聖女、今日一日の祈りを捧げる
神殿の最奥。
そこには祭壇が存在している。この祭壇に聖女が祈りを捧げると同時に、国内の結界が作動するようになっている。
魔力とは、元々は気力だ。気力を呪文詠唱や魔法アイテムを使って練ることで魔力へと換算し、様々な奇跡を行うが、気力が尽きれば魔力も尽きる。
本来、アンナリーザは既に魔力切れを起こしているが、ただの気合いだけで、国内の結界を維持している。
「神よ、今日一日、我らはよく生き長らえました」
アンナリーザは手を組み、膝を突いて、祭壇に祈っていた。
リビングデッドにより、いったいどれだけの都民が亡くなったのかはわからない。リビングデッドに噛まれ、自身もまたリビングデッドと化してしまった人さえいる。
早ければ聖水を振りかければリビングデッド化は避けられたが、既に聖水は尽きてしまい、今は夜な夜な起こるリビングデッドの襲撃を撃退し、これ以上リビングデッドを増やさないという以外の方法は取れないでいる。
「どうぞ今晩も、生き長らえることができるよう、お導きください」
国内の結界に彼女の命が注ぎ込まれ、ようやくアンナリーザはひと息ついた。それと同時に、ぐらりと姿勢が崩れる。
本来ならば、気合いだけで全てを片付けることはできず、休まないといけないことも彼女はわかっていた。だが。
既に治療に追われている神官たちや巫女たちの中にも、魔力が尽きて命もギリギリまで磨り減らした者たちがいる。彼ら彼女らの命を、これ以上削る訳にはいかない。
この神殿にいるのは、なにも神官や巫女、それらの護衛騎士たちだけではない。ここには都民を避難させている以上、彼らを安心させなければならないのだから。
しばらくぐらついた姿勢で呼吸を整えていたアンナリーザは、ようやく起き上がった。少しばかり楽な姿勢でなにもしないことで、本当にわずかながら体力は回復できた。
リビングデッドの襲撃に備えなければいけない。
****
カルミネはラビアに連れられて、神殿の地下空洞を訪れた。そこを見て、ようやく聖都に人ひとりいなかったのかを理解した。
そこには着の身着のままの格好で避難したルーチェの人々や、ルーチェにまで観光に来ていたような旅の一座、更に従順な信者たちがひしめき合っていたのである。
「こんなにたくさん……」
「たくさんなもんですか。いったいどれだけ見殺しにしてきたと思っているんですか」
カルミネの感嘆の声をよそに、ラビアは悔しげに唇を噛みしめていた。カルミネはちらりとラビアを見ると「ええっと、ラビアちゃん?」と声をかける。
「そもそもおかしいと思ってたんだけどさあ。ここって聖都じゃない。そしてここには聖女のアンナリーザ様だけじゃなくって、神官や巫女もわんさかいて、聖水だってあるはずなのに。どうしてそんな場所が、リビングデッドに制圧されちゃったのさ?」
あの気丈なアンナリーザが魔力切れを起こすような事態が、まずは想像できなかった。
リビングデッドに追いかけ回された以上、この聖都ルーチェの今の支配者がリビングデッドだということくらいは、嫌というほど思い知ったが。それでも、これだけリビングデッドが増える前に対処できそうなものなのだ。
カルミネの問いに、ラビアはしばらく考え込んだ。
「……この答えは、私の手に余ります。アンナリーザ様から許可をいただいてからしか、お答えできません」
「たはぁ……やっぱそれかあ。アンナリーザ様、教えてくれるのかなあ」
「でも私、あなたのことは少しだけ見直しました。もっと酒場を盛り上げるために醜聞でも広げるようでしたら、殴ってでもあなたをルーチェから出す訳には参りませんでしたから」
「だからぁ……なんでここの聖女も巫女も皆物理に走って解決しようとすんのさぁ? 僕の頭、そんなにスカッスカに見えるのかなあ……」
「吟遊詩人にいい思いをした者なんて、聖都にはひとりもおられはしませんよ」
ラビアの物言いに、ようやくカルミネは納得した。
どうにもカルミネの軽率な行動だけで神官たちもラビアも冷たかったのではなくて、純粋に吟遊詩人が嫌いだったかららしい。いったい先に聖都を訪れたであろう吟遊詩人はなにをしたというのか。
避難してきた人々に配給を配る巫女見習いたちは、葡萄酒で干し肉と干し野菜を煮込んだスープに、パンを出してくれた。それを囓りながら、カルミネは辺りを覗った。
