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聖女、逃亡を謀って立ち回る

 ひとまず魔道具倉庫から出たアンナリーザは、シェンツァから宮廷の出入り口を尋ねる。それを素早く覚えて「ありがとう」と言う。


「ありがとうシェンツァ。あとは私とカルミネで行くわ」

「で、ですけど……本気ですか? 本気で王国騎士から逃亡すると?」


 そうだそうだもっと言えと、カルミネは端正な顔を情けないほどにガタガタと震わせながらぶんぶんと首を縦に振る。

 それを無視して、アンナリーザは答える。


「そうしなかったら、ルーチェに帰れないじゃない。それに、あなたは可哀想に聖女に脅されて重宝を渡さざるを得なかったけれど、軟禁から逃亡したんじゃ、普通に今頃王国騎士はこちらを探し回ってるでしょうし」

「そうなんですけれど……でしたら、私も一緒に」

「駄目。これ以上迷惑はかけられないわ。さあ行きましょう、カルミネ」

「あい……」


 観念してカルミネはがっかりとうな垂れた。

 それを見ていたシェンツァは困ったように、カルミネを見る。


「あのう……カルミネさんは王都の方でしたら、このまま置いていってもよろしいのでは……私が裏口までご案内すれば、帰れるでしょうし」

「あら。彼は吟遊詩人よ。とりあえず物見遊山で聖都まで足を運んだ以上は、最後まで歌にしてくれなかったら困るもの。それに宮廷お抱え吟遊詩人にデマを歌われてしまったら困るしね」

「なるほど……」


 はい、そうでした。その通りです。さすが聖女様。

 自分のしようとしていたことが、いよいよ大事おおごとになってきたと思いながら、カルミネは「シェンツァちゃんも気を付けて。ここまで本当にありがとう」とだけ挨拶をしてから、ふたりで駆け出した。


「ここから先、どうするんですか? さすがに馬車でも乗らなかったら、夜までにルーチェに到着できませんって!」

「そうねえ、どうしても普通の馬だったら遅くなってしまうから、王国騎士団の馬車が欲しいわよね。馬車の停留地まではさすがにシェンツァから聞けなかったわねえ」

「あなた、ときどき行き当たりばったりですよね!?」

「あら、なにも考えずに手でも組んで『主よ、どうか皆をお守りください』と言っているよりはよっぽどマシでしょうよ。動いているだけ」

「あーあーあーあー、そうですね、そうですよね!」


 そうカルミネが毒づいた途端。アンナリーザの錫杖が円を描いた。

 まさか、仮にも聖女に毒づいたのが、気に食わなかった? 今まで気安くさせてもらっていたが、彼女はたしかに身分が高かった。


「わー、すんませんっ! 調子乗ってました、ごめんなさっ……!」

「ばっかなこと言ってないで、構えなさい! もう来てるから!」

「へっ!?」


 アンナリーザは神殿装束が乱れるのを気にすることもなく、大きく足を上げて、先程錫杖でぶん殴った相手を蹴り出す。それは鎧を被った騎士であった。

 マジかよ、とカルミネはアンナリーザを見た。


「き、騎士を殴る蹴るってあなた、いったいどんな身体能力を……っ!」

「仕方がないでしょう。リビングデッドをいかに魔力なしで追っ払うかと言ったら、殴る蹴るが一番魔力消費がなかったんだからっ!」

「まさかと思いますが、籠城決め込んでから自前で学んだとか言いませんよね!?」

「まさか。ちゃんと神殿騎士に棒術の基礎は学んだわ」


 そういうこっちゃない。聖女が物理で戦わないとやってられなかったとはいえ、聖女まで肉弾戦せざるを得なくなったということが問題なのだ。

 そして本職と一対一ならやり合えるようになったということが、これまた問題なのだ。

 ツッコミどころが多過ぎて、捌ききれないカルミネがふがふがと口を動かしている間に、こちらに大きな足音が響いてくる。


「いたぞ! 聖女様と付き人だ!」

「聖女様を捕らえよ、絶対に怪我をさせるな!」

「聖女様、ものすごく錫杖持って暴れてますけど!?」

「……聖女様が怪我してみろ。彼女の魔力が減る。魔力が減ったら、国の結界にも支障が出るとの通達だ!」

「じゃあとりあえず付き人捕まえて、人質にしよう!」


 勝手なことを言って、勝手な結論を出されている。

 カルミネは度胸も根性もないが、リビングデッドと戦わずに逃げるに徹する程度には、生き汚い。必死で腕を振って足を振って、逃げ出した。

 騎士たちも聖女を怪我させる訳にもいかないから、剣を向けるのは早々に諦めて、盾を使って彼女を拘束しようとしてくるが。

 アンナリーザはそれより早く錫杖を振るい、甲冑の間接部を突いて転ばせる、胴を凪いで横転させるなどをしてくる。彼女に棒術を教えた騎士はなんなんだと、カルミネはげんなりとした。

