聖女、事後処理のあと仮眠を取る
その夜、地下に避難していた人々は丸まって眠っている中、カルミネだけは地上の音を聞いていた。
なにかを押す音、なにかが擦れる音。ときどき甲高い声が響いているが、あれはアンナリーザの声だろうか。
与えられた毛布を被って、なにもかも聞かなかったことにしてしまえばいいものの、残念ながらカルミネは都育ちだ。いつも商業ギルドの馬車に乗って移動し、騎士に守られた都にしか出入りしないせいで、戦場の空気というものにはいまいち慣れてはいなかった。
そんな中。
「うっ……」
賛美歌を歌っていた巫女のひとりが、パタリと倒れた。
残りの巫女たちは賛美歌を歌いながら、どうにか倒れた巫女を列の端へと運んで寝かせる。
びっくりしたカルミネは、とうとう起き上がって倒れた巫女のほうへと歩いて行った。
「あの、死んで……」
「死んではいません。ただ、魔力を消耗したために倒れただけです。彼女は病み上がりでしたが、それでも結界を張るのに人数が足りなくって無理を押して参加してくれたんです」
少し歌を止めて答えたのは、ラビアだった。彼女もまた、ずっと歌い続けているせいだろう。照明は最低限に落としている地下であっても、彼女の顔色が悪いことくらいはわかった。
アンナリーザは魔力が切れてもなお、錫杖を振り回してリビングデッドに殴りかかっていたが、本当にあれは聖女で魔力が切れてもなお元気に振る舞えるからできるだけのこと。通常は魔力が切れたら途端に気力も途切れ、そのまま倒れてしまうものらしかった。
カルミネは倒れた彼女を気の毒に思い、自分がもらった毛布を持ってくると、彼女にかけてあげた。
ラビアは意外そうな目をしたところで、カルミネは笑った。
「女の子が魔力切れが原因で死んでしまうなんて、世界の損失だからさあ」
そう言った途端、ラビアは目を吊り上げて賛美歌に戻ってしまった。
どうにも神殿育ちは潔癖が過ぎるらしかった。
カルミネはそれにやれやれと肩を竦めつつ、頭上を見た。アンナリーザは無事なんだろうか。
そしてぼんやりと思う。
どうして国は、この聖都を見捨てる決断をしたのだろうと。
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長いこと巫女たちの賛美歌を聞き、気付いたらあれだけ眠れなかったカルミネにも睡魔が押し寄せていた。そのままうつらうつらと眠っていたところで、「騎士、ひとり負傷! 既に傷口は浄化済み。誰か包帯を……!」と声が響いた。
兜を脱いだ騎士たちが、必死でひとりを運んでいた。首には生々しい血の跡に、明らかに抉れた傷口が見え、カルミネは言葉を失う。
まだ避難した信者たちは眠っているものの、すぐに巫女たちが走り出した。結界を保つためにひと晩歌い続けた巫女たちは、ラビアも含めて全員疲れ果てて眠ってしまったが、奥からはひと晩眠っていた巫女たちが飛び出してきたのだ。
彼女たちは手早く布を裂くと、騎士の首を見る。
「……問題ございません。呪いは発症しておりませんから」
「そーう、本当によかったぁ……ああ……私も徹夜しちゃったから疲れちゃった。パオリーノの婚約者にも伝えてあげてちょうだい。彼は無事だったって」
「はい!」
パオリーノと呼ばれた騎士の元に、信者のひとりが駆け寄ってくるのが見えた。
カルミネは辺りを見回す。王都では防衛戦とはいえど、勝てば勝どきをあげていたものだが、騎士たちは全員消耗して、声を上げる元気すらないように見えた。
固い地下で毛布も被らずに眠っていたせいで、若干体が冷えたカルミネは、「くしゅん」とくしゃみをしたところで、アンナリーザが隣に来た。
「あら、ご機嫌よう。元気?」
「元気……まあ、おかげさまで? アンナリーザ様は、ひと晩ずっと戦って……?」
「まあね。最初はもうちょっと休めたけど、日を追うごとに休めなくなってる。最近になってようやく犠牲者ゼロになったところだもの」
彼女の淡々とした口調に、カルミネは少しだけ困る。
「あの……やっぱりアンナリーザ様は魔力を全快になるまで休んで、一気に鎮めたほうが後々楽になるんじゃ……?」
ラビアには真っ向から否定されたことだったが、カルミネにはどうもそうは思えなかった。聖女が死んだときのほうが、国の損害はひどくなるのだ。なんといっても彼女が張っている国内の結界が切れるのだから。
どうして国が聖都を見捨てる決断をしたのかはよくわからないが、聖都のリビングデッドを全部浄化しつくしてしまえば、万々歳なのではないだろうか。
カルミネの言葉に、アンナリーザは「いやあねえ」と答える。
「それ、外から言い出す人多過ぎなのよね。そういうの、机上の空論って言うの知ってる?」
「で、ですけど……」
「まず私の魔力が全快としても、呪文詠唱だけで丸一日動けなくなる。残念ながら聖都のリビングデッドを全員浄化しきるのに、時間がかかり過ぎるの」
「なら……」
「そもそも、どうして試したことがないって思ってるの。とっくの昔に、私が呪文詠唱で全滅させようと祭壇にいたわ。でもその前に、騎士が、信者が、旅人が、皆リビングデッドに襲われたの。ひとりふたりだったら、巫女や神官でも浄化できる。でもその数が十人、二十人、それよりも更に多くなったら、もう籠城決め込んで、皆で神殿の地下に逃げ込むしかなかったの。私の呪文詠唱の盾になって、いったい何人死んだと思ってるのよ」
アンナリーザの言葉に、カルミネは絶句した。
「国からは机上の空論でなんだって言えるわ。聖女がいれば他はいらないって、私だけ聖都から連れ出して、聖都自体を封印しようとだってされたことがある。そんなことしたら、ここで働いている神官や巫女たちがリビングデッドごと封印されてしまう。でも私がここにいるんだったら、国だって手を出せない。だから国も結界を張ってお茶を濁すことにしたんだから」
「えっ……ちょっと待ってください。てっきり聖都は見捨てられたのかとばかり……だから結界を張っているのだと……」
「ええ、見捨てられている。でもね、私が中にいたら、滅ぼすことはできないから。聖女の代替わりなんて、そう簡単に見つからないから……ああ、眠たい。眠いと余計なことまでしゃべっちゃうから嫌になる……それじゃあ、私はそろそろ休むから」
アンナリーザはあくびをしながら、のろのろとその場を後にした。
カルミネは絶句して、今にも折れそうな彼女の背中を見送った。どうも聖都の噂は、王都で聞いたものとは大分違うようだ。
吟遊詩人は、実際にあった出来事を面白愉快に語る者だ。それが酒の肴になり、飲み屋から客引き代をいただき、それで生活が成り立っている。王都にいたら、貴族令嬢の恋愛譚だったり、騎士の破滅の物語など、ゴシップばかりを愉快に語り立てればそれでいいが。
……本当にそれでいいのだろうか。
もし結界をどうにか突破して王都に辿り着けたら、聖女の美しさだけ語れば、それだけで満足に生活ができるだろう。話なんて適当に盛れば、それだけで充分酒の肴になるし、絶望の都ルーチェとかふたつ名を適当に付けて語れば、そこから命からがら帰ってきた吟遊詩人として適度に英雄扱いされるだろう。
今まで享楽的に生きてきたカルミネに、生まれて初めての欲が出てきた。
この聖都で起こったことを、徹底的に洗い出して、伝えたいと。