夢からさめないうちに
本当に夢のような夜だった。
テラスで話したあと、わたしたちはダンスをした。
ローグさんに手を引かれ、踊る輪のなかに足を踏み入れると、だれもが場を空け恭しく招き入れてくれて、自分が立派な令嬢になったように錯覚する。
ただし、ダンスの出来は散々だった。
ローグさんは自分で言った通り本当にステップをひとつも知らず、わたしは舞踏の歴史や座学は得意だけど実技はさっぱりで、リズム感も運動神経もない。そんなわけで、お互いの足を踏んづけて、何度もつまずいて、ちっともポーズが決まらない。最後には、ふたりでおなかが痛くなるまで大笑いした。周りがびっくりしてこちらを見ていたけど、ちっとも気にならなかった。
会場を回れば、何人かの令息令嬢に挨拶をしてもらえた。
もちろんほとんどの方はローグさん目当てなんだけど、歴史学で一緒になったご令嬢たちが「(歴史学のあとアリ塚に連行されたけど)ご無事だったんですね!」と声をかけてくれた。みんな大きな商家の娘さんで、わたしの着ているドレスや髪飾りをとても褒めてくれ、気をつかってわたしのこともたくさん褒めてくれた。
おしゃべりすると喉が渇いて、別室へ軽食をつまみに行く。ちょっぴりお酒も飲んでみた。
ローグさんはランチのとき同様、あんまり料理に手を付けない。口に合わないのかと心配すれば、そういうわけではないと返される。よくよく聞けば、彼いわく「あたたかくて湿っている物」を口にする習慣があまりないのだという(ますます謎が深まる。ルーザー特有の文化だろうか)。
少しなら試したいと言うので、わたしがいろいろ食べ比べ、美味しいと思ったものをオススメした。やっぱり舞踏会前に食べ過ぎたみたいで完食に苦心していると、ローグさんが半分食べてくれた。完全にお行儀が悪いけど、部屋に人が少ないのを言い訳にして、そのあとはどの料理も半分こした。
なにもかもが楽しい。鼻のお化粧が落ちてても平気。失敗も憂鬱も羞恥も礼儀も忘れて、ただ楽しい。
(まるで魔法みたい)
人に好きだと思われるのは、こんなに幸せなことなのか。
人を好きになるのは、こんなに幸せなことなのか。
クラージュ殿下のことだって憧れていた。視線があうだけで緊張し、話しかけられれば声が裏返って、リリベルや他のご令嬢と仲良さそうにしているのを見れば落ち込んだ。そうなるのは『殿下が好きだから』だと思っていたけれど、ちがうのかもしれない。いま胸を満たす、この圧倒的な幸福感とはぜんぜん別物だから。
思い出そうとしなくても眩しく浮かぶのは、ひとりだけ。
なにもかも吹っ飛んでしまうのは、ひとりだけ。
心があたたかくなるのは、たったひとりだけ。
そんな人が自分を「好きだ」と言ってくれた。
(わたしを、好き、だって)
(本当に、夢みたい)
(好きだって)
(すごい)
(なにこれ、すごい)
今なら、なんだってできそう。このドレスみたいに鮮やかな火の魔法が使えそう。誰よりも大きな声を出せそう。一番早く走れそう。なんでもできそう。なんでもやれそう。
(ローグさん、ローグさん)
わたしは心のなかで、何度も彼の名前を呼んだ。
時計の針が真夜中を指す頃、舞踏会を辞したときも。馬車に乗り込むのを、彼が支えてくれたときも。窓枠にしがみついて、小さくなる彼の姿を目に焼き付けたときも。
(ローグさん、わたしがんばります)
部屋に戻ったわたしを待っていたのは、お義母様の手紙だった。実技授業のことについて、たくさんのお叱りの言葉が並んでいたけれど、わたしはさっと目を通しただけで片付けた。
それから着替えもせずに、書き物机に向かう。まっさらな便箋を用意し、ペンを取った。
わたしはつまらないし、どんくさいし、幼稚な人間だ。人をこんなに好きになったことがなかった。だから、本当にこれが『好き』ということかも分からない。
(でも、ローグさんからもらった言葉を、堂々と受け取りたい)
(気持ちを返したい。ネックチーフと一緒に)
夜が明ける前に、手紙を書き終えることができた。じっくりと読み返しながら、恐れ多くて指先が震える。
宛名は、領地にいらっしゃるウェリタス侯爵――お父様。
内容は、クラージュ王太子殿下との婚約解消について。




