聖女、宮廷魔術師と遭遇する
アンナリーザとカルミネが通されたのは、豪奢な部屋だった。
季節の花が活けられ、新鮮な果物がふんだんに籠に盛られている。酒場を根城にしているカルミネにとって、これだけの歓迎は生まれて初めてだった……これが聖女をもてなすということなのだろう。
カルミネが呆けそうになる横で、アンナリーザは厳しい顔で下働きの者たちを呼び止める。
「私は国王に謁見をしたいと申し出たのだけれど。歓迎しろとか接待しろとかは言ってないわ」
しかし下働きの者たちは困ったように、それぞれ顔を見合わせるばかりだった。
「しかし……私たちは聖女様をもてなせということ以外聞いておりません」
「そもそも私たち、国王様からの指示が届く立場ではございませんので……」
「なら、あなたたちの上司は誰? その上司をここに呼んできなさい」
アンナリーザのぴしゃりとした物言いに、下働きの者たちは肩を跳ねさせ、プルプルと震える。
さすがにこれはやり過ぎじゃないだろうか。カルミネはどう口を挟んだものかと考えあぐねていたところで、アンナリーザは溜息をひとつつくと、籠の果物に手を伸ばし、それをそれぞれ下働きの者たちに渡した。
どれもこれも、下働きという立場では、一生口にすることはないような、上等な代物である。
「あなたたちは聖女に見世物として果物を食べさせられて、聖女に脅されて上司を呼びに行くよう迫られただけよ。あなたたちはなにも悪くないの」
彼女のひと言をポカンとした顔で聞いていた者たちは、だんだんと我慢できなくなったのだろう。ガツガツと果物を食べ終えると「すぐに呼んで参ります!」と我先にと彼らの上司の元へと走って行った。
それをカルミネは唖然、として眺めていた。
「ええっと……あなたいつもこういうことをして?」
「だって、あの方々が私をここで接待しろと言った連中に責められて、最悪仕事を奪われてしまったらよくないわ。だから聖女に脅されているし聖女に逆らえなかったという名目が必要だし、上司にも彼らのバックには聖女がいるぞと脅しにもなるもの」
「たったひとつの行動で、そこまで考えてんですか……」
「人心掌握術を覚えないと、国王となんて渡り歩けないわ。あの人、隙あらばこちらのことを手玉に取ろうとするもの。失礼しちゃう。こちらがそんなになんでもかんでも信じる純真無知な生き物に見えて?」
ここで「無垢」ではなく「無知」と揶揄するのも、相当な皮肉だろうと、カルミネは溜息をついた。
「でもどうすんですか。これってつまりは、俺たちはここで国王に軟禁されてるってことですよね? ここを出て、重宝を探し出さないと、ルーチェは……」
「ええ。あの方々の上司が、こちらの味方についてくれたら手っ取り早いんだけど、そんな変わり者なんてなかなかいないものね」
「それをあなたが言いますか」
綺麗なだけでなにもない場所に閉じ込めるとは、自国の王ながらなんとも身勝手な……と思わざるを得ない。
なによりも気になるのは、見晴らしのいい位置にあるこの部屋の窓を見る限りでは、既に今は夕刻だということ。
夜が迫れば、リビングデッドが出る……聖女なしの騎士団と神官たちで、いったいどれだけ持つのかわからない。そもそも地下の避難民を守るために結界を張るときだって、途中で何人も巫女が倒れていたのだから。
彼らの心が折れたとき、聖都はリビングデッドに支配され……いよいよ王都が聖都を滅ぼす口実を与えてしまう。
カルミネは身震いした。たった一日いただけでも、なにも見なかったよりはよっぽど視界が広がっているものだから。
しかし、アンナリーザは普通に用意された椅子に座る。クッションが効いていい座り心地のそれは、ずっと冷たい石畳で仮眠しか取れなかった彼女の体にすこぶる優しい。
「待つしかないわね……夜になっても、まだ重宝さえ手に入れば人がこれ以上死ぬことなんてないんだから」
****
シェンツァは寄宿舎に戻るのを止め、王立図書館の地下書庫で本を漁っていた。
