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『ローガン・ルーザー』入学日といくつかの奇妙な事件

蛾。


今のはおそらく聞き間違いだろう、とリリベルは思った。横にいるノイマンが金魚に挨拶でもされたような驚愕の表情で、ローガンを見つめている。


「お、お褒め、いただきありがとうございます…………」


会話の流れが真っ白になったが、リリベルはすぐに態勢を立て直した。


「あの、ええと、もしよろしければ、このあとお昼をご一緒させていただけませんか?王立学術院の食堂にはもう行かれ」


「さっき行った。食べられそうな物がなかった。カタツムリもないし」


カタツムリ。


微笑みがヒクつき、目の焦点がゆらぐのを感じる。カタツムリ。頭の中をカタツムリの童謡が流れる。ダメよ、しっかりしなさいリリベル。彼はマルス先生をハゲ呼ばわりしたような常識知らずよ。おまけに外国人。きっと今のはルーザージョークなんだ。きっとそう。


「で、では、午後のお茶の時間にお話をうかがいたいですわ!ローガン王子殿下のお好きな食べ物をご用意致します!ぜひルーザーや諸外国のことをいろいろ」


ローガンは大きな声で笑った。


「外国のお話ね!それを学ぶために大層な王立学術院があるんだろう!なぜ私が初めて会った君に大切な私の時間を割いて、益体もない外国のお話とやらをしなくちゃいけないんだ!フォーリッシュの人間は面白いことを言うんだな!」


ローガンは、輝くような笑顔だ。その人懐っこい表情と、まったく噛み合わない傲慢な拒絶の言葉。拒絶だ。蛾やカタツムリで混乱していたが、ようは拒絶されているのだ。このリリベル・ウェリタスが。


「あとさっきから嫌だったんだが」とローガンは続ける。不躾にリリベルの胸元を指差して。


「ヒモがほどけている。フォーリッシュではそういう崩した着方が流行っているのか?それとも肉が邪魔でうまく結べないのか?」


「……なッ!ちがいます!これはわざわざ――」


「わざわざ?」鋭く切り返される。


リリベルはギッと唇を噛んだ。失言だ。頬に朱が散る。


「わざわざってなんだ?わざわざ外しておいたということか?」


「ローガン王子殿下、ふざけるのはそれくらいにしてください!」


ノイマンが割って入るが、ローガンは平気な顔だ。


「気になったことは追及したくなる性質(たち)なんだ。オムレツの中身も淑女の言葉尻もな。悪気はないんだ。君もそうだろう?」


屈辱で頭がクラクラする。力まかせにリボンを直し、今度は淑女の礼でなく頭を下げて最敬礼した。


「……失礼致しました。ローガン・ルーザー王子殿下がおいでになると知って緊張し、『わざわざ』さきほどドレスを整えなおしたのです。そのときにうっかりほどけてしまったみたいです。お見苦しいものをお見せして申し訳ございません」


絶対にゆるせない。リリベル・ウェリタスに頭を下げさせるなんて……おねえさまには手を触れたり、声をかけたりしていたのに!!


頭を下げたままなせいで余計血が昇る。歯を食い縛っていないと、口汚く罵ってしまいそうだ。荒くなる呼吸を必死で抑える。


「あとな、私を連れて校内を歩き回りたいようだが、今日はやめておいた方がいいぞ」


声が近くから聞こえ、リリベルは弾かれたように顔を上げた。ローガンは悪戯が成功したような顔で、リリベルのすぐ目の前にしゃがんでいた。表情をごまかす間もなく、リリベルは憎悪に燃える瞳でローガンを睨む。


「一体……どういう意味ですの?」


「そのままの意味だ」


思わず眉をひそめる。

見つめずにいられないほど綺麗な、でもすぐに目を逸らしたくなるような恐ろしい――底の見えない金色の深淵。


「さて、私はジャムサンドイッチを食べに行かなくては!」





ずっとずっと先に判明することではあるが、『ローガン・ルーザー』が学術院に入学した日、奇妙な事件が同時多発していた。


・ジェネラル・ヴェルデ公爵令息の失踪と、全裸での発見


・聖騎士団員フォールス・オブスティナに対する()()()()()暴行事件


・聖女オーレリア王妃様の突発神経性胃炎による入院


・突然の配達物過多が原因である、郵便配達員の一斉退職


・王立学術院における夜間守衛班長の蒸発



上記以外にも新聞に掲載されないような細かい変事があったが、そんなことを現在のリリベルやノイマンが知る由もない。もちろん、渦中の人であるライラ・ウェリタスも。


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