『暴食』な少年執事の憂鬱
「初めて会ったときのこと覚えてる?」と、ホロウ君は言った。
「もう一月も前なんだね。もっと昔のことみたいだけど」
灰色の目が懐かしそうに細まる。
「引っ越しのときさ、ライラの荷物をトランクに詰め込んで運ぼうとしたよね。最初は手で持っていくつもりだったけど、おっきな花輪があったから院内馬車を呼ぶことにして外で馬車を待ったよね。ねえ、そのときなんて言ったか覚えてる?ライラね、ボクに言ったんだよ。『半ズボン寒くない?だいじょうぶ?』って」
「!?そ、そんなこと聞いたっけ!!??」
「ボクすっごくおかしかったんだよ!貴族のお嬢様なのに田舎のおばあちゃんみたい、って!なんかもっと他に言うことあるだろって思ってさ!」
ホロウ君はガマンできず笑い出した。お人形みたいにキレイな顔だけど、大きな口をあけて笑うと年相応のふつうの男の子だ。
「ご、ごめんね、変なこと言って!!」
あああ恥ずかしい! あのときは日も落ちて、ちょっと肌寒かった。だからついつい半ズボンが気になってしまったのだ。別にセクハラとかではないからッ!ホロウ君の膝小僧ばっかり見ているわけじゃないからね!
「あやまらないでよ、気にかけてもらってうれしかったよ!着てるもの寒くない?なんて、そんなフツーの子ども相手みたいなこと初めて言われたから面白かっただけ」
ホロウ君は涙がにじむほど笑ったあと、レモンを絞ったお水をゴクゴク飲んだ。わたしは、ホロウ君が「ライラお嬢様」と呼んでいないことに気付いたけど、なんにも言わなかった。
「ねえ、今度はボクが聞いてもいい?ずーっと聞きたかったんだけど、ライラはどうしてボクらを使用人にしてくれたの?」
ホロウ君は、ワクワクした顔で続ける。
「だっていきなり部屋に入ってて、アバリシアは見るからに外国人で侍女らしくないし、ボクなんかただの子どもだよ。『あなたたちがワタクシの使用人なわけない!』って追い出されたっておかしくないよ」
「え」
そんなの考えたこともなかった。
「うーん、ふたりともいい人そうだったし……」
「いい人そう!?うっそだあ」
「わたしが起きるまで待っててくれたでしょう、あんな暖炉もなんにもない部屋で。お引越しだって、わたしがちょっとでも居心地よくなれるようにすぐ手配してくれたしね。ホロウ君くらいだよ、『上級寄宿舎を使っていい』とか『未来の王太子妃』って嫌味でなく言ってくれたの。ほかにはだーれも言ってくれなかったよ」
自分で言ってて苦笑いがこぼれる。いつもなら「ヘラヘラしないの!もっと怒らなくちゃ!」ってプリプリするのに、今日のホロウ君は静かにわたしを見ていた。
「ボクらのこと、そんなに信用してくれてるなら」と、ひたむきな眼差しが注がれる。
「もし……ボクが『よその国に一緒に行こう』って言ったら付いてきてくれる?」
ドキッとした。
(ホロウ君、気付いてるのかな。わたしが――婚約解消したがってること)
「……ホロウ君は付いてきてくれる?」
「へ?」
目を見開くホロウ君に、重ねて問いかける。
「わたしがどこかへ行きたいって言ったら……一緒に来てくれる?」
侯爵に過ぎないウェリタス家からの婚約解消。しかも理由は、わたし――女性からの裏切り。
光の精霊に愛された聖女への崇拝、四大精霊に守護される王族への信仰。それらの絶大な聖フォーリッシュ王国で『清らかな乙女が王子以外の男を選択する』なんて、天に矢を射るような背信行為だ。
(だから、わたしは……この国にいられなくなるだろう)
でもウェリタス家は安泰だ。次期聖女のリリベルがいるし、彼女はクラージュ殿下と良好な関係を築いている。お義母様のご実家ヴェルデ家の後ろ盾だって心強い――たとえ、わたしがいなくなっても問題はない。
それでいい。だれもわたしをいらなかった。
家族、親類のお茶会、憧れの婚約者、学術院、そう広くはない世界だったけれどわたしにとってはこれが全部だった。そのなかで必要とされたことはなかった。
しかも、最近話すようになった商家のご令嬢たちによれば、町の人たちはそもそもリリベルを次期王太子妃だと思っている。「ウェリタス侯爵家の聖女が王子様と結婚するのだろう」というのが、ずっと前から世間の認識だったのだ。感謝祭での盛大な寄付も、華々しい教区訪問も、総会での大がかりな慈善活動も、ぜんぶリリベルの名前だ。わたしはなんの役にも立たず、分け与えられる物も持っていない。当然だれも必要としていない。というか、知っている人もいないかもしれない。
(必要だと言ってくれたのは、彼だけだった)
物思いに沈んで、ホロウ君の返事がないのにしばらく気付かなかった。顔を上げると、ホロウ君のキラキラおめめが怪しむようなじっとりおめめになっている。
「……あのさあ、行きたい国ってまさか……ルーザー?」
「え!?ちがうちがう!そういうことじゃないよ!!ローグさんの国に行きたいってわけじゃ」「ふーんそっかーへーふーん。ま、いいや。付いてってあげてもいいよ。気が向いたらね」「な、なんか急によそよそしいよホロウ君!」「どーせボクよりハッピーお花畑王子の方がいいもんねーカタツムリにのってアリ塚探検に行く方が楽しいもんねー」
大きなカタツムリにのって、ランタンをぶら下げて洞窟みたいな場所を探検する光景が思い浮かんだ。それは正直ちょっと楽しそう。
「あ!もうこんな時間!早くごはん食べちゃおう!おっかない護衛のおぢさんがお待ちかねだよ!」
ホロウ君の表情がパッと明るくなる。わたしはあわてて残りの朝食をかきこんだ。
(外国に行くなんて、ホロウ君のいつもの冗談だったのかな。……もしもお別れになったら、わたしの知ってる一番いいおうちに紹介状を書くからね)
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元気よく主人の見送りを終えると、ひとり残された『暴食』は力なく椅子に座った。知らず溜息がもれる。
「……やっぱり、ライラは怪物じゃないのかな」
大きな窓に目をやれば、学術院校内のはるか向こうに王宮が見えた。無数にある尖塔には聖フォーリッシュ王国の旗が風にたなびいている。あのバカバカしい旗が全部の塔に上がりきるまで、あと5日。その朝が成人式だ。
まったく、と心中で吐き捨てる。
――あのハッピー王子はなにやってんだろ。毎日ライラと遊んでるだけで、いまだ『憤怒』の片鱗も見つけられない。あんなにライラは王子のことを四六時中考えてるのに……向こうはちゃんと分かってんのかな。
『憤怒』が必要だったから『好き』だとでまかせを言ったんじゃないだろうか。怪物がいないと分かれば聖フォーリッシュ王国ごと放っておくかもしれない。『暴食』はそれが心配だった。傲慢な君主の考えはいつも突飛で規格外だ。いい意味でも、悪い意味でも。
「拉致しかないかあ……」
――『暴食』ホロウ・ピアットが『憤怒』の存在を感知するのは、この数分後。