宮廷魔術師になって一番よかったのは、基本的に禁書認定されている地下書庫に好きなだけ入り浸れるという点だ。
そこでリビングデッドの習性についての記録を読んでいた。
リビングデッドはアンデッドの一種であり、それが出現するには二種類の方法がある。
そのいちは戦場で騎士が死に、その遺体がきちんと神官や巫女によって清められなかった場合、起き上がりとして辺りを徘徊するのだというが、本来ならばアンテナート王国では存在しないはずの魔物だ。
というのも、そもそもこの国一帯は魔物除けの結界を聖女によって張られている。当然魔物判定されるアンデッドも発生しないはずなのだが。
問題は出現方法そのにの方だ。
死霊使いがアンデッドを発生させた場合、それは聖女の結界内でさえ起こりうる。死霊使いは基本的に宮廷魔術師たちとは管轄が違うが、この国にだって存在するはずだ。
「……やっぱり王様、なにか隠してないかなあ」
これ以上調査を進めたら、さすがにまずいような気はするが。
知的好奇心と、わずかばかりの良心の呵責が、シェンツァのページをめくる手を止めはしなかった。
そんな中。
「シェンツァはいるか?」
「はい? あ、こんばんは、部隊長」
それは自分の所属している班を更にまとめている部隊長であった。
宮廷魔術師は基本的に国家所属ではあるが、仕事はそこまでブラックではない。一応既に今日の仕事を終えたはずなのに、いったいなんの用だろうかと彼女は首を捻った。
「聖女アンナリーザ様が、責任者を所望していてな。即お会いして欲しい」
「はあ……?」
ツッコミが追いつかない。
責任者とはいったいなんだろうか。それ以前に聖都にいるはずの聖女がいるということは、やっぱりあの馬車に乗っていたのは聖女アンナリーザだったんだろうか。そもそも会いに行けとはいったい。
「あのう……意味がわからないのですが……」
「それでいい。そっくりそのまま、アンナリーザ様には『知らない』『わからない』だけ言うように。お優しいアンナリーザ様は、それで許してくれよう」
「はあ……」
部隊長の言葉に、シェンツァはザラリとしたものを感じた。
まるで聖女アンナリーザを馬鹿にしているようにも感じるし、それ以前になんの責任者になすりつけられたのか、答えてすらいないのだ。
ただ。聖女アンナリーザと出会ったら、なにかしら話が聞けるんじゃないだろうか。
聖都で発生したあのリビングデッドはなんなのかとか。どうして国王は聖都をなかったことにしたいのかとか。そもそも聖都の人たちは無事なのかとか。
禁書にきちんとアミュレットをかけて封印を施すと、そのままシェンツァは部隊長に言われた部屋へと向かっていった。
宮廷にある、来賓室。当然ながら、普段のシェンツァには縁のない場所だ。そんなところ、他国の外交官や、神殿関係者……それも神官長や聖女くらい身分の高い……しか通さないのだから、騎士のような護衛任務でもない限り、一介の宮廷魔術師が入れる訳がないのだ。
プン……と花の匂いが漂うのを嗅ぎながら、シェンツァは「失礼します」とその一室に通ると。唖然とした。
夕焼けの金色の窓辺を背景に、馬車からしか見えなかった美しい女性が、椅子の上に座ってうたた寝していたのだ。その傍には、彼女のお付きだろうか。怖ろしいほどに顔の整った赤髪を長く伸ばした男性が、彼女を見守っている。
こちらが目を見開いていたのに気付いたのか、男性は慌てて聖女を起こした。
「聖女様、聖女様。来ましたよ。責任者です」
だから、なんの。
シェンツァはようやく我に返って、目をむずむずと動かしている聖女を見た。
長い睫毛が震えたかと思ったら、ようやく碧い瞳がこちらを見た。
「あら、あなたが結界の責任者? それで、いつ国王に会わせてくれるのかしら?」
だから、いったいなんの話なんだ。
上司から言われたことを無視して、シェンツァは口を開いた。
「私のほうこそお尋ねしたいです。そもそも、どうして聖都にリビングデッドが徘徊しているんですか?」