聖都まで巡礼にやってきたであろう信者たちは、皆手を組んで祈りを捧げてからいただいているようだ。ルーチェに住まう人々も似たり寄ったりだが、祈りは大分簡略化されている。生活に信仰が溶け込んでいる結果であろう。一方旅の一座はもらったものをさっさと食べながら、頭上をしきりに見上げているのが気になった。
「どうかしたのかい?」
カルミネが尋ねると「ああ……新入りさん」と一座をまとめているらしい男性が答えた。
「今夜も揺れそうだから、さっさと食べてしまったほうがいいよ」
「揺れるって……」
「……夜になったら、リビングデッドが強くなるから、今から騎士たちが戦うんだよ。昼間の内に狩れたらいいんだけれど、もう聖水も神官さんたちの魔力も底を尽きているから、見つけ出せたとしても、完全に浄化しきることができないんだよ」
「そんな……」
アンナリーザもラビアも、似たようなことを言っていた。
そういえば、ラビアはどこに行ったのだろうと、きょろきょろと視線をさまよわせていたら、配給を終えた巫女見習いたちと一緒に、賛美歌を歌いはじめたのだ。
「我らは今日も一日、よく生き長らえました。神よどうか、今宵もひと晩、生き長らえることができるようお守りくださいませ」
その言葉は、神殿関係の人々がよく口にするフレーズだった。
彼女たちの賛美歌と共に、地面が光りはじめた。それでようやく、カルミネは地上でリビングデッドとの戦いがはじまるということに気が付いた。
そこでふと気付く。
「あの、アンナリーザ様……聖女様が見当たらないんだけど」
「ああ……聖女様は今、戦場で指揮を執っておられる」
「……はあ?」
魔力のない聖女など、本来ならお荷物だろう……いや、彼女は気合いだけで錫杖使ってリビングデッドを思いっきり殴ってはいたが。
一座の長の男性は、心底憐れみを込めた目で、頭上を仰いだ。
「聖女様は我らを助けるために戦っておられる。既に魔力は枯渇しておられるのに……」
「……待てよ、あの人いったいどうやって……そもそも、彼女戦えるのか?」
「本来ならば、彼女は戦うことはできないが……」
そもそもカルミネだって戦うことはできない。いったい頭上ではどんな戦いが行われているのか、想像すらしなかった。
巫女たちの賛美歌により起動した結界で、少なくともひと晩は地下にいる人々は守られるだろうが。カルミネはアンナリーザががなり立てた言葉を思う。
『そんなの決まってるでしょ。目覚めが悪いからよ。私、魔力切れ起こしているとはいえど、聖女よ。あんたがこの国の者である以上信者なのだから、聖女として保護する義務があります』
あの言葉は、いったいどんな気持ちで吐き出したのか、想像も付かなかった。
****
配給の食事を終えたアンナリーザは、神殿騎士たちと共に、神殿の出入り口の棺の前に立っていた。
神殿騎士たちは全員盾を構え、兜で顔を覆い、甲冑で肌を出さないようにしている。リビングデッドに噛まれたら、自分たちもリビングデッドになってしまう以上、肌を出す訳にはいかなかった。
その中で、神殿装束のアンナリーザの異端さが際立つが、彼女が錫杖を振るえなかったら、今晩の戦いもどれだけ生き残れるかがわからない。
「アンナリーザ様、魔力は?」
「……神に祈りを捧げて、今晩分くらいだけはどうにか回復させたわ。結界を起動させたら魔力が回復するなんて、いったいどうなっているのかしらね」
命を対価に魔力を回復させるなんてことを知ったら、信者は卒倒するだろうが。アンナリーザは魔力は気合いだと思っているのだから、信仰心が高まれば高まるほど魔力が回復するのは道理だろうと考えることにしている。
魔力が回復したからと言っても、この地に根付いてしまったリビングデッド全てを浄化しきるほどの呪文詠唱分の魔力にまでは、回復しきっていない。
きっと今晩使い切ったら、また明日はガス欠になっているだろう。
消耗戦は意味がないとは彼女もわかってはいるが。彼女の魔力の回復を待っていたら、いったい何人死ぬかがわからない。
これ以上死なせることは、アンナリーザの矜持が許さなかった。
やがて、甘い腐臭が漂ってきた──リビングデッドの進行が開始したのだ。
アンナリーザは錫杖を振るう。
「今晩も共に、生き残ることを約束しましょう」
封鎖された棺を崩そうとする音が、響きはじめた。
今晩もまた、果ての見えない泥仕合がはじまるのだ。