ライラ・ウェリタスの火柱事件
気圧されたように黙り込んだマルス先生を放って、キンピカさんはわたしに笑いかけた。
「やれやれ!どうもマルマル先生の教え方じゃあ君には合わないみたいだな!もっとも教え方と呼べるほど意味のある時間ではなかっただろうが」
拒否する間もなく「よいしょー」と言いながら、キンピカさんはわたしの背後に回り込み、手に触れてきた。右手同士はわたしの肩で、左手は前に出したまま指を絡められる。ちょうどフォークダンスの一節でも再現したような恰好だ。
「ほげえ!?え?なんですか!?」
「正面だと火が出た時に、私が丸焦げになるかもしれないだろう!だから後ろから」
「そうじゃなくて、て、手を握る意味ってなんかあるんでしょうか?わ、わたし一応婚約者がいて、その」
「ああ、あの緑豆モヤシ?」
「緑豆モヤシ!!??」
「魔法が安定しないときに、同系統の外部補助を入れるのは一般的だろう。指先しか触れてないから問題ない。ほら、左手の手のひらを上にして」
(すごいちゃんとしたこと言ってるのに、緑豆モヤシのせいで頭に入ってこない!!)
もはや周りの様子を見る勇気は、わたしにはない。あとでどんな噂が飛び交うか想像もできないが、この体勢から逃れたい一心で精霊に呼びかける。
『火の精霊様』
「ライラ」とキンピカさんが遮った。
「君は精霊が分からないんだろう。だったら呼びかける必要はない。君が望めば向こうが応えるはずだ」
そんなこと初めて言われた。わたしは目を見開いて、キンピカさんを仰ぎ見る。これ以上ないくらい楽しそうにきらめいている琥珀色の瞳とぶつかった。
「やってごらん。君ならできる」
顔が近い。頭に一気に血が昇る。
わたしはぎゅうっと目を閉じて、必死で呼吸を整えた。
「大丈夫か?なんか他のこと考えてない?」
「だ、だいじょう、いや、大丈夫ではないですけど!」
キンピカさんは、わたしより頭ひとつ分以上背が高い。ちょうどわたしの耳あたりに、彼の胸元がくる。
顔も近い。身体も近い。なにもかも近い。なんだかいい匂いがする。さっきから自分の鼓動がやかましい。
わたしの手は汗ばんでいるのに、彼の手は乾いている。大きくて硬くて節くれ立っていて、ところどころに水膨れができたような跡が感じられる。指先が、さらりと動いた。
「ほら、集中」
耳元で低く囁かれ、全身から汗が噴き出す。
(あわ、あわわわダメだ!!ダメだダメだ!目をつぶったら余計ダメ!のぼせそう!!)
「し、集中できないですッ!や、やっぱり燃え移ったらあぶないので離れてくださいッ!」
バチッ!と火花が弾けた。恥ずかしさで気絶しそうなわたしは気付かない。
「集中できないか!では、逆にリラックスしてみるといい!」
いきなり脇腹をくすぐられ、わたしは悲鳴をあげて飛び上がった。
「あぶないって言ってるでしょう!!怒りますよッ!!!」
ドッパーン
と、間抜けな音がして、気が付けば目の前が真っ赤になっていた。わたしを包むように、巨大な火柱が噴き上がっている。
「ひゃああああああああ!!??」
「おお!よく燃えてるな!そうだ、ライラは焼き芋好きか?」
「そんなこと言ってる場合ですかッ!!」
「ひえええ!ライラ・ウェリタス!!?生きているのか!?この炎をコントロールしなさいぃ!!」
マルス先生が火柱の外から叫んでいるが、残念ながらその業火はちっとも言うことを聞かず、実技の授業が終わるまで燃え続けたのであった。
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「さっきのすごかったな!!」「ライラ・ウェリタスだろ?」
ライラ・ウェリタスが、火を噴いた。その事件はあっというまに広まった。
なにせとんでもない火力だった。円形教室から離れても熱風が届き、眼球が一瞬で乾くほど。天に届く火柱は激しくうねり、狼の遠吠えにも似た轟音を上げて燃え続けた。教室棟ではどんな大事故が起きたのかと大騒ぎだったのだ。
「案外すごい加護を持ってるのかもしれないぜ」「魔力もな。あんなに燃えまくったのに、ライラ嬢はなんともなさそうだったからな」「ひょっとしたらリリベル嬢よりも珍しい加護かもしれない」「おい、めったなこと言うなよ。あの金髪のサポートがよかっただけさ」
男子学生の話題は、マルス先生を「ハゲ」呼ばわりした金髪男に移っていった。
賑やかな声のあとには、日の当たらない回廊の角に少女がひとり。
「ありえない。あのおねえさまが……ありえないわ……ッ!」
リリベルは憎々しげに、薔薇色の唇をかみしめた。




