわやかだ。
「今日もいいおてん、き……」
日光を、巨大な影が覆い隠した。
目の前には、氷山のごとき威圧感。
逆光のせいで余計こわい、大きな大きな護衛さんが立っていた。
「おぉ、おっふ、おはようございます……」
学術院から新しく派遣された、わたし付の護衛さんは仁王立ちのまま「うむ」と頷いた。
大嵐と正面衝突しても平気そうな堂々たる体格。背骨に響く重低音の声。そして、彫りが深すぎて日光をあびると目元が真っ黒になるタイプのバチバチに厳つい顔立ち。「どこかの軍隊を率いてる将軍です」と紹介されたら十中八九信じてしまいそうなくらい貫禄と存在感がある偉丈夫。
なにを隠そう、護衛になってくれたのは何度かお世話になったことのある郵便配達の人――愛称ムキムキデリバリーさんだったのだ。
いや、分かってる。わたしもさすがに変だと思う。
でも、突然「転職しました」と現れた彼は、護衛の推薦状と身分証明書をきちんと持参しており、ファーナー学院長の許可証も持っていた。正式に学術院からわたしに派遣された護衛さんなのだ(ちなみに、顔合わせのときアバリシアさんとホロウ君に紹介したら、何故かふたりとも爆笑していた)。
もともと伯爵位以上の令息令嬢なら、護衛のひとりやふたりいてもおかしくない。
というわけでムキムキデリバリーさん改めシャリテ・ボアダムさんが、院内を移動するときや学外に出るときは一緒にいてくれることになった。なったんだけど。
(ボアさんと一緒にいると、だれも目を合わせてくれなくなるんだよな……)
今日も、道行く人はみんなはじっこに固まりオジギソウのようにうなだれて、わたしたちが通り過ぎるのを待っている(ちなみにボアさんがいるときは馬がこわがり、馬車も通行しなくなる)。
(なんか最強の武器を搭載した要塞と歩いてる気分。前みたいにクスクス笑われたり、足をひっかけられるよりは断然いいんだけど、ちょっと複雑……)
「ライラ・ウェリタス、ぼんやりするな。水たまりがある」
「ふえ?あ、はい」
確かにあるけど……すっごく浅い小さい水たまりあるけど……。
「あぶないから、左へ避けろ」
わたしは言われるままに、水たまり(というかちょっと濡れてるだけの路面)を避けた。
…………たぶん彼の中で、わたしは『めちゃくちゃ弱い生き物』として認識されている。
段差にぶつかったら即死すると思われているのか歩くだけで細かい指示が入り、なにかあれば(例えば蝶が飛んでくるとか)小麦袋のように容赦なく抱え上げられ、咳払いをしようものなら5秒で医務棟へ連行されてしまう。
「ライラ・ウェリタス、平常時より足取りが重い。空腹なのか」
隣から鋭い目で見下ろしてくるボアさん。小動物なら気絶しそうなこの目つき、おまけにフルネーム呼び。これが尋問なら、わたしは1分もたないだろう。
「ひえ……ぜ、ぜんぜん大丈夫ですッ!おなかいっぱいです!」
と、答えたのに問答無用でキャラメルを渡される。
「喉に詰まらせないよう、よく噛んで食え。食ったあとは忘れず歯を磨け。差し歯はないな?」
「さ、差し歯はありません……ありがとうございます」
(い、言えない……昨日ももらったからいらないなんて言えない……一昨日もらったチョコレートも、その前にもらったキャンディもまだ食べ終わってないなんて言えない……なんで毎日お菓子くれるんだろう。そんなにおなかすいてそうに見えるのかな)
もう2週間くらいは行動を共にしているけれど全然慣れない。なにを考えてるのかさっぱり分からない。でもわたしを守ってくれる意思はビンビンに感じるし、いい人には間違いないので、わたしはそっとキャラメルをポケットに入れた。
おそろしく安心安全な護衛時間を耐えれば、ようやく教室棟だ。
