遠い日の夢
パリパリパリパリ
木の葉を踏むような音がした。
ああ夢だな、と頭の隅で思う。
まだ「いらない子」じゃない頃。
お母様と過ごした最後の秋。わたしは7歳だった。
外では庭番のおじいさんが、ほうきで落ち葉をはいている。わたしはお母様の部屋から、落ち葉が魔法のようにくるくる踊って大きな山になる様子をながめていた。
今日はお母様の調子がいいみたい。さっきからベッドのなかでハンカチやエプロンや枕カバーに刺繍をしている。お母様はとっても刺繍が上手だ。お父様と結婚する前、お金がないときはお母様の刺繍を売ったこともあるんだって。お母様はよその国のお嬢様なのに、お金がないなんてふしぎだな。
「ほらライラ、できたよ」
お母様の声で、わたしはベッドに飛んで行った。
「わあチョウチョだ!」
「あたり!じゃあ、こっちのハンカチはなんの模様でしょう?」
「お花畑!ケイトウのお花でしょう!わたしのかみみたいにマッカッカでだいすき!」
「またまたあたり!でもケイトウのお花だけかな?ほかにもなにかいない?」
「あ、ここにワンちゃんがいる!かわいい!」
「おおあたり!ごほうびに、このハンカチはライラにあげる」
お母様はわたしを膝に抱きあげて、おでこに唇を寄せた。「ああ重い」と抱っこするたびにこぼすけど、そう言うお母様はうれしそうだ。
「春になったら、ライラは8歳ね」
夢を見ているわたしは、その春をお母様が迎えられないことを知っている。
「ライラはどんな大人になるのかなあ」
「わたし分かるよ!クラージュでんかのおよめさんになって、オウタイシヒになるの。でも、でんかとなかよくできるかな。お茶会でね、すきなお花のはなしになって、わたしはケイトウがすきだって言ったら笑われちゃった。ケイトウは花じゃなくて草だっていうの」
わたしの前髪をキッチリ挟み込んだ、クラージュ殿下から贈られた髪飾りを見て、お母様は悲しそうな顔をした。「そうなの」
「わたし、いちばんはケイトウなんだけどな。わたしのかみとそっくりだから。でも、みんなみたいにバラとかダリアとか、ほかのお花をすきになったほうがいいかな」
そうだ、この頃のわたしは自分の赤い髪も瞳も好きだった。
お母様の白くて細い手が、わたしの髪をすく。
「好きなものは変える必要ないわ。ライラが好きなものを、好きなままでいていいのよ」
わたしは頭をなでられるのが気持ちよくて、目を閉じる。
「いつかライラに本当に、心の底から好きなものができたら――」
お母様はなんと言ったんだろう。お母様に優しくなでられるのが心地よくて、そのあとのおやつのアップルパイが楽しみで、わたしはついに最後まで聞きそびれてしまった。
「もうすぐ午後のお茶の時間だね。今日は具合がいいからなにか食べられそう」
「今日のおやつはリンゴのパイだって」
「すてき、半分こしようね」
――夢が変わった。
今度は冬だ。
ちらちらと舞う雪。見渡す限りの大地に突き刺さった石塔。死んだ人たちの名前。
聖フォーリッシュに雪はほとんど降らない。
ここはどこだろう。
寒いし、お父様の姿は見えないし、ここがどこだか分からない。
もう迎えに来てくれるお母様はいない。
泣きべそをかき、震えながら近くの聖堂に逃げ込んだ。隙間風は入るが外にいるよりは暖かい。もう何年も使われていないのか中はすっかり荒れ果てている。曇ったステンドグラス、凍える彫像、壁にかけられている薄汚れた大きな旗――怪物の絵が描いてあるへんな旗だ。
ふと見れば、むこうにも迷子がいる。
あの男の子は、あんなところでなにをしているんだろう。
行ってみよう。
足元で、薄い氷が割れる音がした。
パリパリパリパリ
----------
パリパリパリパリ
(あれ?ここどこ?いま何時?)
もぞもぞと身体を起こす。カーテンを閉め忘れた窓の外は春の夕暮れ。学術院の授業を終え、部屋にもどる少女たちの声が聞こえてくる。ずいぶん長く眠ってしまった。
パリパリパリパリ
(……で、この音はなに?)
振り返れば、床に寝そべって揚げ芋のお菓子を食べていた美女が「やっと起きやがったか!」と言った。「あーなんだっけ。あのクソみてェな挨拶……あ、そうだそうだ!」
わたしはニヤリと笑う彼女を無言のまま見つめた。
「ごきげんよォ!ライラ・ウェリタス!」
寝起きなのに絶叫した。
「どちらさまですかッ!?」




