いつもどおりの石頭
『赤が好きなんじゃない。君の髪の色と、瞳の色が好きなんだ』
ゴンッ!
わたしは机に頭をぶつけて、雑念をはらう。おでこを赤くしたまま、真顔で再びペンを動かす。
「このよーな事態を引き起こした原因は、すべてわたしの魔法魔術が未熟な」
『君が発色元であれば、髪の色や瞳の色は何色でも好きだ』
ゴンッ!
「まことに申し訳なく」
『つまり!私は君のことが――』
ゴゴンッ!!
「……ひいぃ……もうダメだ、もうダメだ」
机におでこをくっつけたまま、意味もなく泣き言がもれる。忘れようと思っているのに全然ダメだ。むしろ余計鮮明になってよみがえる。
東の庭園、サンドイッチが届く直前の言葉。ひょっとして、とんでもないことを言われるところだったのではないだろうか。
さっきからそのことばっかり考えてしまって、クレデリア様へのお手紙も、実技授業の報告書もちっとも進んでいない。机のまわりは丸めた紙でむちゃくちゃだ。
(いや、ない!ないない!絶対ない!相手はあのローグさんだから!『私は君のことが』……うーん『とびきり赤いと思っている』。あ、ありえる!『私は君のことが――カタツムリの子孫だと思ってる』とか、これもありそうだ!アリ塚関係も捨てがたい!ほらね、あの言葉には無限の可能性がある!)
わたしは、やれやれと額の汗をぬぐった。汗はかいてないけど気分の問題だ。
(はわー!あぶなかった!恥ずかしい勘違いするところだった!)
実際あの騒動のあと、サンドイッチをごちそうしてもらったり(ローグさんは食べなかったから、ほとんどお土産としてわたしが持って帰ることになった。しばらくお昼ごはんに困らないぞ!)、アリ塚を見たりしたけれど、彼は全くのいつもどおりだった。と思う。いや、わたしの心境は荒れ狂っていたから、正直よくわからない。とりあえず話題が『赤いもの』にいかないよう気を付けた。だから赤アリの話になったときには、話を強引に白アリの生態へもっていった。
アリやカタツムリという共通の好きなもの(わたしは……きらいではないというレベルだけど)があるにせよ初めて会って、たった2日。言葉を交わしたのは、ほんの数時間。
ローグさんに好かれるようなことなんて一切してない。好かれる要素なんて――。
(だからッ!ちがうってッ!好かれてないってッ!!こういうところがわたしはダメなんだよ!普段ひとりぼっちなもんだから、ちょっと親切にされただけですーぐ意識しちゃって!鏡を見なさいライラ!リリベルならともかく、わたしが好かれるわけ――)
「だからッ!好かれてないってッ!!」
と、机に頭をぶつけようとして、はたと気付いた。
(……いや、アリ以外で好かれる要素がひとつある。クラージュ王太子殿下の婚約者だ)
ローグさんはルーザーの王子様だから、今後のために将来の王太子妃と仲良くしておくというのは納得できる。
それに、とわたしは思い出した。あの出会い方だ。
一番最初わたしと出会ったとき、ローグさんはリリベルを「臭い女」だと言った。もちろん冗談だとは思うけど、ひょっとしたら彼は(あのハシゴで不法侵入っぽく)庭園に入ってから、リリベルの香りが感じられる範囲にしばらく隠れていたのではないだろうか。それならクラージュ殿下とリリベルの様子も、そしてわたしを交えたやりとりも見ていたはず。実際『誕生日』の会話は知っていたのだから。
そこで、ローグさんにはわたしの状況が分かったのだろう――婚約者にも愛想を尽かされ、美しい義妹には呆れられているダメな王太子妃候補だって。
すうっと冷静になってくる。
彼は親切だ。婚約者のいるわたしが困らないよう『自分が付きまとっている』というアピールのため、わざわざ教室で大騒ぎしてくれるくらい親切だ。魔法も使えず笑い者になっているのを助けてくれるくらい親切だ。お誕生日プレゼントもそう。
「名ばかり」の王太子妃候補が、彼は――気の毒で仕方がなかったんだろう。
あとから考えればちゃんとわかる。わたしのために動いてくれていることがちゃんとわかる。彼のおかげで魔法魔術の授業で初めて成果(ほとんどはローグさんの力だし、大変なことになっちゃったけど)を出せた。歴史学を受けている人たちと話せたし、『贈り物がありすぎて困る誕生日』なんて夢のような体験もできた。
そう考えれば、おのずと導き出される。
私情を挟まず考えれば、彼はこう言おうとしたのだろう。
(私は君のことが好きだ。だから、もっと未来の王太子妃として自信を持ちなさい)
信頼ある好意、好ましい政治的関係。外見を褒めるのなんて会話術で何度も習ったことだ。
さっきまでの胸の高鳴りは嘘のように静まっている。わたしはペンを取り、書き物を再開した。クレデリア様の声が頭に響く。
『婚約者を持つ女としても、聖フォーリッシュ王国の侯爵令嬢としても、我が学術院の生徒としても最低な行い』
「……わかってますぅ、そんなの」
謝罪の手紙と報告書を書き終えて寄宿舎付の侍女に託したら、もう疲れ切っていた。服も着替えずベッドに潜り込み、巻貝のごとくしっかりシーツにくるまる。
「……ちゃんと、わかってますよぅだ……」
わたしは、生まれて初めて授業をサボった。