玉石のアーチを抜けると絨毯のような芝生が左右に広がり、正面口に人だかりが見えた。その中心には、背の高い青年が立っている。日に焼けた肌に砂色のブロンドが凛々しく、引き締まった体躯が若い雄鹿のような――わたしの苦手な人だ。
(どうしよう……フォールスさんだ)
フォールス・オブスティナと聖騎士団見習いの学生たちが、こちらに気付いて歩いてくるところだった。なんだかよくない感じだ。わたしは、思わずボアさんを隠すように(ぜんぜん隠れてない)移動した。
「フン、おまえが噂の護衛か」
フォールスはわたしたちの真ん前に来ると、挨拶もせずに言い放った。
彼は、オブスティナ公爵家の跡取りで、まだ学生なのに優秀な聖騎士団員だ。将来騎士団に入りたい学生や見習いを集めて学術院の自警団みたいなことをしており、学生同士の揉め事をいさめることもあれば、こんなふうに見慣れない相手に突っかかってくることもある。
「あ、あの、なにかご用ですか……」
フォールスは「なんだ」とわざとらしく声を張り上げた。
「そんなところにいたのか、ライラ嬢。相変わらずだな。視界に入らなかった」
殿下のように「いやなものを見たな」とウンザリ顔になる人、ノイマンみたいに慇懃無礼な人、ジェネラル・ヴェルデのように完全に無視してくる人。フォールスは分かりやすい。わたしのことが気に入らなくて、取るに足らない存在だとはっきり態度で示してくる。
「大した用事じゃない。そこのデカいのが新しく入ったと聞いて見に来ただけだ。学術院の格を保つためにも、身元の怪しい者なんか引き込まれたんじゃたまらないからな」
「お、お言葉ですが、彼は正式な護衛です。学術院長から許可も頂いています」
フォールスはわたしを無視し、ボアさんに顎をしゃくった。
「おまえ、名前は」
ボアさんが名乗ってもいいか確認するようにこちらを見る。わたしは大きく頷いた。後ろ暗いところなんてなにもない。
ボアさんが一歩踏み出すと、その圧力に数人の騎士見習いたちは後ずさる。さすがにフォールスは動じない。ボアさんは大きな身体を縮め、胸に手をあて腰を折った。
「シャリテ・ボアダムと申します」
最敬礼をとられ、フォールスはますます居丈高な口調になる。
「シャリテ?女みたいな名だな。生まれはどこだ」
「バベルニアの北でございます」
「ハッ、やはりな。その粗野な見てくれは、聖フォーリッシュの人間ではないと思った。よりにもよってバベルニアか。ということは属性は」
「ございません。精霊の加護がないので」
「なるほど」と、フォールスが仲間に目配せする。何人かが鼻で笑った。
(なんなの)
「どおりでその歳で護衛なんかしているわけだ。惜しいな。鍛えたところで魔法が使えないなら木偶の坊。安全な学術院で『名ばかり令嬢』のお守りくらいしかできないか」
(なんでこんなこと言われなくちゃいけないの)
「役立たず同士でつるむのは結構だが」と、フォールスはちらりとわたしを見て笑った。
「せいぜい言動には注意しろ。いいな、木偶の坊」
油に火が付いたように、カッと頬が熱くなった。無意識に大きく息を吸い、抗議しようと口を開いたところで――
「ライラ・ウェリタス」
さえぎる低い声。
ボアさんは、自分から呼びかけたのに、なぜか驚いたような表情でわたしを見ていた。薄青い目がパチパチと瞬きしている。その双眸に悲嘆がないのに気づき、わたしは気持ちが落ち着いてきた。
(よかった。ボアさんは、フォールスの言うことぜんぜん気にしてないんだ)
「えと、な、なんですか?」
「………………………………」
ボアさんはたっぷり数十秒は黙り込んだあと「うむ」と頷いた。
「今日はきちんと腹巻を付けてきたか?」
「へ?」