 やがて、出口が見えてきた。


「ああ、出口……!」

「早く馬車を探して……!」


 アンナリーザたちが向かおうとした先。唐突に甘い匂いが通った。

 そういえば、シェンツァが言っていた。もうそろそろ交代要員で結界を張る宮廷魔術師たちが来ると。

 逃亡しようとしたことは、彼女たちにも伝わっているのだろう。シェンツァが持っていた重宝に似た皿で、魔術を行使してきたのだ。体がひどく重く、眠く感じる。

 しかしアンナリーザは、口の中を噛み切って眠気に対抗する。口からペッと血を吐いた。


「聖女様、どうかお戻りください。お連れの方には既に術が効いております」


 そう言ってきたのは、シェンツァの着ていたローブと同じものを着ている女性たち。今まで気配がなかったのは、彼女と同じく気配を消す魔法を行使していたのだろう。カルミネは眠気が襲い鈍くなる頭でも、必死に抵抗する。


「せ、いじょさま……もう俺のことはいいですから、さっさと逃げ……」

「カルミネッ」

「ルーチェが……どうなってもいいんですか……」


 意識が途切れようとした、そのとき。

 錫杖が大きく振るわれ、カルミネの頭にクリーンヒットした。


「イッダ!?」

「あんたバカァ!? ふざけたこと言ってるんじゃないわよ! ひとりでこれを撒いて逃げられる訳ないじゃない!? せめてちょっとはオトリくらいの役割くらい果たしたら!? あんたほんっとうに使えないわね!?」

「ちょ、あなた本当そういうところですよ!?」

「うっさいわねえ!?」


 ギャーギャー殴り続けられるカルミネと、殴り続けるアンナリーザに、周りは困惑した。さすがに殴られてたんこぶが腫れ上がっているのを見かねた宮廷魔術師が、「あの、その辺で……」と止めに入った途端。

 アンナリーザはカルミネを殴り続けていた錫杖を操り、彼女の持っていた重宝を激しく突く。それは取りこぼされ、中身は流れた。


「あっ……! 待って……!」


 彼女が慌ててしゃがみ、他の宮廷魔術師たちも一瞬だけ視線を逸らしたところで。

 アンナリーザはカルミネの手を引いて、走りはじめた。彼女の存外な力強さに、既にカルミネは手を繋いで走っているというよりも、頑張って走らないと腕が引きちぎれるという恐怖のほうが勝り、必死で走り出す。

 アンナリーザは口の中で手早く呪文を唱えると、カルミネの額に触れた。


治癒ヒール


 あれだけ腫れ上がっていたたんこぶも、すぐに熱が引いて縮まった。


「あ、ありがとうございま……」

「気を引くようしただけよ。早く行きましょう」

「は、はい……なんか騎士たちも魔術師たちも、変に混乱してましたね?」

「そりゃそうでしょ。普段はかしこまった私しか知らないんだから、誰だこの蛮族とでも思ったんでしょうね。王都でかしこまってりゃそりゃそうなるし、人命かかっている場所でかしこまってなんかいられないでしょうが」


 二日ほどしか一緒にいないが、既に彼女の訳のわからないへりくつに「それもそうか」と納得しかかっているカルミネがいる。いいのか、あまりよくない。

 結界を張るために、これから聖都に向かうため準備されている馬車は、既に王国騎士によって準備されているようだった。

 鎧の様子からして、まだここまで情報が回ってきていないらしい騎士たちは、ぎょっとした様子で、アンナリーザとカルミネに対して背筋を伸ばした。


「せ、聖女様! どうなさいましたか、このような場所に!?」

「国王からの通達です。聖都に聖女をお連れせよと。結界までお願いします」

「聖女様は、王立騎士団が聖都から命からがら救出したという話でしたが?」


 既に嘘が出回りつつあるらしい。これ以上嘘が出回ったら、ますますアンナリーザが身動き取れなくなってしまう。

 意を決して、カルミネが口を開いた。


「大変申し訳ございません、自分は最近この国にお抱えになりました、吟遊詩人のカルミネと申します」

「お抱え吟遊詩人の方が……なにか?」


 困惑している騎士見習いの前で、カルミネはペラペラと嘘をつく。

 本来、酒場で嘘八百並べてせこい小銭を稼いでいたのだ。嘘つく相手が冒険者の飲んだくれから、見習いとはいえど騎士に変わっただけだ。なにも変わっちゃいない。


「聖都が滅びるとき、聖女様が鎮魂の祈りを捧げたいと仰せなので、ご一緒しました。聖都のことは、ぜひとも歌に残さなければなりませんので」

「はあ……たしかに、そろそろ聖都も……」


 少しだけ感服したのか、見習い騎士たちはすぐに馬車に乗せてくれた。

 馬車は昼間よりも大分早く、街道を駆けていく。

 空は既に紫になり、やがて夜になる。やばい、やばい、やばい……。

 リビングデッドの腐臭に、あの不可解な動き。そして夜になれば、その速さは格段に変わる。

 神殿が襲われれば、なにもかもが終わるのだから、今晩中に決着をつけないといけなくなるだろう。

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